[過去ログ] ジャニオタが政治を語るスレ 3 (1002レス)
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704: 2020/09/10(木)04:00 ID:P11W3LLT0(1/10) AAS
■ハミルトン・フィッシュ  ルーズベルトの開戦責任  1976年出版(著者)ハミルトン・フィッシュ■

第15章   アメリカ参戦までの道のり:隠された対日最後通牒

★国民も議会も、日本に「最後通牒」(ハル・ノート)が発せられていることを知らなかった。

ルーズベルト大統領が日本に最後通牒を発したのは1941年11月26日であった。
この通牒は日本に対して、インドシナから、そして満洲を含む中国からの撤退を要求していた。
これによって日本を戦争せざるを得ない状況に追い込んだのである。この事実をルーズベルト政権は隠していた。しかしこれは紛れもない歴史的事実である。  

元来イギリスは、日本に対する外交政策は宥和的であった。
それが変わったのは1941年6月22日のヒトラーによるソビエト侵攻以降のことである。
チャーチルは極東における大英帝国の利権を守るとFDRから約束されたのだ。日本との戦争を起こすための役者に不足はなかった。

チャーチル、 スターリン、 オーウェン・ラチモア、 スチムソン、 ラクリン・カリー 等。これがわが国を裏口からあの大戦に導いた役者の顔ぶれである。  
最後通牒であるハル・ノートは真珠湾攻撃以降も意図的に隠された。最後通牒を発した責任者はもちろんFDRである。
日本の対米戦争開始で喜んだのはスチムソンでありノックスであった。彼らは根っからの干渉主義者であり、日本と戦うことになるのを喜んだ。

もちろん戦いの始まりはもう少し遅くしたかったに違いない。フィリピンでも真珠湾でも、もう少し軍備増強したいと考えていたからだ。
ルーズベルトもスチムソンもハル・ノートを「最後通牒」だと考えていたことは明らかである。スチムソン自身の日記にそう書き留めてある。
関係者の誰もが日本に残された道は対米戦争しかないと理解していた。
わが国はこうして憲法に違反する、議会の承認のない戦争を始めたのである。アメリカは戦う必要もなかった。

最後通牒を発する前日の11月25日の閣議に参加していたのはハル、スチムソン、ノックス、マーシャル、スタークである。
FDRが指名し登用した者ばかりであった。「どうやったら議会の承認なく、また国民に知られることなく戦争を始められるか」。
彼らの頭の中にはそれだけしかなかった。
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