[過去ログ] 邪馬台国畿内説 part1934 (1002レス)
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279: 2023/12/19(火)05:14 AAS
大物主神の子孫を自称した者達の痕跡かもしれない遺蹟を発掘破壊し、
ジグザグの溝を、「方形周溝墓の溝なのだ。」と誤認したのと同時に、
明確な切り合い関係も確認できないスケッチを示すだけで、(ホウケイシュウコウボの)溝が、建物Dの(ハシラの)穴を破壊したのだ、と発表した者達が、いるのだが、撮影された風景写真の中の、最東のハシラ列の南から5番目の箇所の、発掘面の何の変哲も無い所に、白い塗料で書かれていた白線は、
「発掘では発見できなかったが、「後世の削平面の上にあって確認出来なかったのだ。」と想像された、建物Dの(ハシラ)穴の底面を囲う、想像の線の一部」なのだろうか。
それとも、発掘面の何の変哲も無い所に、白い塗料で書かれていた白線が、
「後世の削平面と発掘面の十数センチ程の間にあって、かろうじて確認出来た建物Dの(ハシラ)穴の底面の境界」だった可能性も、全く0ではないが、それならば、なぜ、発掘破壊面の白線が分割した両側に、段差すら残さず、発掘破壊してしまったのだろうか。
それとも、発掘破壊面の何の変哲も無い所に、白い塗料で書かれていた白線は、調査報告のスケッチに、実在しない痕蹟を書き加えるための、つまり、有り体に言えば、捏造するための前工作だったのだろうか。
省3
280
(1): 2023/12/19(火)05:16 AAS
その疑惑の箇所とは別に、建物Dのハシラ群の最南列の東から2番目のハシラ穴の箇所は、発掘破壊直後に示されたスケッチでは、ハシラ穴だけが描かれていました。スケッチ(以下、「笑いリラックス図」と呼びます。)では、このハシラ穴(以下、ハシラ穴★南1東2)は、別のどのような穴や溝とも、切り合い関係どころか、接触も確認できません。
ところが、後日、その遺蹟の南側を、更に、発掘破壊し、調査し、ジグザグの溝を、「方形周溝墓の溝なのだ。」と断定したことは、完全に、間違いだったことに、気付き、
また、ジグザグの溝の先に、桃の種等のゴミが捨てられた、祭祀の跡なのだと断定されてしまった、マツリの穴を、発見したのだが、その発掘破壊では、布留1式期の溝が、発見されました。
そして、布留1式期の溝が、マツリの穴やジグザグの溝やそれ以前に発見された建物Dのハシラ穴とともに、「笑いリラックス図」に繋げて、スケッチされました。
このスケッチを「疑惑のスケッチ」と名付けます。なぜならば、驚くべきことに、疑惑のスケッチでは、笑いリラックス図では確認できなかった、ハシラ穴★南1東2に重複する溝が、布留1式の溝の延長として、描かれているからです。

