樋口円香「心地よく」 (26レス)
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1: [saga] 2020/04/27(月)21:24 ID:/T0Ck7Xb0(1/25) AAS
事務所の窓辺には、いつも季節の草花が飾られています。

丹精込めて育てられた草花たちは、皆を癒してくれると同時に見守ってくれている存在でもあるのです。

うららかな陽気に包まれたある一日。

この日は、ヒヤシンスが朝から甘い香りを漂わせていました。

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2: [saga] 2020/04/27(月)21:28 ID:/T0Ck7Xb0(2/25) AAS
「……いい香り」と、円香は囁くように言いました。

円香は、ヒヤシンスに近づくと、反り返った花びらにそっと触れました。

青い花びらが揺れるその様は、どこか喜んでいるようにも見えたのです。

円香は窓を少しだけ開けると、深呼吸をしながら大きく背伸びをしました。
3: [saga] 2020/04/27(月)21:33 ID:/T0Ck7Xb0(3/25) AAS
「綺麗かろ〜」

「……!?」

突然、後ろから響いた朗らかな声に、円香は思わず固まりました。

「……あ、ごめん円香。びっくりさせるつもりはなかったとやけど……」

「いえ、おはようございます。恋鐘さん」
省1
4: [saga] 2020/04/27(月)21:37 ID:/T0Ck7Xb0(4/25) AAS
「おはよ〜!そのヒヤシンス綺麗かよね〜」と、恋鐘は言うと、鉢の高さまで身体を屈めました。

「はい。もしかして、恋鐘さんがお世話されているんですか?」

「ん〜〜、うちも水あげたりすることはあるけど、一番見とるのは霧子やね!」

「霧子さん……」と、円香は言いながら、霧子がお世話をする様子を思い浮かべました。

「話せるときがあるとよかね!」と、恋鐘は笑顔で言いました。
5: [saga] 2020/04/27(月)21:41 ID:/T0Ck7Xb0(5/25) AAS
「ええ…、それより恋鐘さん、そろそろ出ないとレッスンに遅れますよ」と、円香は時計を指差しながら言いました。

「ふぇ〜〜、急がんと今日の先生はばり厳しか先生やった……!」

恋鐘は、バタバタと音を立てながら大慌てでレッスン室へ向かいました。

「そんなに急がなくてもいいのに……」と、円香は呟き、雲一つない空を見上げました。

窓から入ってくる風は、円香の心をそっと支えてくれるような優しい風でした。
6: [saga] 2020/04/27(月)21:45 ID:/T0Ck7Xb0(6/25) AAS
さて、ボイストレーニングが始まりました。

レッスンスタジオには、円香と恋鐘、トレーナーが揃って張り詰めた空気が流れていました。

入念にストレッチをすると、順番に指導を受けます。

室内には、恋鐘の伸びやかな歌声が響いていました。

円香は、少し離れた場所で歌詞に目を通していました。
7: [saga] 2020/04/27(月)21:48 ID:/T0Ck7Xb0(7/25) AAS
すると、トレーナーがピアノを弾く手を止めて言いました。

「月岡、ちょっとストップ」

「今日の歌い方、ずいぶん力んでいるように見えるがどうかしたのか?」と、続けます。

「ん〜〜、やっぱり先生には隠せんもんやね。うち、この前オーディション受けたやろ?そん時、あんま調子が出らんで……」と、恋鐘は頬を触りながら言いました。

「悔しい時は練習!って思っとったんやけど、力入るんもいかんね〜……」
省1
8: [saga] 2020/04/27(月)21:53 ID:/T0Ck7Xb0(8/25) AAS
「よし。月岡は一旦基礎をしよう。樋口も手伝ってやってくれ」と、言うと円香の方に視線を送りました。

