不幸病にかかった。余命半年、初めて好きな人ができた。 (89レス)
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1: プロタゴラス 2019/02/04(月)22:32 ID:LXX+6+Jq0(1/11) AAS
油蝉が、窓の外の大きな桜の木で鳴いている。医者がカルテと僕の顔を何度か往復させると、静かにその病名を伝えた。

「不幸病」

不幸であることだけではない。人生に無気力で、何も目的もなく、幸せというものを感じることができなかった。
2: プロタゴラス 2019/02/04(月)22:36 ID:LXX+6+Jq0(2/11) AAS
「そう落ち込むことはありません。幸せに感じれないのは、心が病にかかっているからです」

僕は医者のその言葉を、ただ黙って聞いていた。

「……ですが、この病には今、真っ当な治療法が確立されていません。となると、やはり対処療法ということになります」

「長ったらしい話は結構です。僕の余命はあとどのくらいなのですか?」

「…………半年、持てばいいでしょう」
3: プロタゴラス 2019/02/04(月)22:41 ID:LXX+6+Jq0(3/11) AAS
半年

馬鹿らしい、と思った。実に馬鹿らしい。
17年棒に振った人生が突然、あと半年しか生きられないと言われた瞬間に、悔いへと変わるのが分かった。そして、馬鹿らしい、と心の中で吐き捨てた。

「とりあえず、幸福増進剤の注射と、思考洗浄、あとは不適切なマスメディアとの接触を避けてください」

そう言われると、僕は診察室を後にした。

制服のまま、僕は診療所の席に座った。地面についた染みを眺めて、そして笑った。目から涙が出た。嬉し涙だった。おそらく周りから見れば、不幸の病を知らされて、さぞ絶望しているのだろう、と思われることだろう。現に、僕の横にいるひとりの老人が、静かにハンカチを差し出した。あえて無視をして、そのまま下を向いていた。
4: プロタゴラス 2019/02/04(月)22:48 ID:LXX+6+Jq0(4/11) AAS
支払いを終えたら、まっすぐ、僕は学校へと向かった。到着するまでには、僕がこの病気にかかったことがすぐに知れ渡るだろう。

不幸病は、実に恐ろしい病気だ。
人の心が、うまく物事を整理できなくなって、そしてある日、それが突然自らへの攻撃へ変貌する。幸せを認識できなくなり、覆い隠せないほどの絶望感とともに、膨らむ。そして、必ず自殺をする。

致死率100%。治療法は存在しない。

それが、この病が鬱と違う理由だった。
心の病でありながら、100%死ぬ。
この病気が学会で公認されてすぐ、政府は幸福増進委員会なるものを設置した。

国民が幸せでいること。幸せと感じることを使命とし、監視をしていた。かれらは、社会不適合者の収容所送りと、不幸病患者の回復を仕事としている。回復、と言っても、半ば実験に近いような、拷問によく似た洗脳だった。
5: プロタゴラス 2019/02/04(月)22:53 ID:LXX+6+Jq0(5/11) AAS
社会は、仮初めの幸せに染まった。
無論、犯罪者の取り締まりが強化されたことも大きい。しかし何より、不幸になった人間たちを「幸福」にして社会復帰させることで、全てはうまくいっているように見えていたのである。

誰もが幸せだと感じ、幸せであることを望む世界。理想郷が実現した、とまで言われるようになっていた。

僕は、そんな社会のことを、心の底から憎むようになっていた。
6: プロタゴラス 2019/02/04(月)23:01 ID:LXX+6+Jq0(6/11) AAS
玄関で立ち止まり、時計を見た。12時を少し過ぎていた。インターフォン越しに、学校に到着したことを告げる。

「2-8 北見 誠治。今着きました」

扉がカチリ、と音を立ててゆっくりと開く。靴を脱ぎ、校舎の中へ入る。下駄箱の中は相変わらず汚い。他の人のところは綺麗だが、僕には、自分の靴箱だけが汚く見えた。不幸病の典型的な疾患の一つだ。上履きを履き、教室へと向かう。

クラスメイトたちは、似たような顔で、大げさに心配して見せていた。「大丈夫か?」「かわいそうに」「どうして北見くんが…」

教師が一つ声をかけると、クラスにまた静寂が戻る。化学の公式を覚えるごとに、皆妙に嬉しそうだった。先生の話も、窓の外から見える景色も。教室の隅に植えられた花瓶の花も。
省1
7: プロタゴラス 2019/02/04(月)23:11 ID:LXX+6+Jq0(7/11) AAS
それからの話は、割愛しよう。機会があればまた書こう。僕の日常は、たしかに「不幸病」という言葉によって全て説明がつくようになったが、それ以外に面白いことは何もなかった。ただ、病気になって、死が近づいてくる、実感のないカウントダウンだった。

