渋谷凛「ゴースト レイト」 (28レス)
1-

1: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:33 ID:4if+2Hlr0(1/25) AAS
嫌な空気の夜だった。真綿で首を絞められているかのように呼吸がしにくかった。
空にはどんよりと重たい雲が浮かび、月も星も見えない。
現在私がいる場所が神社というのもあって、言いようのない気味の悪さが漂っていた。
唯一の光と言えば本殿の賽銭箱の上で、ちかちかと明滅している頼りない電灯のみで、それがいっそう私の気分を落ち込ませる。
胸の内に滞留しているもやもやとした不快な何かを乗せるように、はぁ、と息を吐いた。

「こういう日も、あるよ」

背後から、優しく温かい声が届く。「うん」と力なく返事をして見やれば、そこには柔らかな笑みを浮かべたスーツ姿の男、アイドルである私のプロデュースを担当してくれている彼、プロデューサーがいる。

「失敗は誰にでもあるし、普段は簡単にできることがどうしてか上手くいかない、なんて日もある」
「うん」
省31
2
(1): ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:33 ID:4if+2Hlr0(2/25) AAS


翌朝、宿泊しているホテルのベッドで目を覚ました私がプロデューサーに電話をかけると、該当する番号は使われていない旨を示す電子的な声が返ってきた。

そんなはずはない。
昨日まで確かに繋がっていたのだから。

何か、通信障害でも起きているのだろう。
そう思って、私は手早く支度を済ませ、部屋を出る。
プロデューサーが宿泊している部屋のドアをノックすること、数回。
ようやく室内から物音が返って来て、がちゃりと鍵が開いた。

ほっと胸を撫でおろすのも束の間、期待に反して部屋から出てきたのは金色の髪をした、肌の白い小さな男の子だった。
省4
3: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:34 ID:4if+2Hlr0(3/25) AAS


どういう、ことだろうか。
額から嫌な汗が止めどなく溢れ出す。

そうだ、ホテルの人に訊いてみよう。
私が単に彼が宿泊している部屋の番号を間違えているのかもしれない。

縋るように部屋のサイドボードに備え付けられたフロント直通の電話の受話器を耳に押し当てる。
私は電話がフロントに繋がったことを確認するや否や、すぐさま「うちの事務所の人間って、私以外に泊まっていませんか。何号室かわかりますか」と訊ねた。

こういう、個人情報に関係することは通常であれば答えてくれないかもしれないが、私がアイドルであることはこのホテルの人には伝えているので、何とかなるだろう。
省11
4: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:35 ID:4if+2Hlr0(4/25) AAS


片道二時間超の距離をタクシーに揺られ、私は事務所へと戻ってくる。玄関にいる警備員の人たちの挨拶に会釈で以て返し、廊下をずんずん進んでオフィス内に入る。

たくさんのデスクが並び、コピー機の音やキーボードを叩く音、電話の着信音、様々な音で賑わうオフィスを見渡す。

幾度となく勝手に居座り、くだらない話を繰り返した場所。私のプロデューサーのデスクのある場所には、あった場所には、違う社員さんがいた。

ここまで来て、私は思い至る。これはドッキリではないだろうか。
省15
5: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:38 ID:4if+2Hlr0(5/25) AAS
◆  2

プロデューサーが消えて、二週間が経った。

依然としてわけがわからなかったけれども、アイドルとしてのお仕事はあったので、問題をそのままに今日まで私は過ごしてきてしまっていた。

わかっていることは、二つだけ。
あの神社での夜から、朝までの間にプロデューサーが消えたこと。
プロデューサーを知っているのはこの世界で私だけで、他の人々は彼が存在していたことすら覚えていないらしいこと。

あまりにも情報が足りなかった。
そもそも“存在しないことになってしまっている”だけに、探すのは不可能に思われた。
省44
6: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:40 ID:4if+2Hlr0(6/25) AAS


私が由比ヶ浜海岸へ到着したのは、深夜一時を過ぎた頃だった。
今日が金曜であることも相まって、なかなかタクシーが捕まらず、ようやく乗れたタクシーで行き先を告げると怪訝そうな顔をされた。

それもそうだ、とは思う。
こんな時間に、女一人で海だなんて。
見方次第ではよからぬことを考えているのでは、と思われてしまっても文句は言えない。
しかし、私は運転手さんに有無を言わせず「由比ヶ浜海岸に、お願いします」と押し通したのだった。

そうして到着した由比ヶ浜海岸は、想像していた静かな夜の浜辺とは違って、人影が多数あった。

薄ぼんやりと青白く、海が光っていた。
省51
7: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:41 ID:4if+2Hlr0(7/25) AAS
口元に手を当て、彼は考え込むようにしたあとで「なら、凛の現状は……?」とおそるおそる言う。

「私は、デビューから今までずっとマネージャーもプロデューサーもつけてないことになってたよ」
「じゃあ、アイドルとしての活動に直接的な影響は、ないのか」
「たぶん。とりあえず現状はなんともない、かな。私が知らない私のことを知ってる人がいたりして、話を合わせるのが大変なくらいで」

