[過去ログ] 邪馬台国阿波説 (1002レス)
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966: 2022/05/21(土)10:52 AAS
>>965
お前辺りにあるしょぼい集落じゃね~よ。  みんな鉄器武器を作り所持している集落だぞ。 

「阿波」をなめんじゃねえ!   @阿波
967
(1): 2022/05/21(土)10:52 AAS
>「饒速日命」を従え
珍説か?長髄彦が奉じていた神が櫛玉饒速日命だぞ。
968: 2022/05/21(土)10:54 AAS
>>967
>長髄彦が奉じていた神が櫛玉饒速日命だぞ。

日本書紀バカがなんか言うとるわい。  わははははは   @阿波
969
(1): 2022/05/21(土)10:55 AAS
阿波から鉄剣とかほとんで出てないだろ。
そこらへんの枝で作った武器でのどつきあいwww
970: 2022/05/21(土)10:56 AAS
俺は古事記も読んでるが?
971
(1): 2022/05/21(土)10:58 AAS
阿波内で神武東征は無理だってばw
972
(1): 2022/05/21(土)11:00 AAS
>>971
石頭にはそう思えるわな。  わははははは   @阿波
973: 2022/05/21(土)11:01 AAS
>>969
>阿波から鉄剣とかほとんで出てないだろ。

お前の言う、その鉄剣も「阿波」で造ったものだよ。  わははははは   @阿波
974
(1): 板野に居たの ◆oRNQXnZmlfa1 2022/05/21(土)11:16 AAS
>>964
板野に居るのが長髄彦?そりゃ無いぜ。
975: 2022/05/21(土)11:44 AAS
>>972
石頭にはそう思えるわな。 ×
正常脳にはそう思えるわな。 ○
976: 2022/05/21(土)12:06 AAS
AA省
977: 2022/05/21(土)12:10 AAS
どいつもこいつも、束になって掛かってきても、あっさり退けられるなww

まあ、こういう話題でスレが盛り上がるのは、「阿波」ならではのこと。  他所は閑古鳥。  わははははは   @阿波
978
(1): 板野に居たの ◆oRNQXnZmlfa1 2022/05/21(土)12:18 AAS
はあ?中臣氏の祖神は天児屋尊で、長髄彦はかすりもしない。
もうぐちゃぐちゃじやない^_^
979
(1): 2022/05/21(土)12:22 AAS
>>978 板野に居たの
>はあ?中臣氏の祖神は天児屋尊で、長髄彦はかすりもしない。

だから、「登美」の後裔氏族には「中臣(ナカトミ)氏」がいる。

と「阿波国古代研究所」が示してるだろうが! 自虐屋よ。   @阿波
980
(1): 2022/05/21(土)12:25 AAS
>>949 板野に居たの
>今の阿南市市街地ぐらいまでは、南は山って感覚。

このアホ、まだ言うとんか!
>>951が理解できんアホなのか?   @阿波
981: 2022/05/21(土)12:28 AAS
>>980はミスレス。   @阿波
982
(1): 板野に居たの ◆oRNQXnZmlfa1 2022/05/21(土)12:29 AAS
>>979
あーあの、へごじゃばっかり言うおっさんのおる所の説かいな、
ほな、確実に間違いやな。
983
(1): 2022/05/21(土)12:54 AAS
>>982
お前なんぞ足元にも及ばんわ!  

お前はせいぜい自虐史観にかぶれて、評論家気取りでもしとけ!   @阿波
984
(1): 2022/05/21(土)13:04 AAS
長髄彦は飛鳥大神(事代主)の子であり、伊勢津彦に同じく出雲神の神裔。中臣は関係ない。
言葉遊びは止めるべき。間違い説の王道典型例。