その時、円香は髪の毛をクルクルと指に巻きながら様子を眺めていました。

しかし、すぐさま手を離し、少し早歩きで恋鐘のもとへと向かいました。

それから、トレーナーは身振り手振りを交えながら指示を出しました。

「月岡の身体の使い方、声の出し方は参考になるはずだから、ただサポートするだけではダメだよ」
9: [saga] 2020/04/27(月)21:57 ID:/T0Ck7Xb0(9/25) AAS
「〜♪〜♪」

時計の針が一回りしたころ、室内には、恋鐘と円香の歌声が響き渡りました。

「うん。月岡も大丈夫そうだな」と、トレーナーは安どの表情を浮かべました。

そして、円香へ身体を向けるとこう続けました。

「それから、樋口。初心者とは思えないくらい飲み込みが早いな。その調子だ」
省1
10: [saga] 2020/04/27(月)22:00 ID:/T0Ck7Xb0(10/25) AAS
「あの先生からあげなふうに褒められるとか、円香はすごか〜」

着替えも終わった廊下で、恋鐘は身を乗り出すように円香に言いました。

「いえ……、ありがとうございます」と、円香は返事をしました。

「うちなんて、怒られることの方が多かとに……」

「期待、されてるってことなんじゃないですか?」と、円香は努めて冷静に言いました。
省4
11: [saga] 2020/04/27(月)22:05 ID:/T0Ck7Xb0(11/25) AAS
恋鐘は、スマホに目をやりながら少し考えてから言いました。

「ねぇ円香。このあと結華とお茶するとやけど、よかったら一緒にどげん?」

「いえ、このあとは少し予定があるので……。すみません」と、円香は言いました。

「では、お先に失礼します」

円香は恋鐘に一礼するとレッスンスタジオを後にしました。
省1
12: [saga] 2020/04/27(月)22:09 ID:/T0Ck7Xb0(12/25) AAS
その夜、円香は薄明かりの自室で日誌を書いていました。

幼馴染が始めたと聞いた日誌。

試しに書いてみると、その日の出来事や課題が明確になり、それ以来続けています。

もちろん、誰かに見せるということはありません。

「はぁ、何やってんだろ……」と、円香は呟きました。
13: [saga] 2020/04/27(月)22:11 ID:/T0Ck7Xb0(13/25) AAS
つい数週間前までは、こんな日々が訪れるだなんて思ってもみなかったでしょう。

瞬く間に日常は塗り替えられ、余計なものを次々と背負わされ、……。

これが降ろせるものならどれほど良かったでしょうか。

円香は、机の端に置いてあるスタンドミラーを手に取り、表情筋のストレッチを始めました。

ベッドに置いてあるスマホは、通知のランプが点滅し続けていました。
省2
14: [saga] 2020/04/27(月)22:17 ID:/T0Ck7Xb0(14/25) AAS
あくる日、事務所では幼馴染の隣人こと浅倉透がプロデューサーと営業に出かける準備を進めていました。

「そろそろ出るよ。準備できた?」と、プロデューサーが声をかけました。

「うん。大丈夫」

「よし、じゃあ降りるか」

「あっ、待って、プロデューサー」
省5
15: [saga] 2020/04/27(月)22:21 ID:/T0Ck7Xb0(15/25) AAS
その頃、円香は一人で河原を歩いていました。

自宅と事務所の間にあるこの場所には、幼馴染や、その家族との思い出が詰まっていました。

季節ごとに様々な景色を見せてくれて、幼かった円香たちにとって遊園地のようでした。

今日も風が時折ビュウと吹き、河川がサラサラと穏やかな返事を返します。

いつも隣にいる誰かも、今日はいません。
省2
16: [saga] 2020/04/27(月)22:23 ID:/T0Ck7Xb0(16/25) AAS
「円香〜〜!!」

突然、円香の後ろから聞き覚えのある声が響きました。

円香は、思わず苦笑いを浮かべそうになりながら振り返りました。

「あ、やっぱり円香やったね〜」と、恋鐘は言いながら円香の傍へやってきました。
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