さらに考え込むようにして、プロデューサーは重々しく「なるほど」と呟いた。

「…………俺のことを覚えてる弊害、みたいなものかぁ」
「害なんて言わないでよ。私にとってプロデューサーはプロデューサーしかいないんだから」
「……ごめん」

二人の間に居心地の悪い沈黙が訪れる。
省31
8: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:42 ID:4if+2Hlr0(8/25) AAS
◆  3

カーテンを貫いて部屋へ射し込んでくる陽の光によって、私は現実に引き戻される。
上体をのっそりと起こし、大きく伸びをすると完全に頭が覚醒を果たし、状況やこれから行うべきことがぽつぽつと浮かんだ。

顔を洗って、朝ごはんを食べて、愛犬であるハナコの散歩。
すぐに家を出たら、私が出演するイベントに関する打ち合わせがあって、会食。
休憩なしに移動して撮影が二件、取材が一件。
合間の時間で、発注していた衣装のデザインを確認するのと、ライブの物販で発売する予定のグッズの納期調整の電話もしないとだ。

などと、ぐるぐる思考を回している頭に急ブレーキをかける。

待て。
省18
9: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:43 ID:4if+2Hlr0(9/25) AAS


その日のアイドルとしてのお仕事を終え、私がテレビ局を出たときには街にはすっかり夜の帳が降りていた。

関係者用出入り口前のロータリーに停まっているタクシーに乗り込んで、事務所に向かってもらう。
ちひろさんに頼んで、いくつか用意してもらったものを受け取りに行くためだった。

ちひろさんに頼んだものは二つ。携帯電話とそのポータブル充電器だ。これをプロデューサーに渡しておけば、いつでも連絡を取り合うことができる。

そんな矢先、私の携帯電話がぶるぶると震えた。ディスプレイに公衆電話からの着信であると表示されているのを見るや、すぐに私は電話を取る。
省22
10: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:44 ID:4if+2Hlr0(10/25) AAS


私が名古屋駅に到着したのは日付が変わってしまうぎりぎりの時刻だった。
この時間ともなると、さすがに人もあまりいないようで、構内を歩いている人々も終電に何とか間に合わせるためか、必死そうな表情の人が多い。
以前にロケで訪れたときは昼間で賑わっていたのもあって、雰囲気の違いように少し驚く。けれど、あまり時間を無駄にしてもいられない。
改札を出て、辺りを見渡す。右手に銀色の時計のモニュメントを認め、これと対になる金色の時計のモニュメントは反対方向であると瞬時に理解した私は、小走りでその方向へと進んだ。

やがて、私は大きな金色のモニュメント前にやってくる。
平常時であれば多くの人が待ち合わせの場所に利用するらしいここも、終電間際とあっては、そんな影もなく、ぽつりと一人のスーツ姿の男が佇んでいるのみだった。

「プロデューサー!」
「……申し訳ないな。いろいろと」
省26
11: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:45 ID:4if+2Hlr0(11/25) AAS


さて、状況整理といこう。
プロデューサーはそう高らかに宣言して指を鳴らす。

私以外の誰にも認識されることがないのを良いことに、彼はファミリーレストランの最奥の席で、贅沢に椅子を二つ並べて、どっかりと座っていた。

「まず、今日はちょっとおかしい」
「うん。なんでそんなにハイテンションなの?」
「そういうおかしいじゃなくて……。いや、関係あると言えばあるんだけど」
「どういうこと?」
「消えないんだよ。もう“出て”からとっくに二時間は過ぎてる」
省54
12: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:47 ID:4if+2Hlr0(12/25) AAS


聞けば、昨晩私と会ったあとから、こうして私と再び会うまでの間に、プロデューサーは途方もない数の夜に“出た”という。
そして、彼の言うところによれば、いずれの夜も過去の地点であったらしい。

「……過去の私には連絡したの」
「それが、できなかった」
「……どういうこと?」
「俺が出ると、その地点での俺がいる事実が消える、っていうのかな。誰にも認識されなくなったんだ」
「……誰にも、ってことは」
「そう。凛にも」
省23
13: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:47 ID:4if+2Hlr0(13/25) AAS
「今日は、とりあえずプロデューサーにこれ渡そうと思って」
「ケータイ、と充電器? 凛のだろ、それ」
「うん。明日返してくれたらいいから。実は今日、もう一台契約してきて……受け取りに行く時間はなかったんだけど……そんなわけで私は大丈夫だから」
「でも、凛の新しく契約した方の番号を知らない」
「私が電話するよ。十五分に一回くらい」
「何から何まで……ごめん」
「謝らないでよ。プロデューサーは悪くないんだからさ」
「……ああ。ありがとう」
「さて、これでプロデューサーが公衆電話を探して歩くまでの時間は短縮できるようになったわけだけど」
省44
14: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:48 ID:4if+2Hlr0(14/25) AAS
◆  4

