[過去ログ] 東京地裁八王子支部と東京高裁24民事部の不正 (1002レス)
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(1): 2014/06/15(日)08:36 ID:K1Zpnziq0(1) AAS
>>1-6 >>13
この「裁判官をつかった重大な政治犯罪」は結局ここに辿り着くぞ。

        ↓

元外務事務次官・元最高裁判事・竹内行夫

竹内行夫(たけうちゆきお、1943年7月20日 - )は、日本の元外交官、元最高裁判所判事。
外務事務次官、外務省北米局長などを歴任。奈良県出身。

小泉政権において、いわゆる田中真紀子騒動で前任の野上義二が更迭されたことにより、
駐インドネシア大使から事務次官に就任。外務省内の語学派閥では「アメリカンスクール」に属し、
日米同盟を固守する立場をとった。

次官在任中には、イラク戦争を支持したほか、小泉純一郎首相の訪朝が実現している。しかし、
田中均外務審議官による北朝鮮との独自ルートによる秘密外交問題に対して、当初は秘密外交
を追認していたが、世論の批判が高まり、最終的に田中を退官させた。

また、イラク戦争に反対した天木直人駐レバノン大使を辞任させている。
天木によれば、竹内は「君は組織の枠を踏み外してしまったんだよ」と批判したという。
外務省では一、二を争う国際法規に明るい人物とされる。

1943年7月20日生まれ
1962年3月 - 奈良女子大学文学部附属高等学校卒業 
1966年3月 - 京都大学法学部卒業
1967年4月 - 外務省入省 同期に、大島賢三、高野紀元、阿南惟茂、天江喜七郎、上田秀明、
阿部信泰、山崎隆一郎、黒川祐次など
1998年 - 外務省北米局長
1999年 - 外務省総合外交政策局長
2001年 - 駐インドネシア大使
2002年2月 - 外務事務次官
2005年1月 - 外務事務次官退任、外務省顧問就任
2007年 - 政策研究大学院大学連携教授
2008年10月21日 - 最高裁判所判事
2009年8月30日 - 第45回総選挙と同時に行われた第21回最高裁判所裁判官国民審査の投票の結果、
罷免を可としない(無印)が62,443,553票、罷免を可とする(×印)が4,495,571票となり、信任された。
2013年7月19日 - 最高裁判所判事を定年退官

最高裁判所での主な担当訴訟
2011年7月 - 千葉市中央区強姦事件(陪席裁判官)
2010年7月 - ハーグ事件(裁判長)
2010年1月 - 砂川政教分離訴訟(陪席裁判官)
2009年12月 - 布川事件(裁判長)
2009年11月 - 葛飾政党ビラ配布事件(陪席裁判官)
2009年10月 - 広島小1女児殺害事件(陪席裁判官)

現所属団体
公益財団法人「日本国際フォーラム」監事、政策委員
以上、ウィキペディアより
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