[過去ログ] (`・.・´) 張栩タン 応援スレ∫碁∫ (984レス)
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(5): 03/05/15 16:57 ID:FVJYKmJL(5/9) AAS
張栩が小学一年の時(7月)、「老小神童対抗戦」と称して沈君山との3子局が設けられた。
結果は張栩の中押勝で、沈先生を驚かせ、喜ばせた。
張遠錫氏は息子の入門を願い出たが沈先生は子供の将来性はもっと大きいとしてそれは断る。
変わりに「儀子」として快く迎える事になった
(中国のこういう関係は良く解らないのだがつまり後見役を買って出たのだろう)

中環董事長の翁明?氏も張栩の事を聞き及び対局を申し出てきた。
結果翁氏の「生涯負けて最も楽しかった一局」となる。
翁氏も沈氏同様「義父」になることを申し出た。

王立誠は台湾帰郷時にこの「(息子)の取り合い」の話を聞いて、
張栩に興味を持ち対局してみる事に。
打って見て立誠は直ぐに彼を入門させる事を考えるようになり、
張栩の両親と、日本に帰国してすぐ夫人に相談する。

この年張栩9歳、台湾のアマタイトル戦で活躍を始めており、
帰郷した林海峰の注意も引いた。
この時設けられた対局で林海峰は「彼の碁より態度に驚いた」という。
大国手(囲碁の大家に対する尊称)を相手に張少年は臆することなく、
普段と変わらぬ冷静な態度で打っていた。周囲にギャラリーを背負って、
記者のフラッシュを浴びて平然と対局し、局面の多少の不利に動じない張少年を見て
林海峰も弟子にしたいと思うようになる。

「(息子)取り合い」に続いて王立誠、林海峰の「弟子の取り合い」勃発となった(*注:文学的表現)。
林夫人も台湾まで出向いて張少年を見てみる事にまでなった。

次の年8月張少年は東京の林家に。
林海峰は張の両親に「プロになるまで会いには来ないように」約束させていた。
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