疑惑のスケッチ 画像リンク[png]:i.imgur.com
同空撮 画像リンク[png]:i.imgur.com
省1
281: 2023/12/19(火)05:26 AAS
>>280
成る程。ヤマタイコクキナイセツにとっては、致命的だね。
最初の発掘破壊で、建物Dのハシラ穴★南1東2を発見し、その底面まで、掘り下げたにも関わらず、そのハシラ穴内の堆積土では、他の痕跡との切り合い関係が、発見できなかったのだから、
後日の調査で、ハシラ穴★南1東2と重複して存在していた事が確認された、布留1式の溝は、やはり、その堆積後に掘られた建物Dのハシラ穴★南1東2に、痕跡が破壊されたことになるな。
つまり、建物Dは、布留1式期以降の建物だったのだ。
頭が普通の者達ならば、ごく自然に断定できる、
【布留1式の溝を、ハシラ穴★南1東2が破壊した】という真実を、否定するためには、
省7
282: 2023/12/19(火)05:32 AAS
だが、現代の建築物でさえ、基礎は、庄内式期の地層に達するが、頭の出来映えが普通ならば、基礎が、庄内式期の地層に達していたからといって、庄内式期の建築物だとは、考えないよ。
そして、庄内期の整地層を発掘破壊した時に発見したハシラ穴を、庄内期に掘られた穴なのだ、とした(笑いリラックスされるべき)バイアスがあったので、先行していた遺物との切り合い関係の存在の可能性に気がつかず、発掘作業の撮影記録を怠っていた可能性は、あるな。
だが、ヤマタイコクキナイセツが想定する建物Dのためだという整地層は、ヤマタイコクキナイセツには、あまり、深く考えることが出来なかったのかもしれないが、ハシラ穴の平面プランや、宣伝してしまった建物の規模からの想定からは、深さ2メートルの土壇場になってしまうね。
だから、やはり、悪質な捏造ではなく、頭の出来映えが、あまり良くはない、ヤマタイコクキナイセツのリーダーが、部下には有無を言わせることなく、発表させてしまったのでは、ないのかな。
しかし、それにしても、不思議なのは、二度の調査の平面図を見比べれば、容易にバレてしまう、布留1式の溝と建物Dのハシラ穴★南1東2の切り合い関係の逆転の誤認の可能性に対して、なぜ、関係者や報道機関からは指摘がないのだろうか。
客観的精査を通じて積み上げられる理数系科学分野とは方法論が、完全に異なり、主観的な意見が罷り通る文学部では、権威者に反対できないのだろうか。
つまりは、権威者が、ゴッドハンドを、擁護し続けていたときにもあったように、権威という💩のような物事に、文学部出身の者達は、体質的に、怯んでしまうのだろうか。
283: 2023/12/19(火)10:37 AAS
そして、疑惑は、まだ、あるぞ。これは、建物Bの北側の図だよ。

       西

口★口★口★口★口口口口口口口口口口
口口口口口口口口口口口口口口口口口口
口口口★★口口★口口口口口口口口口溝
口口口★★口口口口口口口口口口口溝溝
口口口口口口口★口口口口口口口溝溝口
省15
284: 2023/12/19(火)10:50 AAS
報告された(推定ではなく、)状況が事実ならば、整地層が出現した時期は、整地土より上層の布留0式期=庄内3式期の可能性が、高いな。なぜならば、整地層に、主に庄内古式が含まれていたならば、整地土は、周辺の庄内古式の地層を掘り起こし運搬されたことになるからだ。
そして、整地層から、整地作業中に使用され混入した【割れていない庄内3式期の土器】が発見されても、全く、不自然ではないね。
つまり、サクレツFの北端のハシラ穴から発見された【割れていない庄内3式期の土器】は、実際には、発掘破壊時にハシラ穴の底を見逃し、さらに、発掘破壊で掘り下げられた整地土の中に、布留0式期の整地作業中に何らかの目的で使用され、埋もれていた土器だったのだ、というのは、ごく自然な意見だよ。
整地が庄内式期になされたとして、
使用される土器が布留1式や布留2式に入れ替わるまで、つまり、せいぜい半世紀程度の間で、人の活動痕のある、その地表面には、せいぜい数センチの厚さの堆積はあったかもしれないが、ヤマタイコクキナイセツは、発掘破壊調査で、布留式の地層があるかのように報告しているね。
だが、その布留1式期前後の地層の厚さを確認できる、記録写真は、残されては、いないのでは、ないのかな。
連続しながら重複していく他の活動痕があるにも拘わらず、建物や柵のハシラが整地時に立てられ、庄内式期中に抜き出されたと断定してしまったのは、やはり、ホウケイシュウコウボの誤認や建物Dのハシラと布留1式期の溝の切り合い関係の見逃しの件でもわかるように、色々な物事に対して、考えが至らず、早とちりする体質があるからではないのかな。
省2
285: 2023/12/19(火)13:19 AAS
日本中の古ぼけた物事を好む者達を、あのゴッドハンドによる「発掘」の時と同様にして、熱狂させた、
おそらく方形で、数十センチメートル程の深さに掘削された、5世紀末以降に出現した「SX-1002」と完全に平行に隣接し、「SX-1002」との時間的な関係性が強く疑われるが、
謎の勢力に、謎の勢力が作製した観光用の着ぐるみのモデルとなった女王の時代である3世紀前半に建てられたのだ、と断定されてしまった「建物C」も、
本当は、5世紀以降に、建てられた物体である可能性が、高いな。
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