何も無いロレンシア (83レス)
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31: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:48 ID:zJUkddjZ0(31/82) AAS
※ ※ ※

 林の中に入ると、肌を突き刺すような冷たい感覚が起きた。それはイヴにも生じたのだろう。俺たちは無言で視線を合わせる。

 とはいえこの程度で止まるわけもなく、無言のまま進んでいくと徐々に肌を突き刺す感覚が強くなっていく。まるでこの林そのものが敵で、間近から殺意を浴びせられているかのようだ。そしてこの現象に心当たりがあった。

「おい……ここは異界になりかけているかもしれん」

「異界?」
省18
32: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:49 ID:zJUkddjZ0(32/82) AAS
「話に聞く異界侵食は、異界の主のためだけに創造されるもの。そこに調和という言葉は無い。けどここは、おそらく標的が来る前と大きな変化が無い」

 イヴの言うとおりなのだろう。肌を突き刺す冷たい感覚を除けば、ここはいたって普通の林の中だ。木を見上げると、俺の視線に気づいたこの地域の鳥が羽ばたいて逃げていく。木も鳥も、異界侵食の影響を受けているようにはまるで見えない。

 いや、そもそもこの肌を突き刺す感覚ですら、マリア・アッシュベリーを[ピーーー]ことを完全に諦めてしまえば消えてなくなりそうだ。

 異界侵食は周囲の環境を侵食汚染し、支配する。だがここはまるで、周囲の環境が自ら進んでマリア・アッシュベリーを守ろうとしているのかもしれない。

 そんな奴が、いるのか。
省25
33: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:49 ID:zJUkddjZ0(33/82) AAS
※ ※ ※

 そこは、絵画の世界だった。

 いや、伝説の一場面であった。

 ああ、それでも足りないか。

 ここは、神話なのだ。
省2
34: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:50 ID:zJUkddjZ0(34/82) AAS
 女が泣いている。

 彼女はたおやかな手で顔を覆い、草むらにしゃがみ込み悲しみに暮れていた。

 凍てついた彼女の心を温めようと、木々はその身をどかし暖かな陽光を彼女へと導く。

 鮮やかな色を誇る蝶たちが彼女を中心に舞い、小鳥は彼女の肩で歌を奏でる。

 それでも彼女は泣いていた。
省21
35: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:51 ID:zJUkddjZ0(35/82) AAS
 背丈は一六〇半ばで、年はシモン・マクナイトに聞いていた通り二十歳程度。その髪は膝を着いていると地面にふれそうな長さで、蜂蜜色のそれは陽光の下で黄金の如き輝きを放っている。

 涙を流し悲しみ暮れるその様子は、何をしたわけでもないのに罪悪感と、無尽の献身を舞い起こすものなのか。その神秘さは、鳥や蝶ならず木々にさえ影響を及ぼしていた。

 村娘のように青と白のコットを重ねて着ており、緩やかな服の上からでもふくよかな肉付きをしているのが見て取れた。だが彼女は世間知らずのただの純粋な村娘などではない。

 その美しさは絶世の美女であるイヴ・ヴィリンガムに匹敵するだろう。しかしそれだけなら、俺が見惚れることはありえない。

 気品のせいかと思ったが、彼女から感じられるものは純朴さであって、気品においてはイヴに軍配が上がる。
省20
36: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:51 ID:zJUkddjZ0(36/82) AAS
 別に教える必要は無い。むしろやる気が無くなりつつあるとはいえ、姿を隠しているイヴと共に彼女を殺そうとしていたのに、彼女に気力を与えてどうするというのか。

 しかし何故だろう。彼女の周りにいる小鳥や蝶たちではあるまいし、このまま彼女を悲しみに暮れさせるわけにはいかないという想いでも湧き出たのか、気づけば口にしていた。

「本当……ですか? 良かった……本当に、良かった。私は、てっきり」

 それ以上は言葉にならず、悲しみではなく安堵の涙を流し始める。

 その姿を見て、なぜシャルケが彼女をかばおうとしたのかがわかった。
省20
37: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:52 ID:zJUkddjZ0(37/82) AAS
「シャルケがオマエを狙ったのは、オマエを[ピーーー]依頼を十億で引き受けたからだ。そして俺も雇われた一人でね。もっとも、なぜオマエに十億もかけられるのかは知らんが」

「……嘘、ですよね?」

 つい先ほど一生ものになりかねないトラウマを負ったばかりだというのに、それがもう一度襲いかかろうとしているからだろう。彼女は泣きながら笑っているような顔で、青ざめた唇から祈るように囁く。

 まあ実のところ、嘘といえば嘘である。もう俺はあまりやる気がなかった。

 しかし奴は――イヴ・ヴィリンガムはどうだろうか。元からマリアは隙だらけだったが、今はもう放っておいても死ぬのではというほど無力に見える。奴ならば、次の瞬間にでも最初からそこにいたかのように現れ、音も無くマリアの喉元を引き裂きかねない。
省21
38: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:52 ID:zJUkddjZ0(38/82) AAS
「自分が何者かわからない……か」

