何も無いロレンシア (83レス)
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1: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:25 ID:zJUkddjZ0(1/82) AAS
プロローグ

 彼には何も無かった。

 これを聞くと笑う者がいる。

 何を言う。そいつに目は無いのか? 耳は無いのか? 命は無いのか? 何かあるんだろ? 大げさに言いやがって。

 そう笑い飛ばした者も、彼を直に見ると凍りつく。
省10
2: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:28 ID:zJUkddjZ0(2/82) AAS
※ ※ ※

 その街が盗賊団に襲われたのは二日前のことだった。

 人口二千人ほどであったが、平和であったことから大都市への中継地点として人々が行きかい、街の規模以上の富が集まっていた。

 別に無防備だったわけではない。

 人々が集まるということは問題ごとも起きやすくなる。怪しい者を入れないための城壁は当然あった。街の治安を守る衛兵もいる。時には殺人が起きたが、平穏が乱されるのは一時的なことに過ぎなかった。
省17
3: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:29 ID:zJUkddjZ0(3/82) AAS
※ ※ ※

「ハッ……ハッ……ハッ!」

 息遣いがうるさかった。

 ドクン、ドクンドクンドクンドクンドクンドクン。

 心臓の鼓動がうるさかった。
省28
4: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:30 ID:zJUkddjZ0(4/82) AAS
 木々をかき分け、開けた場所に出ると同時に頭を抱えて転がる。

 俺の突然の動きに驚く“奴”を、射線上から邪魔な俺がいなくなった仲間が次々と射ぬく――はずだった。

「…………は?」

 何も、起きなかった。

 風を切る矢の音も、“奴”の悲鳴も、仲間の歓声も無い。
省15
5: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:30 ID:zJUkddjZ0(5/82) AAS
 人を不幸にしなければ生きていけない盗賊の俺ですら吐き気をもよおす腐臭を、ソイツは全身から放っていた。

 全身を大きな外套で身を包み、その体格ははっきりとはわからない。かろうじて背丈が一七〇半ばと予想できる程度か。

 黒い髪。泥沼のような瞳。

 にわかには信じがたいが、歳の頃は二十歳に届くか届かないといったところ。

 外套からわずかにのぞかせる右手に血に染まった剣を持つが、俺の視線は恐ろしいはずのその切っ先に定まらず、外套の下にどんな恐ろしいものが隠されているのかと必死に探してしまう。揺らめく外套を見ている内に視界が歪み、頭の中がぐわんぐわんと鳴き叫ぶ。
省15
6: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:31 ID:zJUkddjZ0(6/82) AAS
「疑問は解けたな。では俺の質問に答えてもらう」
 
 別に切っ先を向けられたわけではない。そしてかろうじて俺の手には獲物がある。

 けどもう、今のやり取りでほんの少し残っていたかもしれない気力も、完全に無くなってしまった。

「オマエたちの人数は何人だ。拠点に残っていたものと、今回の襲撃に加わった者を別々にな」

「……拠点には三人。襲撃には二十六人が加わった」

「オマエたちの首領は猫背で髭のある、茶色がかった髪の男か?」
省12
7: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:32 ID:zJUkddjZ0(7/82) AAS
※ ※ ※

「――――殺して」

 目こぼししてもらえるかもしれない。少し考えればそんな希望、通るはずがないものだった。

 内心こんな“奴”にと歯噛みしながら、機嫌を(そんなモノがこの男にあるのか疑わしいが)損ねないように丁寧に姉妹のもとへと案内する。

 “奴”が大男のバルザが気合いを入れて動かした岩をあっさりとどかすと、俺が視界の隅で記憶した通り姉妹の姿があった。
省17
8: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:32 ID:zJUkddjZ0(8/82) AAS
 剣を肩に乗せ、“奴”が俺の目の前に立つ。

 “奴”の腕ならば、次の瞬間にも俺を[ピーーー]ことができる。

 許されるのは一言だけだ。

 でも恐怖でいっぱいの頭は、気の利いたセリフなんてひねり出してくれなかった。 

「どうか……どうか、命だけは」
省17
9: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:33 ID:zJUkddjZ0(9/82) AAS
「そうか。じゃあ最後の確認だ」

 それはまるで、今日の天気を確認するかのような軽い口調だった。

「オマエの利き腕は、右だな?」

「――――え?」

 え? という言葉が漏れたのと、地面をゴツゴツしたモノが転がったのは、果たしてどちらが先だっただろうか。
省18
10: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:34 ID:zJUkddjZ0(10/82) AAS
※ ※ ※

 こうすればどうなるか予想できていた。

 背後で立ち上がる音に、手が届きやすいようにとやや前かがみで振り返る。

 予想通り、頬に衝撃がはしった。
 
 ああ、やはりこうなるんだ。

 自分に求められていること。自分がやりたいこと。自分が為すべきこと。
省19
11: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:34 ID:zJUkddjZ0(11/82) AAS
 楽しいから生きたい。楽しめなくなる死が怖い。

 多くの罪を犯し、断罪の刃が目の前に迫ってなおそう思えるほど、奴の人生は楽しいものだった。

 これでやっと終われるなど、微塵も考えなかったんだろう。

 それのなんと羨ましいことか。

 そしてそれを、多くの人が当たり前のように享受している。
省13
12: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:35 ID:zJUkddjZ0(12/82) AAS
 まるで俺がとんでもない提案をしたかのように、女は目を見開いて後ずさる。あまつさえ体を小刻みに震えさせてまで。