一ヶ月も経つと、夏休み一週間前のソワソワとした空気が学校を覆っている。

楽しそうな風景をよそに、手元で回していた万年筆の先からほんの少しインクが飛んだ。隣の席のショートカットの女子の髪の毛にそれがついた。彼女は僕のことを睨みつけたが、すぐに笑顔でそれを拭き取った。「大丈夫だよ」

不気味だ、と思った。

だがそれは、僕の心の中の感情でしかない。病によって生み出された、意味のない乾燥した感情だ。
省3
8: プロタゴラス 2019/02/04(月)23:27 ID:LXX+6+Jq0(8/11) AAS
都市部から車で3時間ほどの場所だ。
大きな湖と、矢野山という、標高1000メートルくらいの山に囲まれた、村落。

そこが僕の生まれ故郷だった。

窓の外では、田畑で仕事をする村人たち、野鳥を追っている野良猫。虫かごと網を持って隊列を組んだ小学生たちが意気揚々と山へ向かっていく。そんな風景があった。

実家に着くと、祖父も祖母も、僕の病気のことをひどく心配していた。ただ、返す言葉もなく、聞きながら生返事を返すので精一杯だった。

冷蔵庫から麦茶取り出し、カップ一杯のそれを一口で飲み干すと、僕は黙って外へ出た。蒸し暑いのは分かりきっていたが、それ以上に病気だと言われるのが嫌だったからだ。
9: プロタゴラス 2019/02/04(月)23:34 ID:LXX+6+Jq0(9/11) AAS
行くあてが無いわけでは無かった。
小学校時代の知り合いの家に挨拶に行くことだって考えた。だが、こんな暑い中、長い距離歩く気にはならない。最終的に、家から徒歩20分くらいの場所にある図書館で時間を潰すことにした。日はまだまだ高く、幸いにも、それだけの時間を潰せるだけの本がそこにあったからだ。

小さい時から、あまり外の世界に関心を持たない性格だった。それこそ、「不幸病」なんて言葉ができる前なら、あまり取りざたされないような、その辺にある石ころみたいな人間だった。なにかをしたり、されたりすることに関心がなかった。当然、そんな性格の人間にまともな友達なんてできるはずもなかった。

だから、本に熱中していた。
本を読んでいる間は、他の全てを受容する必要がないのが、何より嬉しかった。風景も人間も、その本の世界にだけ集中すればいいのだ。だから、僕にとってそれはとても楽なことだった。

今回の場合も、僕は図書館で適当に本を3、4冊選んで、読書スペースの机の上にそれを重ねた。文字を追いはじめると、次第に周囲から物が消えていくような感覚になった。一人だけの静寂。本をめくる乾いた音だけが、それが本の世界であると気づかせてくれる唯一のものだった。
10: プロタゴラス 2019/02/04(月)23:44 ID:LXX+6+Jq0(10/11) AAS
どれくらい経っただろう。天窓から差していた日の光はすっかり沈んでいた。結局、2冊目の7割くらいのところで、僕は切り上げた。

本を元の場所に返す作業は、我ながらすっかり慣れていた。昔、ここの司書になりたいと思っていた時があるくらいだ。どの棚にどの本があるのか、大体の検討はついていた。

これを繰り返す日々。
それで十分だ、と思っていた。

最後の本をしまい終えて、立ち去ろうとした。すると、

「誠治……くん?」
省1
11: プロタゴラス 2019/02/04(月)23:46 ID:LXX+6+Jq0(11/11) AAS
誰の声だろう、と頭の中を巡らせるが心当たりがない。その声は女性らしかったのだが、僕が女性と話すということはほとんど無かったからだった。逆にいうと、話したことのある女子たちのどの声とも、その声は違って聞こえていたのである。

顔を見せたくなかったが、僕はとうとう諦めてそちらを振り返り、声の主を見た。

ワンピース姿の、本を抱えた一人の少女。首からフィルムカメラと思しきものをぶら下げている。

あぁ、と僕は思い出した。あんな古めかしいものを持っているのは彼女しかいない。

「……久しぶり、由美だよ。覚えてるかな?」
省1
12: プロタゴラス 2019/02/05(火)22:36 ID:KZmdLK6f0(1/10) AAS
図書館近くの公園に、僕らは腰を下ろした。山の向こうに沈んだ夕日が、そのシルエットを湖に照らしているのがよくわかる。移動販売の屋台でアイスを買い、その場に腰を下ろして頬張った。

「帰ってくるなら、教えてくれればよかったのに」

どうやって教えるというのだろう。僕はここから引っ越す時、誰とも連絡先を交換しなかった。小学校時代の連絡網を見ればわかったのだろうが、それをして、もし誰も出なかったり、あるいはとっくに引越しをしていて、全くの赤の他人がそれに出た時のことを想像すると、僕は怖くなってできなかったのだ。

それに、連絡をしたからといって会えるとも限らない。
13: プロタゴラス 2019/02/05(火)22:41 ID:KZmdLK6f0(2/10) AAS
「急に帰ることになったから、時間がなかったんだ」
「そっか……まぁ、しょうがないよね。みんな忙しいし」