丹後宮津藩主本荘氏の系譜『本荘家譜』には、物部の祖・饒速日命の子の麻斯麻尼足尼命(ウマシマチのこと)の右註に「母飛鳥大神之女登美夜毘売」と記される。長髄彦は事代主神(飛鳥大神)の子で、磯城の三輪氏一族の族長だったということであり、早くに太田亮博士も、「磯城彦は即ち三輪氏に外ならず」と指摘した。
大和国には鳥見(登美)という地が二か所、城上郡(現桜井市)と添下郡(現奈良市)にある。長髄彦の本拠は城上郡のほうであったが、添下郡のほうも無縁ではなく、長髄彦の勢力範囲であった。この二つの鳥見にはそれぞれ式内社があり、城上郡の等弥神社、添下郡の登弥神社があげられる。後者は富雄川東沿岸の奈良市石木町に鎮座するが、その祭神のなかの一人に【登美建速日命】という神があり、同社の他の祭神からみて、この神が本来の祭神で登美彦すなわち長髄彦にあたると考えられる。中田憲信編の『諸系譜』第六冊所収の「長公系譜」には、建日別命という者が見えるが、この者こそ登美建速日命ではないかと考えられる。
同系図では、建日別命は長国造(阿波南部)・長我孫や都佐国造(土佐)の遠祖であり、事代主神の孫に位置づけられる。その父を天八現津彦命(一云、観松比古命)とするが、又名の観松比古命は、「国造本紀」の長国造及び意岐国造の条には観松彦色止命と見えており、阿波国名方郡の式内社、御間都比古神社(ミマツヒコ。名東郡佐那河内村下モノミ石に鎮座)の祭神でもある。観松彦命は事代主神の子とされること、その子に「登美」に関係ある者がいること、その後裔に長国造・長我孫を出したことなどを考え合わせると、神武に立ち向かった長髄彦その人であろう。そして、「登美建速日命」が登美彦・長髄彦であるならば、建日別命はその父の位置にある天八現津彦命とも同人だということになる。
985
(1): 2022/05/21(土)13:05 AAS
>>984
日本書紀バカがなんか長々言うとるわい。  わははははは   @阿波
986: 2022/05/21(土)13:38 AAS
>>985
間違いが確定しているのに阿波バカがなんか長々とねばっとるわい。
わははははは @某1
987
(1): 板野に居たの ◆oRNQXnZmlfa1 2022/05/21(土)14:26 AAS
>>983
awa-otokoブログにも、同じ事かいてあったわ。

さて、それとは別にこんな説も。

1) 先に、建御名方命を祀る式内社が阿波国名方郡にあることをあげたが、その子の八桙神を祀る式内社も阿波国那賀郡にある。それが八桙神社という名で、徳島県阿南市長生町宮内に鎮座しており、『特撰神名牒』なども祭神を八桙神(建御名方命の子、あるいは曾孫)とする。その由緒には、「八桙神社は上古長ノ国造の祖神として竹原庄要津に鎮座す」とあるから、建御名方命の子の八桙神が長国造の遠祖でもあった。この所伝からも、「建御名方命=長髄彦」ということになる。長生町からも銅鐸出土の伝えがある。
諏訪の「神氏系図」には伊豆早雄命の弟に「八杵命」と見える者があり、これが阿波国の「八鉾命」にあたるとする指摘が『大日本史』神祇志や飯田好太郎の著述に見える。また、『諸系譜』第六冊所載の「長公系図」には、弟の意味「イロト(色止・伊呂止)」を名にする「伊侶止命」(すなわち長髄彦)の子に「八上乃命」があげられており、これが「八桙神」にあたるとみられるから、諸伝が符合する。同系図では、八上乃命の子の代に阿波の長国造系統と土佐の都佐国造系統に分かれたと見える。
988
(1): 板野に居たの ◆oRNQXnZmlfa1 2022/05/21(土)14:29 AAS
さらに、

2) 御間都比古色止命を祭神とする名方郡式内社の御間都比古神社は、現在、名東郡佐那河内村の長峯中腹にあるが、そこから園瀬川を少し下った地の徳島市上八万町星河内の巽山古墳は前期(四世紀前半か)の大型円墳であり、古墳の対岸にある星河内美田の赤土採取場からは七個分もの銅鐸(袈裟襷文銅鐸の破片)が集積埋納される状況で出土した。神社と美田とのほぼ中間地東方にある同市八多町多家良辺りからも所伝を含め三個の銅鐸出土がある。徳島県内からは伝も含めて合計約四〇個もの銅鐸出土があるが、これらが徳島市・阿南市の地域に集中する。なお、高知県でも約十個の出土があるが、こちらは散発的なものである。
『日本の神々 2』には御間都比古神社の項で、板東・松本両氏により、「園瀬川上流域には、弥生後期に大量の銅鐸を保有しうる集団がすでにあり、古墳時代に入っても強力な豪族のいたことが窺われる。少なくとも後者は、観松彦色止命を祖とする長国造と深い関連を有する集団であろう」と指摘される。
989
(1): 板野に居たの ◆oRNQXnZmlfa1 2022/05/21(土)14:32 AAS
もういっちょ
 