 それは、俺もだった。

 たったそれだけの共通点。けれどそれは二つの選択肢に悩んでいる俺にとって、十分すぎるほどの後押しだった。

 決めた以上、迷いは無くなった。たとえこれから、どのような地獄を歩むとわかっていても。

 剣の切っ先をそっと柄に納める。しかしすぐに抜けるように、柄には手をかけたままで、どこにいるとも知れぬ“かぐわしき残滓”に宣言した。
省23
39: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:53 ID:zJUkddjZ0(39/82) AAS
 二年前。夜の冷たい風にかき消されそうなか細い、しかし尋常じゃないほどの情念が込められた問いが思い起こされる。

――私は信じています。だって

 俺はあの時の問いに、考えたこともないし興味もわかないと答えた。アイツはそれに、死蝋の如き顔なのに目だけは爛々と輝かせ――

――神がいないのなら、私は誰を恨めばいいんですか?

「あの……どうしたのですか?」
省5
40: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:54 ID:zJUkddjZ0(40/82) AAS
「あ、あの! お願いです、待ってください!」

 きびすを返そうとする俺を、マリアは懸命に呼び止めた。

「わけもわからず命を狙われて心細いのはわかるが、頼る相手を間違っているぞ」

 彼女からすれば俺は味方に見えたことだろう。でも俺を味方にしようとした奴は、割り切った金の関係以外は全員悲惨な目にあってしまう。

「俺は夜の湖だったか。言いえて妙だな」
省17
41: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:54 ID:zJUkddjZ0(41/82) AAS
※ ※ ※

 マリア・アッシュベリーの敵ではないと見なされたのだろう。林の中を通っていても、生々しい幻覚に襲われることはなかった。

 そして林を抜けると、横たわるシャルケの傍らに佇む女が出迎えた。

「何か弁明はありますか?」

「何も。あるとすれば謝罪だけだ。すまなかった」
省20
42: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:55 ID:zJUkddjZ0(42/82) AAS
「まあ冗談はこれぐらいにしておきましょうか。私は寛大ですから、これからする質問に正直に答えれば、裏切ったことについて不問に処します」

「寛大ねぇ」

「不服でも?」

「いいや。正直に答えましょう」

 俺を殺そうとするのではなく質問で許すのは、寛大だからではなく別の理由があってのことだろうに。
省22
43: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:56 ID:zJUkddjZ0(43/82) AAS
「あ、それと」

 何故かピタリと歩みを止め振り返った彼女は、真剣に、そしてとてつもない質問をした。

「マリア・アッシュベリーに本当に惚れたの?」

「……冗談で言ったわけじゃなかったのか」

 イブの罵声というには幼稚な発言を思い出し、本気だったのかと驚く。 
省26
44: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:56 ID:zJUkddjZ0(44/82) AAS
※ ※ ※

 あれからどれぐらい時間がたっただろうか。空を見れば、日が沈みかけている。茜色の空から降り注ぐ日差しはまだ暖かく、まるで今の私の胸の心境のようだった。

「とても、キレイだったな……」

 その人がどういった人間なのか。一目でわかることに気づいてからまだ一年も経っていない。それまでお父さんと二人きりで生きてきたから気づきようが無かった。

 誰でもわかるわけではない。これまでの体験からなんとなくわかってきた条件は、私と波長が合うか、極めて強い意志を持っていること。どちらかの条件を満たしている人は数百人に一人ぐらいで、そういう人と出会えるのが楽しみだった。
省24
45: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:57 ID:zJUkddjZ0(45/82) AAS
 ある考えが閃いた。あれほど強く鮮烈なイメージが見える人なら、離れていてもわかるかもしれない。

 多分あれから経った時間は三時間ぐらいだろう。山のふもとにある街に彼はいるかもしれない。

 その時、私はワクワクしていた。これだけ離れていても彼がわかるのなら、彼の意志が強いだけでじゃなくて、波長まで合っていることになるかもしれなかったから。

 だがらイメージが見えた時、私は本当に嬉しかった。拳を握って、やったと口にする瞬間だった。

「えっ……」
省23
46: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)02:59 ID:zJUkddjZ0(46/82) AAS
〜第二章 逸脱の始まり〜

 うつ伏せの姿勢で硬い感触を味わっている。冷たい雨に体を打たれ、濡れそぼった衣服がこの身を縛る。血が流れる左頬だけが熱く、石畳に反射した雨粒がぶつかり痛みを染み込ませていく。

 久しぶりに見る夢だ。久しぶりだが、この夢は何度も見ている。夢うつつの中で、だいたい一年ぶりだろうかと数えた。懐かしさも親しみも無い、過去にあった出来事の追憶をぼんやりと味わう。

