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【広島原爆】広島長崎の悲劇の日本史【長崎原爆】 (206レス)
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: 2009/12/01(火)21:45
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123: [] 2009/12/01(火) 21:45:39 また、七日、陸軍船舶司令官佐伯文郎中将が、広島警備司令官に任命され、市内を四区分して復旧・救護作業に 乗りだしたが、このとき、中央部の担任司令官となった船舶練習部司令官芳村正義中将は、午後一時過ぎ、中国軍 管区司令部に松村中将を訪ね、就任報告を行なった。その際、芳村中将に随行した野村清副官は、天幕張りの司令 部の前に、うしろ手にしばられたアメリカ兵捕虜が、石に腰かけているのを目撃した。アメリカ兵はまだ若く二六、 七歳で、上半身は、はだかであったが、傷を受けておらず、元気であったという。このアメリカ兵が、その後、ど うなったかについては不明である。 さらに、宇品の運輸部構内にあった陸軍軍需輸送統制部の統制班班長田村治郎陸軍大尉が、被爆負傷者の救援作 業の合間に、土橋付近の建物疎開作業に出動していた妻(のち死亡判明)の安否をたずねてゆく途中、七日午前九時 ごろ相生橋にさしかかった際、橋の東詰めで、一人の若い金髪のアメリカ兵が焼跡の中に、横たわっているのを見 つけた。アメリカ兵は、赤・青・黄の原色の派手な花模様のパンツだけの裸体で、まだ生きており、負傷した老婆 が石を投げつけていた。アメリカ兵は、田村大尉を見ると、かすかに片目をとじて、何か合図をしたようであった。 足もとには、投げつけられた石が、幾つか転がっていた。妻の安否が気にかかり、そのまま通り過ぎて、夕方五時 頃、再び通ったときには、朝見た場所ですでに死んでいたという。 次の日八日、旧城内の師団司令部に田村大尉が行った際には、胸毛の多い三、四〇歳の肥満した丈の高いアメリ カ兵二人が、両手をしばられて死んでいるのを目撃したという(田村治郎談)。 http://yomogi.5ch.net/test/read.cgi/history/1217855020/123
また七日陸軍船舶司令官佐伯文郎中将が広島警備司令官に任命され市内を四区分して復旧救護作業に 乗りだしたがこのとき中央部の担任司令官となった船舶練習部司令官芳村正義中将は午後一時過ぎ中国軍 管区司令部に松村中将を訪ね就任報告を行なったその際芳村中将に随行した野村清副官は天幕張りの司令 部の前にうしろ手にしばられたアメリカ兵捕虜が石に腰かけているのを目撃したアメリカ兵はまだ若く二六 七歳で上半身ははだかであったが傷を受けておらず元気であったというこのアメリカ兵がその後ど うなったかについては不明である さらに宇品の運輸部構内にあった陸軍軍需輸送統制部の統制班班長田村治郎陸軍大尉が被爆負傷者の救援作 業の合間に土橋付近の建物疎開作業に出動していた妻のち死亡判明の安否をたずねてゆく途中七日午前九時 ごろ相生橋にさしかかった際橋の東詰めで一人の若い金髪のアメリカ兵が焼跡の中に横たわっているのを見 つけたアメリカ兵は赤青黄の原色の派手な花模様のパンツだけの裸体でまだ生きており負傷した老婆 が石を投げつけていたアメリカ兵は田村大尉を見るとかすかに片目をとじて何か合図をしたようであった 足もとには投げつけられた石が幾つか転がっていた妻の安否が気にかかりそのまま通り過ぎて夕方五時 頃再び通ったときには朝見た場所ですでに死んでいたという 次の日八日旧城内の師団司令部に田村大尉が行った際には胸毛の多い三四歳の肥満した丈の高いアメリ カ兵二人が両手をしばられて死んでいるのを目撃したという田村治郎談
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