(3) 関連して「伊勢都彦」についても、『埼玉叢書』所収の「角井家系」などを基に再考してみる。同系図は貴重な古伝とみられるが、伊勢都彦周辺に若干の混乱があると考えられる(関連する記事が『風土記』逸文にもある)。そのため、世代対応などを基礎にしてこの辺の系譜を整理すると、出雲国造の祖・天夷鳥命の子に出雲建子命(櫛玉命。その実体は物部祖の櫛玉饒速日命〔『書記』の表記〕と同神するのが妥当)がおり、その子の神狭命(諸忍毘古命)こそ神武朝に伊勢国度会県に居て東国遷住した「伊勢都彦」に当たる者だとみられる。
神狭命の後裔は、崇神朝頃から始まった大和朝廷の東国進出に服属する形で勢力を拡大し、武蔵・相模や上下の海上などの東京湾・相模湾沿岸地域に置かれた東国諸国造となった。ま た、東国から陸奥にかけても広く分布し、これら地域に多い丈部などの諸氏の遠祖でもあるが、後年、阿倍臣氏と縁由ができたことで、陸奥各地の丈部は阿倍 □□臣などの賜姓をうける傾向があり、この辺の記事が六国史に多く見える。関連して「伊勢都彦」についても、『埼玉叢書』所収の「角井家系」などを基に再考してみる。同系図は貴重な古伝とみられるが、伊勢都彦周辺に若干の混乱があると考えられる(関連する記事が『風土記』逸文にもある)。そのため、世代対応などを基礎にしてこの辺の系譜を整理すると、出雲国造の祖・天夷鳥命の子に出雲建子命(櫛玉命。その実体は物部祖の櫛玉饒速日命〔『書記』の表記〕と同神するのが妥当)がおり、その子の神狭命(諸忍毘古命)こそ神武朝に伊勢国度会県に居て東国遷住した「伊勢都彦」に当たる者だとみられる。
神狭命の後裔は、崇神朝頃から始まった大和朝廷の東国進出に服属する形で勢力を拡大し、武蔵・相模や上下の海上などの東京湾・相模湾沿岸地域に置かれた東国諸国造となった。ま た、東国から陸奥にかけても広く分布し、これら地域に多い丈部などの諸氏の遠祖でもあるが、後年、阿倍臣氏と縁由ができたことで、陸奥各地の丈部は阿倍 □□臣などの賜姓をうける傾向があり、この辺の記事が六国史に多く見える。

以上、
引用元はこちら。
省1
990: 2022/05/21(土)15:38 AAS
>>987-989
出雲(長国)の国譲りによって、大国主命は長国に残った可能性があるが、子の事代主神や建御名方神は、
粟国の石井や板野へ移ったんだろう。
この大国主命は、長国の始祖「素戔嗚尊」或いはすぐ近い子孫なんだろう。   @阿波
991
(2): 2022/05/21(土)15:42 AAS
寝ぼけろwww
992: 2022/05/21(土)15:50 AAS
>>991
お前では説明できんわけだ。  わははははは   @阿波
993: 2022/05/21(土)16:04 AAS
>>991
自慢でも何でもないが、当たり前として「阿波」は首尾一貫、ストーリーが繋がる。   @阿波
994
(1): 2022/05/21(土)16:28 AAS
長氏は三輪氏と同族で事代主命(飛鳥大神)の神裔に位置付けられている。
神武東遷を良しとしない一派は長や諏訪に旅立った。
当然、長には事代主や長氏の祖となる神が祀られている。
阿波国は無関係。以上。
995: 2022/05/21(土)16:37 AAS
>>994
>長や諏訪に旅立った

長? 長野を言いたいのか?   

それ全部「阿波」でのこと。 

出雲の国譲りを契機に、長国から粟国の石井(諏訪や板野(登美)へやって来た。   @阿波
996
(1): 2022/05/21(土)16:54 AAS
長国と諏訪国だ。
寝ぼけろwww

>それ全部「阿波」でのこと。 
神武時代の阿波国と長国は別物。ずうずうしい。
後世の行政区分にひっぱられすぎ。阿波国は無関係。
997: 2022/05/21(土)17:02 AAS
>板野(登美)
おそろしい妄想だなwww

長髄彦の本拠は城上郡のほうであったが、添下郡のほうも無縁ではなく、長髄彦の勢力範囲であった。この二つの鳥見にはそれぞれ式内社があり、城上郡の等弥神社、添下郡の登弥神社があげられる。後者は富雄川東沿岸の奈良市石木町に鎮座するが、その祭神のなかの一人に【登美建速日命】という神があり、同社の他の祭神からみて、この神が本来の祭神で登美彦すなわち長髄彦にあたると考えられる。
998: 2022/05/21(土)17:03 AAS
>>996
お前こそ後世の行政区分にひっぱられすぎ。 全部「阿波」での出来事。   @阿波
999: 2022/05/21(土)17:05 AAS
長国には長国の歴史があるんだ!
『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、成務天皇の御世に、観松彦伊呂止命の9世孫の韓背足尼を国造に定められたとされる。
1000: 2022/05/21(土)17:07 AAS
1000なら阿波説完全崩壊
1001
(1): 1001 ID:Thread(1/2) AAS
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life time: 202日 7時間 33分 15秒
1002
(1): 1002 ID:Thread(2/2) AAS
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