董卓についてどう思いますか? (46レス)
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8
: 2019/01/27(日)13:28
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8: [] 2019/01/27(日) 13:28:53.38 >>1 政治的な部分を無視して戦略面だけなら、『長安遷都』は間違っていないと言えると思う。 結局、反董卓連合軍は長安まで追いかけては来なかったワケだし、董卓は彼らに破れて敗死したワケでは無い。 『洛陽焦土作戦』も政治的・治世的には暴挙だが、戦略的には間違いではないだろう。 敵の追撃を困難にする為に焦土作戦が有効なのは、後のナポレオンの侵攻を止める為にロシアがとった事で証明されている。 三国時代を統一した晋の時代の八王の乱でも長安遷都は真似られたが、コチラは洛陽を焼かなかった為か、長安まで追撃されて敗北している。 戦略的には長安遷都と洛陽焦土は間違いではなかった。 但し、洛陽の民衆が付いてきたのは単純に洛陽を焼いたからだと思う。 董卓が悪名を獲て暗サツされるに至った直接の原因は、やはり『相国』の位を望んだ事だろう。 現代の、しかも日本人の俺が言うのも何だが、当時の後漢王朝時代の人々にとって『相国』という身分は『王莽』を思い起こされる言葉であり、 それを望む人物には無条件で嫌悪感を抱いたのではないだろうか。 そもそも古代中国の人達の思想には五行陰陽が染み付いていて、その中には 『一度政権を手放した王朝(血統)は二度と天下を取り戻す事が出来ない』 という考えが常識として信じられてきた。 その常識を覆して再び天下を取り戻す奇跡を起こしたのが後漢王朝であり、 劉氏漢王朝はこれまでの他の王朝とは違う特別な存在であるという意識が強かったのではないだろうか。 ぶっちゃけ曹操が天下取れなかったのも、劉備が蜀で独立国を作れたのも、全てこの『劉氏漢王朝は特別』という意識のせいだと思う。 曹操は赤壁で破れる前、ほぼ天下を手に入れたも同然の状態でも、彼の足元で暮らす民衆や官僚達の中には 「どーせコイツ(曹操)も王莽のように失敗するに違いない」という意識があったんじゃないか? まして董卓が相国とか。 相国は名誉職、現代日本に例えれば総理大臣の上に特別に関白太政大臣の職を復活させるようなモノ。 漢王朝において相国の位に就いたのは、初代皇帝・劉邦と共に漢を築いた蕭何と曹参の二人。 初代皇后・呂后の弟の呂ナントカ。コイツは呂后の死後粛清され一族マルっと消された。 そして先ほども出た王莽、コイツに簒奪されて漢王朝は一度天下を失ったワケだ。 コレら四人の功績と較べて董卓の功績はどうだろう?王莽どころか呂氏にも及ばない、 せいぜい皇帝から「ありがとう、よくやった」って声かけて貰える程度の功績だろう。 なぜ董卓はあの程度の功績で相国を望んだのだろうか? 回りの人々が「王莽のように王朝を簒奪するつもりだ」と思うのは当然だろう。 董卓亡き後、董卓軍残党のリーダー格になった李カクは怪しい宗教に傾倒し、常に巫女に占わせ、その結果で物事を決めていたという。 そんな程度の奴がNo.2的なポジションにいる時点で董卓軍の実情はタカが知れると言えるが、 ひょっとしてそもそも董卓も占いに傾倒して物事を決め、小帝を廃し献帝を即位させ、長安に遷都し、相国の位を望んだのではないか? 確かに董卓には改革者としての一面があったとは言えるかも知れないが、王莽のような民衆に対する情報操作も、曹操のような圧倒的実績も無く、 あまりにも性急で行き当たりばったりな行動に思える。 政治家としては無能だった項羽が有能な執政者に見えるレベルだ。 http://mao.5ch.net/test/read.cgi/warhis/1548131137/8
政治的な部分を無視して戦略面だけなら長安遷都は間違っていないと言えると思う 結局反董卓連合軍は長安まで追いかけては来なかったワケだし董卓は彼らに破れて敗死したワケでは無い 洛陽焦土作戦も政治的治世的には暴挙だが戦略的には間違いではないだろう 敵の追撃を困難にする為に焦土作戦が有効なのは後のナポレオンの侵攻を止める為にロシアがとった事で証明されている 三国時代を統一した晋の時代の八王の乱でも長安遷都は真似られたがコチラは洛陽を焼かなかった為か長安まで追撃されて敗北している 戦略的には長安遷都と洛陽焦土は間違いではなかった 但し洛陽の民衆が付いてきたのは単純に洛陽を焼いたからだと思う 董卓が悪名を獲て暗サツされるに至った直接の原因はやはり相国の位を望んだ事だろう 現代のしかも日本人の俺が言うのも何だが当時の後漢王朝時代の人にとって相国という身分は王を思い起こされる言葉であり それを望む人物には無条件で嫌悪感を抱いたのではないだろうか そもそも古代中国の人達の思想には五行陰陽が染み付いていてその中には 一度政権を手放した王朝血統は二度と天下を取り戻す事が出来ない という考えが常識として信じられてきた その常識を覆して再び天下を取り戻す奇跡を起こしたのが後漢王朝であり 劉氏漢王朝はこれまでの他の王朝とは違う特別な存在であるという意識が強かったのではないだろうか ぶっちゃけ曹操が天下取れなかったのも劉備がで独立国を作れたのも全てこの劉氏漢王朝は特別という意識のせいだと思う 曹操は赤壁で破れる前ほぼ天下を手に入れたも同然の状態でも彼の足元で暮らす民衆や官僚達の中には どーせコイツ曹操も王のように失敗するに違いないという意識があったんじゃないか? まして董卓が相国とか 相国は名誉職現代日本に例えれば総理大臣の上に特別に関白太政大臣の職を復活させるようなモノ 漢王朝において相国の位に就いたのは初代皇帝劉邦と共に漢を築いた何と曹参の二人 初代皇后呂后の弟の呂ナントカコイツは呂后の死後粛清され一族マルっと消された そして先ほども出た王コイツに奪されて漢王朝は一度天下を失ったワケだ コレら四人の功績と較べて董卓の功績はどうだろう?王どころか呂氏にも及ばない せいぜい皇帝からありがとうよくやったって声かけて貰える程度の功績だろう なぜ董卓はあの程度の功績で相国を望んだのだろうか? 回りの人が王のように王朝を奪するつもりだと思うのは当然だろう 董卓亡き後董卓軍残党のリーダー格になった李カクは怪しい宗教に傾倒し常に女に占わせその結果で物事を決めていたという そんな程度の奴が的なポジションにいる時点で董卓軍の実情はタカが知れると言えるが ひょっとしてそもそも董卓も占いに傾倒して物事を決め小帝を廃し献帝を即位させ長安に遷都し相国の位を望んだのではないか? 確かに董卓には改革者としての一面があったとは言えるかも知れないが王のような民衆に対する情報操作も曹操のような圧倒的実績も無く あまりにも性急で行き当たりばったりな行動に思える 政治家としては無能だった項羽が有能な執政者に見えるレベルだ
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