有栖川夏葉「ピンヒール・レトリーバー」 (12レス)
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1: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2021/04/05(月)00:20 ID:6ld/3/YM0(1/10) AAS
「どうかしら」

訊ねるまでもなく、答えはわかっている。
そのような表情で、有栖川夏葉は左手を腰に当て、もう一方の手で夕焼けみたいな髪を宙へ躍らせる。

ともすれば自意識過剰であるようにも思えてしまうその出で立ちがこれ以上なく様になっていて、俺は流石だなぁ、と頬を緩ませた。

次いで彼女の胸元へ視線を移す。
宝石がワンポイントで入ったネックレス。
シンプルだが、高級であるとすぐにわかる上品なデザインのそれは見覚えがあった。
では、これではない。

順番にハンドバッグ、腕時計と確認する。
省16
2: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2021/04/05(月)00:22 ID:6ld/3/YM0(2/10) AAS
「っていうか、夜に届けるって言っただろ」

退勤時に忘れないように、と玄関口へと置いておいた紙袋を持ち上げて、俺は息を吐く。
中には届ける約束になっていた彼女が出演するテレビ番組の資料が入っている。

「だって、一刻も早く見せたかったんだもの」
「わからないでもないけどさ」
「あら、アナタにもあるのね。そういうとき」
「あるよ。例えば、腕時計を新調したタイミングとか、誰かに見せたい、みたいなのは誰にでもあるものじゃないかなぁ」
「ええ、そうね」
「その“誰か”が、夏葉にとって俺だったのは嬉しい限りだけど」
省5
3: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2021/04/05(月)00:23 ID:6ld/3/YM0(3/10) AAS
「そうだな。俺もそろそろ、帰ろうと思ってたとこで」
「……アナタ、また休日出勤してたわね?」
「失言だった。忘れてくれ」

もう、と怒ったふうに口を尖らせて夏葉は腰に手を当てる。
今更言い聞かせたところで、この件に関しては俺が夏葉の忠告を聞くわけがないと彼女も知っているのか、どう言うべきか悩んでいるようだった。

ので、俺は「『せっかくのオフなんだから大事にして頂戴』だろ」と言ってみる。

「いいえ。違うわ!」
「あれ、違ったか」
「ええ。『これからカトレアの散歩に行くところだったの、暇なら付き合って頂戴』よ!」
省2
4: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2021/04/05(月)00:24 ID:6ld/3/YM0(4/10) AAS


カトレアとは、夏葉の家族である犬を指す。
日々のブラッシングや定期的なシャンプーを物語る、金色の毛がふさふさとしたゴールデンレトリバーで、盲導犬などになる犬種だけあって、夏葉のカトレアも例外でなく賢い。

しゃんとした立ち振る舞いで夏葉の側面へぴたりと付いて、ふわふわの尻尾を左右に揺らしている散歩姿はさながら絵画のようだと思うほどだった。
そのカトレアを待たせているから、と紙袋を手にして「下にいるわね」と去っていった夏葉を追いかけるべく、俺はパソコンの電源を落とす。

そうして事務所の戸締りを済ませて、玄関口で革靴のつま先を数度ずつ鳴らす。
面倒でも靴べらを使った方がいいわよ、という幻聴が聞こえた気がして視線を上げるが、そこには誰もいない。

どうにも夏葉と出会ってからというもの、私生活の背筋が伸びるようになったなぁ、と苦笑しつつ俺は階段を駆け下りた。
省5
5: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2021/04/05(月)00:27 ID:6ld/3/YM0(5/10) AAS
「リード、任せてもいいかしら」
「やっぱりここまで来るの大変だったんだろ」

先ほどは強がっていたが、ピンヒールで大型犬の散歩はやはりというかなんというか厳しいものがあるのだろう。
例えカトレアがいくら賢いと言えども何かに興味を惹かれれば、そのほうへ夏葉よりも先んじてしまうこともある。
運動靴であればその程度の勢いには対応できるが、ピンヒールではそれも難しい。

夏葉がコインパーキングから事務所に来るまでの少しの苦労を思って、俺はついつい噴き出してしまう。

「あ。笑ったわね?」
「いや、ばかにする意図はないんだ。ただ」
「ただ?」
省9
6: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2021/04/05(月)00:29 ID:6ld/3/YM0(6/10) AAS
その後、切り出すべき話題があまり思い当たらなかったために、俺は「どこに停めたの」と彼女の車の所在を訊ねてみた。

「駅前の交差点のところよ」
「あそこ、高いだろ」
「いいのよ。私のためだもの」

夏葉のため、というのはどういうことだろうか。
カトレアのため、というのであれば理解できるが、今日に関しては彼女にとって得になることはあまりないのではないか。
そう考えて、そのまま夏葉に問いかける寸前で、やめた。

視線を落としたアスファルトの上には一足早い夜空が軽快な音を鳴らしている。

「星空が跳ねてるみたいだ」
省4
7: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2021/04/05(月)00:31 ID:6ld/3/YM0(7/10) AAS
「ふふ、カトレアもそう思ってくれているのね」

今度もカトレアが「わふ」と肯定を示し、ご主人様である夏葉の隣へ寄って行く。
続いて、流れるような動きで夏葉の足元でびしりとおすわりの姿勢で静止した。

そのカトレアの視線の先には、見慣れた夏葉の車がある。

「いつも思うけど、どの車かわかるのすごいよな」
「でしょう? カトレアは賢いのよ!」

言って、夏葉がハンドバッグからキーケースを取り出してドアロックを解除する。
彼女が助手席のドアを開けるのと同時にカトレアがぴょん、と前足だけ車内へと身を乗り入れ、座席の下から何かを引っ張り出した。
省7
8: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2021/04/05(月)00:32 ID:6ld/3/YM0(8/10) AAS
ご主人様に褒められたからか、カトレアはぶんぶん尻尾を振って「ばう」と嬉し気な声を上げる。
そんなカトレアの頭をぐりぐり撫でたあとで、夏葉は足を車外へ投げ出す形で助手席に腰掛けて俺を見る。

「見納めだけれど」
「なんだ、もう見せてくれないのか」
「そうは言ってないでしょう」
「じゃあ、またゆっくり見せてくれ」
「だったら、これが似合う素敵なレストランの予約を取ってくれるかしら」
「善処するけど、夏葉の御眼鏡に適うかどうか」
「別に、どこだって気にしないったら」
省11
9: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2021/04/05(月)00:33 ID:6ld/3/YM0(9/10) AAS
「ピンヒール・レトリーバー」

 俺がぼそりと呟いたその一言がつぼに入ったらしく、夏葉は笑い転げている。
10: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2021/04/05(月)00:33 ID:6ld/3/YM0(10/10) AAS
おわり
11: 2021/04/05(月)13:54 ID:e1ArnEt3o(1) AAS
乙やで
12: 2021/04/13(火)11:47 ID:0bF6E/ZS0(1) AAS
はい
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