何も無いロレンシア (83レス)
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65: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)03:26 ID:zJUkddjZ0(65/82) AAS
身をひねりながら着地したロレンシアは、血を振りまきながらア―ソンへと駆ける。その左腕の傷口が変色し始めていることを筆頭に、どこをどう見ても限界間近だった。ここを乗り切れば、驚異的な再生能力を持つア―ソンの勝ちとなる。
逃げるという選択肢が一瞬ア―ソンの頭をよぎった。ここを耐え切れさえすれば勝てるのだから、無様でも両腕を盾に身を丸め、攻撃に耐えながらフィアンマに吹き飛ばされた蛇たちを呼び寄せる。蛇たちがロレンシアに群がり攻撃の手が緩んだところで、槍を引きずりながらでも逃げればいい。
だが逃げるという選択肢を選ぶには、あまりにロレンシアはボロボロだった。手に持つのはナイフだけだった。たとえ胸に大穴が開いている状態でも、今のロレンシアが自分を殺し切れるとは思えなかった。村の中で嫌われ続けてプライドなどたいして持っていなかったが、自分より不利な相手から逃げ出す経験は一度も無かった。ほんの少し残っていたプライドが逃げるという選択肢を除外する。それよりも、最後のチャンスにかけるロレンシアを真っ向から捩じりふせ、貪ってみたかった。
ア―ソンは自分へと駆け寄るロレンシアに対して、迎え入れるように両腕を広げた。その太い腕は見る見るうちにその形状を変え、濡れた毒牙を輝かせるいくつもの蛇たちへと変容する。蛇が群れなす門などものともせず、ロレンシアはア―ソンの懐にもぐりつつ大きく腕を振りかぶった。
ア―ソンは勝利を確信した。どれだけ渾身の力を込めようが、ナイフ程度では自分に致命傷を与えられないから。
ア―ソンは笑った。ロレンシアの大きく振りかぶった腕から、勢いに耐え切れずにナイフが飛んでいってしまったから。
ア―ソンの笑いが止まった。ロレンシアの振りかぶった腕が見たことのない膨張を行い、その指先に異様なまでの力が込められたから。
ア―ソンは察した。ロレンシアに、リミッターが無いことを。
人は一度に全ての筋肉を使うことはできない。どれだけ全力を出そうとしても、制御機能があってそれを許さない。筋肉が力を出し過ぎて、肉離れを起こしたり腱を損傷するリスクを避けるためだ。
だが“何も無い”ロレンシアに制御機能は無かった。肉体の破壊を厭う感傷も無い。必要とあらば容赦なく全力を出し切る。
これから放たれるロレンシアの一撃は、ちゃちなナイフでは耐え切れない一撃なのだ。だがそれでも、ア―ソンは自分の肉体ならば耐えきれると背筋に寒気を覚えながらも判断した。
そしてその自信は、ロレンシアの貫手(ぬきて)の狙いが自分の下腹部だとわかった瞬間に崩れ去る。そこは駄目なのだ。そこに、その威力を放たれれば――
ボールを投げ込むように左足を大きく踏み込ませ、低い重心から放たれた貫手はア―ソンのウロコを突き破る。その威力はロレンシアの爪を割り、指が脱臼するがそれでも止まらない。止めようにもア―ソンは痙攣し、ロレンシアへ牙を突き立てる余裕など皆無だった。突き進み続ける指先は互いの肉を傷つけ、やがて目的のものをつかみ取り、そして引き抜く。
折れ曲がり、花弁のようになってしまったロレンシアの手。紅い蜜を垂らす手の中に、人間の胎児と蛇を混ぜ合わせたかのような奇妙な生物がいた。
「ナ、何故……?」
手の中でもがきながら、ソレは甲高い声をあげる。
これこそがア―ソンの声が甲高く、それでいてくぐもっていた理由。顔を切られても、胸を貫かれても生きていられる理由。
ア―ソンの正体は、そのでっぷりとした脂肪の奥に隠れ潜んでいたこの奇妙な生物だったからだ。
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