[過去ログ] 【満州】岸信介とアヘン王の関係を追う…密売で儲けた「数兆円」はどこに消えた? [樽悶★] (935レス)
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917: 2021/09/26(日)12:04 ID:ovP0qs4w0(20/24) AAS
まさに十六世紀から十七世紀 の移行期に一つの「事件」として起こったのが、姜?(一五六七-一六一八)と藤原惺窩 (一五六一-一六一九)の出会いであった。

従来は、日本朱子学の内側から、あるいは惺 窩の思想形成に即して、それが徳川日本の朱子学成立に与えた影響関係として論じられる ことの多かったこの「事件」は、しかしながら前述してきた文脈に置くならば、きわめて 興味深い「事件」であったといわなければならない。

すなわち、そこには十六世紀までの 東アジア世界の、やがてそれぞれそれを「下敷き」としながら、「日本型華夷思想」「朝鮮 小中華主義」の形成に向かう、朱子学を媒介とした共時的な思想世界のスパークと、しか し十七世紀以降に大きな痕跡を留めるズレが認められるからである。

したがって、この「事 件」を理解することは、その後の十七世紀の明清王朝交替を経ての激変する相互の自他認 識の変容を捉える意味でも、重要な意義を有しているといわなければならない。無論、そ の出会いは豊臣秀吉の朝鮮侵略のしからしめた、俘虜人として来日した姜?にとってはき わめて不幸な事態の中で起こったことであった。

だが、豊臣秀吉の朝鮮侵略についても、 まさに明中華主義的世界が盛期を終えたことを受けての、北方女真族(のちの満州族)と 並んでの辺境部の蠢動の一翼であったとするならば、それが同時に新たな十七世紀の胎動 を内に孕むものであったことを、この姜?と藤原惺窩の出会いは象徴的に示しているので ある。

外部リンク[pdf]:www.ritsumei.ac.jp
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