[過去ログ] ■全板人気トナメ★三戦 参拾壱■4/17出陣! (1001レス)
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30: 2005/04/16(土)04:57 AAS
748 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2005/04/15(金) 21:10:28
>>728の希望を受けて>>712を改編
まだ読み仮名必要なとこあるだろうか?

【亡国の臣列伝其の壱】   〜黄皓〜
黄皓(こうこう)は蜀の後主・劉禅に使えていた宦官(かんがん)である。
黄皓は劉禅にへつらい、うまく取り入ってもらえるようたちまわったが、董允(とういん)が生存しているうちは董允が黄皓をとがめていたので悪事ができなかった。
董允の死後、陳祇(ちんし)が侍中(じちゅう)となると、黄皓は初めて政務に関わるようになった。
陳祇の死後、黄皓は中常侍(ちゅうじょうじ)・奉車都尉(ほうしゃとい)に昇進し、権力を操って国家を転覆するにいたる。
姜維(きょうい)は黄皓の先王を憎んで劉禅に上奏し、殺害しようとしたが、劉禅は「黄皓は召使に過ぎず、董允と黄皓が仲が悪かったのを残念に思う」とするだけで取り合わなかった。
その後、姜維が功績を立てられないうちに黄皓は右大将軍の閻宇(えんう)と結託し、姜維を廃し閻宇を立てようとした。
そのため、姜維は危惧し二度と成都に帰還しなかったのである。
また、263年に姜維が鍾会(しょうかい)の進攻を恐れ援軍を要請したときも、鬼神や巫女の言葉を信じ劉禅に取り合わないよう進言した。
その後蜀が滅亡した後、ケ艾は黄皓を捕らえ殺害しようとしたが、黄皓はケ艾(とうがい)の側近に賄賂を贈ることで死を免れている。
なお、演義ではこの後劉禅とともに洛陽に赴いた際に、司馬昭に断罪され惨殺されたとなっている。
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