 まだ体が小さな頃の事。窓が一つだけの、諦観と汚臭に満ち満ちた大部屋から抜け出したものの、ガラの悪い大人たちに殴り飛ばされ金目の物を奪われた後のことだ。殴られた衝撃が引かないまま、雨に体温が奪われろくに頭も働かず呆然と倒れたままでいると、目の前の水たまりにパンが落ちた。

 見上げるとそこには、ニヤニヤと笑う裕福そうな男がいた。男はゆっくりと足を上げる。足を降ろす先は、泥水で汚れたパンがあった。
省16
47: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)03:00 ID:zJUkddjZ0(47/82) AAS
 足元にあった拳ほどの大きさの石を拾うと、両手で顔をかばう発起人に飛びかかり、何度も何度も腕の上から石を叩きつけた。やがて腕がダランと下がると、今度は頭に振り下ろし、目をつぶし鼻をつぶし口をつぶした。

 そして男の息が止まると同時に、石を振り下ろすのを止めた。  

 そうしてしばらくの間、引き続いて俺は腫物を触るように扱われた。俺を排除しようにも、一人や二人でやる勇気が奴らには無かった。それ以上の数となると、まとめる者が必要となる。発起人の無残な死に方を知らない住人は誰もおらず、そんなことを引き受けようとする奴もいなかった。

 俺は最弱だったが、路地裏の支配者となっていた。残飯を貪り、体を少しずつ大きく逞しくした。

 やがて新たな面倒ごとが俺のところに来た。路地裏は薄汚い取引の場所に都合よく、路地裏の支配者である俺を部下にしようとする男がいた。男はマフィアの幹部で、あの日俺にパンを投げ捨てた男だった。
省12
48: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)03:00 ID:zJUkddjZ0(48/82) AAS
※ ※ ※

「……ふん」

 目覚めたのは追憶が終わったからか、仮眠が十分とれたからか。あるいは離れた街の門の方から、犬や鳥などの小動物がざわめく気配を感じ取ったからなのか。どれであっても構わなかったが、久しぶりに見た夢につい鼻を鳴らす。

 さて、久しぶりに子ども時代の夢を見たのは何故だろうか。硬いベッドを軋ませながら上体を起こし、みずぼらしい部屋の中で窓を見る。眠りにつく前に兆候はあったが、空が薄暗く染まりひんやりとした外気があちらこちらの隙間から流れ来る。雨が降るのを感じ取ったから、雨が降る夢を見たのだろうか。

「違うな」
省14
49: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)03:01 ID:zJUkddjZ0(49/82) AAS
 海千山千の店員と、ガラの悪い男たちが一階にたむろっていたが、修羅場を経験しているだけあって今は息を押し殺している。本当は駆け出して逃げたいのだろうが、それができない事情もあるのだろう。そいつらを意も介さず、重量のある物体が宿に入り、そして階段へと向かう。

 腰かけていたベッドから立ち上がりながらため息をつく。正直、もう少し思索にふけっていたかった。彼女について考えていたかった。

 革鎧を身に着けながら耳を澄ませていると、階段を上がる音が奇妙なことに気づく。ズルリベチャリと、湿ったような音。粘度が高いものを階段から下に零した時の音を、階段を上がりながら立てているかのようだった。
 
 階段の軋む音から相当な重量があると察せられるソレは、階段を上がり終わるとゆっくりとこの部屋へと近づく。そしてとうとうドアの前に立ち止まったソレは、ドアを叩いて鈍い音を響かせた。

「今手がふさがっていてな。鍵はかかってないから勝手に入ってくれ」

 外套を身にまといながらそう声をかけたのに、ドアの前のソレはまたノックする。腰に剣を着けて、壁に立てかけておいた予備のもう一本を手に持ちながら仕方なくドアへと向かう。
省13
50: ◆SbXzuGhlwpak 2019/06/01(土)03:01 ID:zJUkddjZ0(50/82) AAS
 魔に心を呑まれたモノ、“深緑”のア―ソン。

 今からたしか二年ほど前。南西の小さな村で、住民全員が緑色に膨れ上がって死んでいる事件があった。悪臭が漂う中での調査で、村の名簿七十六人に対して死体が七十五であることがわかる。見つかっていないのが誰なのか調べようにも、死体はどれも誰であったかわからない惨状で、村に何度も出入りしている行商人に立ち会わせても見分けがつかなかった。しかし行商人は、村の嫌われ者ア―ソンが怪しいと思うと衛兵に告げる。

 捜査には教会も協力していて、捜査結果からア―ソンが魔に心を呑まれたと判断を下し、聖騎士ベンジャミンに討伐を命じた。

 ベンジャミンは代々聖騎士を輩出してきた名家の跡取りであり、その名に恥じぬ武芸に秀でた美丈夫である。彼が仲間の騎士と従騎士、合わせて十二名で出立した際には、大勢の婦女子が中心となって歓声をおくった。

 そして一ヵ月後、端正な顔立ちを緑色に膨らませ、はらわたが何十という蛇に巣食われた状態で発見されることとなる。
省20
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