質素なビジネスホテルの一室で目を覚ました私は、ルームウェアから私服へと着替え、手早く身支度を済ませる。
そうしてホテルのモーニングを摂り、意気揚々とチェックアウトを果たしたのちに名古屋の街へと繰り出した。

昨日はここ、名古屋の地での番組ロケがあり、その収録が夜更けまで及んだことから東京へは戻らず宿泊していた。
その影響で、今日の午前中は予定が入っていない。久々に自由に使える時間に心を躍らせながら、地下へと降りて路線図を眺める。

さて、どこに行こうか。
どうせ行くならば、行ったことがない場所に行ってみたい。そう思って思案していると、一つの駅名に目がいく。

名古屋港。
路線図の左下のほうにぽつりとあるその駅については、少しばかり知っていた。
省3
15: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:50 ID:4if+2Hlr0(15/25) AAS


地下鉄を乗り継いで、目的である名古屋港駅に到着した私が地上に出ると、ふんわりと海の香りが迎えてくれた。
燦々と注ぐ太陽の光と大きい入道雲、夏真っ盛りの良い天気だ。

こんな日に歩く水族館はさぞ気持ちがいいだろう。館内の涼やかな空気を思い浮かべ、自然と口角が上がる。
右手を見れば、大きく『名古屋港水族館』の文字と矢印が出ていて、私はそれに従い敷地内を歩いて行った。

水族館までの順路でさえ既にわいわいと賑わいを見せ、私はその非日常感にいっそう胸を弾ませる。
道中に見えるフードコート内の様子や飲食店を軽く見渡しながら歩いていると、ふと私は一つのお店の前で足を止める。
猫のマークが印象的な喫茶店だった。

店先のガラスケースには食品サンプルがずらりと並んでいるのだが、中でもバケツほどはあろうかという器に、これでもかと盛られたパフェに目を奪われた。
省40
16: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:50 ID:4if+2Hlr0(16/25) AAS


記憶を取り戻した私はすぐさま、東京へと舞い戻り、昼食を摂ることも忘れ事務所を訪れた。
ちひろさんに頼んでいた携帯電話を受け取るためだ。

その際に、ちひろさんが「ついに持つ気になったのね」と冗談めかしながら携帯電話を渡してきたので、また私は背筋が凍る羽目になった。

いくらなんでも、気味が悪い。
ここまで大規模に、多くの人の記憶を改竄することができるなんて。
 
事務所を出て、大きくため息を吐く。
ひとまずは、無事に今日も彼のことを思い出せたことを喜ぶべきだろうが、安心もしていられない。
省2
17: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:51 ID:4if+2Hlr0(17/25) AAS


その後も、状況が状況だけに仕事にも身が入らず、たくさんの人に迷惑をかけながら私はその日の仕事を終える。

既に日は落ちていたが、まだまだ彼が“出る”までには時間がありそうだった。

今日は彼と会う前に行くと決めた場所があった。

あの神社だ。
省3
18: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:52 ID:4if+2Hlr0(18/25) AAS


二週間と二日前に訪れた、あの神社への再訪を果たした私は車を降りるや否やすぐに駆け出して、長い長い石の階段をひとつ飛ばしで登っていく。
道中、渋滞があったせいで時刻は二十一時を過ぎていた。

だが、その点に関しては案ずることはない。
今回は彼には携帯電話を渡しているのだ。これまでのルールからすれば、彼は誰かに認識されている限り消えないのであるから、ビデオ通話なりで彼を常に私が見ていれば、時間制限はあまり気にしなくて済む。

やはり、携帯電話を渡しておいて正解だった。
昨日の自分の判断を褒める。

境内には、前回同様私の他に人の気配はなく、しんみりとしていた。
空にはどんよりとした雲が浮かびあらゆる光を遮り、空気はじめっとしていて嫌な感じだ。
省5
19: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:53 ID:4if+2Hlr0(19/25) AAS


それから、どれくらいの時が経っただろうか。
自分でもどうしてそれだけの時間手を合わせ、無心で立っていたのかわからないほどの間、私は無心で立っていたようだった。

しかし、どうやらそれも空振りで終わったらしい。もう一度だけ「どうか、プロデューサーを返してください」と呟いて、合わせた両の手を解く。

すると「なんで?」と声が響いた。

「なんで? 君が言ったんだろう。彼はいらない、って」
省26
20: ◆TOYOUsnVr. [saga] 2020/07/04(土)22:55 ID:4if+2Hlr0(20/25) AAS
「……信じられないと思うけど、目の前の、この男の子が」

言いかけた私を制して、プロデューサーは前へと歩み出る。
そして、驚くべき行動に出た。

左足を軸として、彼の右足は綺麗に胸元へと折りたたまれ、直後に鮮やかな弧を描く。回し蹴り、というものだろうそれを放ったプロデューサーは迷いなく、少年の頭を蹴り抜いた。

「ちょっと!」

私の声が虚しく響く。
プロデューサーの右足は少年をすり抜けていて、勢い余ったのか彼は倒れ込んでいた。
省35
1-
あと 8 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.124s*