小さな嘘をついたの僕をあざ笑うかのように、夏の大三角がゆっくりと姿を現した。

「懐かしいなー。覚えてる? 二人でここの広場で本を読んでたの」

言われて初めて、蘇る記憶。
14: プロタゴラス 2019/02/05(火)22:42 ID:KZmdLK6f0(3/10) AAS
生まれつき運動が苦手だった僕は、小学校の遠足でここに来て遊んだ時も、滑り台の下にある小さなトンネルのような場所で、本を読んでいた。
その時によく話しかけてきたのが、由美だ。彼女は僕と似たような境遇というわけではなかったが、本が好きだという点で似ていた。

当たり前の幸せを疑ったり、空の色を疑ってみたりすることが好きだという、特殊な人種の僕に、まさか似た友達がいたなんて信じられなかった。

だが、彼女と読んだ本……「少年の日の思い出」なんかは、特に印象に残っているのを覚えていた。読み終えた日の二人で共有したあの達成感。トンネルから出た時の風の気持ち良さ。そういうものが脳裏にまとまって蘇るみたいな感覚だ。
15: プロタゴラス 2019/02/05(火)22:54 ID:KZmdLK6f0(4/10) AAS
「忘れてはいないよ。でも、今の今までは忘れていたみたいだ」

嘘も真実もくちにしないように、僕は濁すような言葉を選んでそういった。

「……変わんないね」

由美は素っ気なく言った。

「何をしても、棒みたい」
省6
16: プロタゴラス 2019/02/05(火)23:00 ID:KZmdLK6f0(5/10) AAS
「被写体とカメラマンって、時に恋仲になることもあるでしょ?」

彼女がよくいっていたセリフだ。

もしかしたら、彼女は僕に気があるのかもしれない。いや、多分あるのだろう。似たような会話は何度もしていたし、その度に僕は聞き流すようにしていた。理由はよく覚えていない。

肩まで伸ばした髪と、透き通るような肌。低い身長のせいで、同い年とは思えないくらい、幼く見えるが、精神はすっかり大人の女性のそれだった。

「棒に恋して、何になるんだ?」
「分からない。だから、知りたいの」
17: プロタゴラス 2019/02/05(火)23:01 ID:KZmdLK6f0(6/10) AAS
彼女は突然立ち上がり、僕の腰の上に、向かい合うようにしてまたがった。誇示するように腰を動かし、いやでも意識がそこに集中する。体は倒れ、手の先に先ほどまで握っていたアイスは、地面にべとりと落ちていた。

白いワンピースの下に、わずかに下着のラインが見える。吐息はとても近い。麦わら帽子を首から下げながら、由美は僕を、もたれるように押し倒した。

「興奮してるの?」
「いいや、まったく」

彼女は、僕の言葉を遮るように二回キスをした。1度目は浅く、2度目は深く。押し込むように舌を絡めると口の中で唾液が混ざり合うのが分かる。呼吸は自然と荒くなった。
18: プロタゴラス 2019/02/05(火)23:02 ID:KZmdLK6f0(7/10) AAS
「このまま食べちゃおうかな」
汗が、暗くなったことで自動的についた街灯の光に照らされ、キラリと輝いた。

「もししちゃったら、どうなるのかな?」
「妊娠するから、中絶か、もしくは出産だろうな」
「あはは、考えてたんだ」由美はなぜか笑いながらそういった。

「任せるよ。興味がないんだ」
19: プロタゴラス 2019/02/05(火)23:08 ID:KZmdLK6f0(8/10) AAS
興味がない。

その言葉で、彼女はふと動くのをやめた。馬乗りになったまま、僕の顔の写真を一枚撮った。僕は地面に落ちたアイスをじっと眺めていた。由美がようやく立ち上がると、溜まっていた血が腰のあたりから一気に流れ出すのがわかった。

「ごめんね、変なことして」
「いいよ、別に。ストレッチくらいにはなったんじゃないかな」

僕は体を起こし、静かな夜に耳を傾けた。虫の音が、響いているのがよく聞こえた。
彼女は、2.3分ほど黙って座っていたかと思うと、立ち上がって僕の方を見た。
20: プロタゴラス 2019/02/05(火)23:09 ID:KZmdLK6f0(9/10) AAS
「誠治、もしかして、死ぬの?」

死ぬの? というその質問の真意を掴み取るまでに、僕はかなりの時間を要した。唐突で、自然な口調。悪意も善意もない。無機なプラスチックみたいなワードだけが、空虚に浮かんでいる。

「何でそんなことを?」
「勘が、そんなこと言ってた」彼女はカメラを元に戻し、帽子をかぶった。じゃあね、と別れの挨拶を告げると、そこから黙って去っていった。

風鈴の乾いた音が、余命宣告から一ヶ月たったことを告げていた。

残りの4ヶ月に、花が咲く気配はまだなかった。
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