[過去ログ] 大日本帝国海軍は世界に恥を晒しただけだった (514レス)
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481: 2016/12/29(木)04:07 ID:M5qQWmDr(1) AAS
>>480 (主要内容)
世界史上最大の会戦と呼ばれた奉天の戦いでも、日本軍の砲弾消費量は33万発。一方、第一次大戦のベルダンの戦いで
ドイツ軍は2010万発、ソンムの戦いの仏軍は3400万発と、2桁違う砲弾量。
第一次大戦ではシーレーンの重要性も浮かび上がった。
なぜ日本は第一次大戦の戦訓を第二次大戦で生かせなかったのか?
荒川憲一「通商破壊戦の受容と展開」(『第一次世界大戦とその影響』)軍事史学会)によれば、海軍は開戦後すぐに
調査委員会を立ち上げて海戦の実態を調査したが、独軍が敗北したように潜水艦対策はすでに有効策が打ち出されており、
従来の弩級戦艦を中心とする総合力こそが重要であるというものだった。艦隊決戦で制海権を確保すれば海上護衛が
全うできるというマハン以来の思考のままだった。
また1922年のワシントン条約の中で商船への無警告攻撃が禁止になったことも、シーレーン防衛の重要性を低下させた。
海軍の潜水艦乗組員の戦功査定基準では、戦艦や空母撃沈は60点、3000d以上の商戦は7点と、掃海艇や駆潜艇より低評価。
ここに通商破壊作戦への日本海軍の考え方そものもが表れている。
陸軍は開戦翌年の1915年、陸軍省が臨時軍事調査委員会を設置して随時『海外差遣者報告』や月報を刊行し、参謀本部は
これとは別に1923年に全83冊の『欧州戦争叢書』をまとめあげた。
日露戦争の戦訓に基づき、青島要塞攻略で日本陸軍はいたずらな歩兵攻撃をせず、十分な事前砲撃の後で要塞を攻略し
被害を最小限に抑えたが、列強国の陸軍は塹壕戦の中で無謀な歩兵突撃を繰り返した。
片山杜秀『未完のファシズム』(新潮選書)では、日本陸軍は冷静に総力戦の実態を把握していたが、それゆえに極端な
精神主義に走ったのではないかという仮説を立てている。
経済力がものをいう戦いとなっており、米ソなどに対してもはや勝ち目はないという結論しか出せないが、陸軍に戦わないという
前提がない以上、合理的であるがゆえに精神主義に活路を求めざるを得ない一方で、資源確保のために大陸へと領土を拡張し、
守るべき領土が増えて戦争が続けられ、それが米国との総力戦を招く皮肉な結果となった。
パリ講和会議で民族自決の理想主義が拡散する中、日本は周回遅れで帝国主義のスタートラインに立った。
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