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´ω`)ノ こんぬづわ10 (1002レス)
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998
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読書(2連発+1(新スレ))
2018/04/07(土)19:00
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998: 読書(2連発+1(新スレ)) [sage] 2018/04/07(土) 19:00:20.83 ID:/ClI3h740 C■~ *折原一「死仮面」(文藝春秋 2016年) ☆いつも通りの折原節、にもかかわらずイマイチのめり込めんかった。レベルもいつもと変わらんのに、年のせいかな〜と。それとも好みが変わったんかな、と。 *都築響一「バブルの肖像」(アスペクト 2006年) ☆求めたのは矢作俊彦「新ニッポン百景」のような毒のある文章。そういえばその行動(朝日書評委員を降りた)とは裏腹に、それほど毒のある文を書く人ではなかったな、都築さんは。本書には「新〜」で取り上げられたブツのその後が扱われていて併せて読むとGoodであります。 23 ピンドンコン バブル・ジャパンが発明(?)した泡系飲料の最高傑作は、「ピンドンコン」だろう。その名のとおり、ピンク・ドンペリニョンとコニャックを混ぜた、とてつもないカクテルだ。作り方は簡単。ピンドンと、やっぱりいちばん高いコニャック(ヘネシーXOあたりが好まれたとか)を、だいたい半々で混ぜるだけ。ただしシャンパン・グラスでちびちび飲むのではなく、アイスペールにピンドンとコニャックを一本丸ごと豪快にぶち込み、ストローをさして、お客さんとホステスがいっしょにチューチューするのが、正しい飲み方だったらしい。 こういう機会でもなければ、一生飲むことはないにちがいない同行編集者によれば、ストローですすったピンドンコンは「すごく苦くて、まずかったです」。 46 クリスマス・ディナー 「ビング・クロスビーの『ホワイト・クリスマス』がワム!の『ラスト・クリスマス』に負けた年」が、家族のイベントからふたりの世界にクリスマスが変貌した転換点だったと、コピーライターの真木準さんは唱えていたが、プレゼント→ディナー→ホテルというお約束コースの中で、もしかしたらいちばんバブル当時といまとちがうのが、お食事タイムかもしれない。 85 1200年の古都に咲き乱れた毒花図鑑 バブルは日本各地の風景を一変させたが、その変化がもっとも激しかったのは京都だったかもしれない。 「なくよウグイス平安京」でおなじみ794年の遷都から1200年を記念して、90年代初頭に京都の各所で立ち上がった「建都1200年記念事業」に象徴されるように、大は京都駅や京都ホテル改築から、小は祇園の近未来的雑居飲食ビルに至るまで、古都の景観を徹底的に破壊する欲ボケ建築プロジェクトが、百花繚乱の毒花を咲き誇らせたものだった。当時京都に住んでいた僕には、それが活力の証明というよりも、命運の尽きた古都という死体が腐乱する際に起こる膨張に見えてならず、建築関係のミニコミといっしょに『京都残酷物語』と題した、景観破壊プロジェクト・ガイドブックを出版したりして、ちょっとだけ憂さを晴らしていたのも懐かしい思い出である。 89 ホテル川久 1993年には日本建築界でもっとも権威ある賞とされる村野藤吾賞を受賞。これだけの器に負けないお客様を、というわけでホテル川久は会員制を採っていた。個人会員が一口2000万円、法人会員が6000万円(!)という入会金で、宿泊は会員か、会員の紹介者に限られるという、和歌山の庶民にはとうてい手の届かない雲上人の世界だった。 いま川久は往時そのままの豪華絢爛な建築と家具調度を残しながら、1泊2食付きで2万5000円程度と、ずいぶん庶民的になったお値段の温泉ホテルとして営業中である。 133 柏崎トルコ村 日本各地に現れては消えたB級テーマパークのうちでも、これほど説得力に欠けるコンセプトは珍しかったが、トルコ村の1年前に閉園した新潟ロシア村、さらにオウム真理教のサティアン撤退後に開設された富士ガリバー王国(2001年閉園)の三大脱力系外国村が(ガリバー村は北欧をイメージしていた)、いずれも1999年に破綻した新潟中央銀行の出資によるものと知った時は驚いた。 http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/part4vip/1429611883/998
折原一死仮面文春秋 年 いつも通りの折原節にもかかわらずイマイチのめり込めんかったレベルもいつもと変わらんのに年のせいかなとそれとも好みが変わったんかなと 都築響一バブルの肖像アスペクト 年 求めたのは矢作俊彦新ニッポン百景のような毒のある文章そういえばその行動朝日書評委員を降りたとは裏腹にそれほど毒のある文を書く人ではなかったな都築さんは本書には新で取り上げられたブツのその後が扱われていて併せて読むとであります ピンドンコン バブルジャパンが発明?した泡系飲料の最高傑作はピンドンコンだろうその名のとおりピンクドンペリニョンとコニャックを混ぜたとてつもないカクテルだ作り方は簡単ピンドンとやっぱりいちばん高いコニャックヘネシーあたりが好まれたとかをだいたい半で混ぜるだけただしシャンパングラスでちびちび飲むのではなくアイスペールにピンドンとコニャックを一本丸ごと豪快にぶち込みストローをさしてお客さんとホステスがいっしょにチューチューするのが正しい飲み方だったらしい こういう機会でもなければ一生飲むことはないにちがいない同行編集者によればストローですすったピンドンコンはすごく苦くてまずかったです クリスマスディナー ビングクロスビーのホワイトクリスマスがワム!のラストクリスマスに負けた年が家族のイベントからふたりの世界にクリスマスが変貌した転換点だったとコピーライターの真木準さんは唱えていたがプレゼントディナーホテルというお約束コースの中でもしかしたらいちばんバブル当時といまとちがうのがお食事タイムかもしれない 年の古都に咲き乱れた毒花図鑑 バブルは日本各地の風景を一変させたがその変化がもっとも激しかったのは京都だったかもしれない なくよウグイス平安京でおなじみ年の遷都から年を記念して年代初頭に京都の各所で立ち上がった建都年記念事業に象徴されるように大は京都駅や京都ホテル改築から小は祇園の近未来的雑居飲食ビルに至るまで古都の景観を徹底的に破壊する欲ボケ建築プロジェクトが百花乱の毒花を咲き誇らせたものだった当時京都に住んでいた僕にはそれが活力の証明というよりも命運の尽きた古都という死体が腐乱する際に起こる膨張に見えてならず建築関係のミニコミといっしょに京都残酷物語と題した景観破壊プロジェクトガイドブックを出版したりしてちょっとだけ憂さを晴らしていたのも懐かしい思い出である ホテル川久 年には日本建築界でもっとも権威ある賞とされる村野藤吾賞を受賞これだけの器に負けないお客様をというわけでホテル川久は会員制を採っていた個人会員が一口万円法人会員が万円という入会金で宿泊は会員か会員の紹介者に限られるという和歌山の庶民にはとうてい手の届かない雲上人の世界だった いま川久は往時そのままの豪華絢な建築と家具調度を残しながら泊食付きで万円程度とずいぶん庶民的になったお値段の温泉ホテルとして営業中である 柏崎トルコ村 日本各地に現れては消えた級テーマパークのうちでもこれほど説得力に欠けるコンセプトは珍しかったがトルコ村の年前に閉園した新潟ロシア村さらにオウム真理教のサティアン撤退後に開設された富士ガリバー王国年閉園の三大脱力系外国村がガリバー村は北欧をイメージしていたいずれも年に破綻した新潟中央銀行の出資によるものと知った時は驚いた
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