「奴が逃げ出して時間は経ってしまったが、何せあの傷だ。血は失い、体のバランスも以前とは違って思うように走れない。血の痕跡もあって追いやすいだろう」

「で、でも……」

「オマエは疲れているだろうが、奴だって傷ついている。さらに奴は負け犬で、一方のオマエは怒りに満ちている。奴の方が争いごとに向いていることを差し引いても、勝ち目は少なくない。それに安心しろ。[ピーーー]手伝いはしないが、反撃でオマエがやられそうになったら割って入る」

 あれほど奴を憎んでいた。そしてその怒りは正当なもの。ならばそれを助けるのが人というものかと思っての提案だ。
省25
13: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:36 ID:zJUkddjZ0(13/82) AAS
※ ※ ※

「目付け役がいてな。途中から置いてきてしまったが、道すがら目印は用意していた。多分もうじきここに来るだろう。奪われた物を運ぶのに人手も必要だから、そいつ等と合流してから帰る」

「……そう」

 俺の言葉に妹は関心なさげに相槌を打つ。先ほどまで姉に泣きすがっていたが、今は無表情にただ姉を抱きしめている。

 回収した物品のことを置いておいても、こんな状態の二人を街まで連れ帰るのは俺一人では無理だ。
省12
14: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:36 ID:zJUkddjZ0(14/82) AAS
 盗賊団の生き残りではない。茂みへの距離は約十メートル。こんな近くに接近されるまで気づかせない隠形の業を、奴ら程度ができるはずがない。

 血の匂いに惹きつけられた狂人か、俺の首を狙う賞金稼ぎか。考えにくいが、“魔に心を呑まれたモノ”の可能性すらある。いずれにしても只者ではない。

 とはいえ、これ以上のことは対峙しなければわからなかった。

 姿の見えない相手に向けて、やや早足で近づく。

 反応は無い。距離が縮まっても茂み越しに攻撃するわけではない。なら茂みをかき分けた瞬間を狙うつもりか。
省13
15: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:37 ID:zJUkddjZ0(15/82) AAS
※ ※ ※

 あれから目付け役も追いつき、何事も無く――妹の俺に向ける敵意から、目付け役たちが俺にあらぬ疑いをかけはしたが――街まで戻ることができた。

 城主伯の遣いである執事が大喜びで出迎えてくれた。

 それはそうだ。この街は『安全』という信用で成り立っている。盗賊団に襲撃されたのは痛いが、わずか二日後に盗賊団を壊滅に追いやり、さらわれた街の者も生きたまま取り返すことができた。その信用は首の皮一枚つながったと言える。

 もっとも、大喜びなのは俺が持ち帰った戦果に対してのことで、俺自身に対しては慇懃ではあるものの、侮蔑や嫌悪を必死になって隠そうと躍起になっているのが見て取れた。
省24
16: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:38 ID:zJUkddjZ0(16/82) AAS
 俺に礼を言えないことなど、どうでも良かった。

 そんなことよりも注目すべきことがあるのだから。

「俺に礼を言わなければならない。助けてもらったのに非難したことを謝らなければならない。けどこんな奴に、そんなことしたくない。でもしなければならない。そして――命の恩人に、形だけの礼なんて失礼極まりないことをするわけにもいかず、固まっている」

「……っ」

「別に礼を言う必要は無い。ここまで誠意を見せてもらったのは、ずいぶんと久しぶりだから」
省21
17: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:38 ID:zJUkddjZ0(17/82) AAS
「俺が引き受けた依頼と、その結末をいくつか話そう」

 一つは家族を皆殺しにされた少年が復讐を誓い、鍛錬を積み、さらに助けとして俺を雇った時のこと。途中で俺は犯人の正体に気づいた。殺されたはずの少年の姉が、魔に心を呑み込まれて変わり果て、少年以外を皆殺しにしたことに。

 少年は自分の手で犯人を[ピーーー]ことを何年も夢見ていたが、俺は少年に姉殺しをさせるのはどうかと思い、依頼を無視して俺がこの手で殺した。正気を失った少年は俺に襲いかかるが、敵わない。そして俺に吹き飛ばされ、怒りと無力感でさらに正気を失いかけたよりによってその目の前で、異形と化していた姉が元の姿に戻ってしまった。無残な死体の姿でな。

 少年は喉が裂けるほどの絶叫をあげた。そしてその場は、濃厚な魔で満ちたままだった。吸い込まれるように魔は少年の体に潜り込み、俺の前で見る見るうちに、姉以上の異形の姿へと成り果てていった。

 そして、俺に殺された。
省21
18: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:39 ID:zJUkddjZ0(18/82) AAS
「……そんな顔をするな」

「……だって」

 今にもこぼれそうなほど目じりに涙をためた妹に、ため息をつく。

 同情は嫌いだ。

 同情された事なら何度かあるが、手を差し伸べられたことなど一度も無いのだから。
省10
19: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:39 ID:zJUkddjZ0(19/82) AAS
※ ※ ※

「一度だけ、警告しよう」

 営門を出てしばらく歩き、人気が無い街道でのこと。

 俺以外に誰もいない。

 誰の気配も感じない。
省16
20: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:40 ID:zJUkddjZ0(20/82) AAS
――もしかするとすると魔法か?

 魔に心を呑まれたモノだけが起こせる超常の力。それが魔法。

 魔法を扱える者と会ったことはこれまで三度しかない。それほど魔に心を呑まれたモノはマレで、さらに生き延びられる者は限られるからだ。

 というのも、魔に心を呑まれた時点で例外無く異端であり、その瞬間全ての人間の敵となる。魔に心を呑まれたモノが同じ村の住民で、親戚であっても容赦などしない。

 魔に心を呑まれたモノはもはや人間ではないという教えがどこにでもあり、実際下手に情けをかけて見逃そうものなら、何百何千という犠牲者が出ることになる。
省20
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