双葉杏「透明のプリズム」 (117レス)
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1: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)01:57 ID:OJA0wgUK0(1/113) AAS
デレマスのSSです

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2: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)01:59 ID:OJA0wgUK0(2/113) AAS
晴れの日の空は青色、夕方の空は赤。では緑色の空はどこで見ることが出来るだろうか?

これは私が十七歳の頃――すなわち二年前だ――プロデューサーが私に出したなぞなぞだ。
その日は確か、私はCMを撮りにスタジオに来ていた。
撮影を難なく終わらせ、監督に適当に媚を売って、事務所へと戻る、その帰りの車の中でのことだった。
正確な時間は忘れてしまったけれど、スタジオを出る頃にはすっかり日が暮れてしまっていたのを覚えている。

「そういえば、こんななぞなぞがあるんだ」

話の流れも何もないタイミングだった。
普段通りの私ならば、なぞなぞごときに耳を貸すこともなかっただろう。
けれども、十五分間をいたずらに後部座席で過ごしていたそのときの私は、あまりに暇を持て余していた。
省2
3: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:00 ID:OJA0wgUK0(3/113) AAS
『緑色の空はどこにある?』

私は考え込む。
なぞなぞと言うぐらいなんだから単純な言葉遊びかな、と思って、空とか緑とかの言葉を頭の中でくっつけてみたりしたけれど、それらしい答えは浮かんでこない。
方向性を変えて、緑色の空を想像してみる。
緑色の空の街――一本の道路がビルの大森林の間を貫いていて、車が次から次へと道路を通り過ぎていく。
そんなどこにでもあるような光景の真上に広がる、メロンソーダのような色をした空……。

息の詰まるような雰囲気だな、と感じた。
まるで上から誰かに抑えつけられているような、いくら重力に逆らって泳いでみても酸素を得られない水中にいるような感覚だった。
単なる想像にもかかわらず、私は気分が悪くなって、緑色の空というものについて考えるのをやめた。
省5
4: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:01 ID:OJA0wgUK0(4/113) AAS
「ねぇ、ヒント頂戴」

断続的に響く車の振動は苦痛なものだった。
私は左のポケットに、撮影前にプロデューサーから貰った飴玉が入っているのを思い出した。
薄暗い車の中で、包みに書かれた文字を読もうとする。
何味かをちゃんと確認してから飴を舐めるのが礼儀ってもんでしょ。

「そうだなぁ……日本にあるよ」

どうやらイチゴ味らしい飴は、私の無意識下で舌の上をころころと転がる。
緑色の空は、なんと日本にあるらしい。
私は記憶をあれこれ探ってみるが、日本のどこかで空が緑色になるというのは聞いたことがない。
省13
5: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:02 ID:OJA0wgUK0(5/113) AAS
だから、その日の一週間後にプロデューサーが答えを教えてくれるはずだった。
……こう言うということはつまり、プロデューサーは一週間が経過しても答えを教えてくれなかった、ということだ。
誤解が生まれそうなので先に弁解しておくと、プロデューサーがただ単にこの日のことを忘れていたわけではない。
いや、ただ単に忘れていただけなのかもしれないけれど、忘れていたにしても、ちょっとした事情があるから仕方がない、ということだ。

だってこの翌日――プロデューサーが緑色の空について話した翌日から、私はプロデューサーの担当を外れることが決まったんだから。

その日は何の変哲もないはずの月曜日だった。春休みでやることもなく家でだらだらしていると、プロデューサーから連絡があった。
今の部署から外れて、新設予定の部署へと移る要請があったこと、それに伴って私の担当を外れることになったこと、別の人が私の担当に就くこと。
画面に映る文字の羅列は、ただひたすらに文字の羅列としてのみ私の視界に入り込んできた。
私の身体は布団に入ったまますっかり硬直して、急激に早まった心臓の音が、他人事のように鼓膜を震わせていた。
省3
6: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:02 ID:OJA0wgUK0(6/113) AAS
数時間経って、仕事終わりらしいプロデューサーからメールがあった。

『色々と話すことがあるから、一度どこかで会おう』

プロデューサーからメールを受信したことに気付いた瞬間の私は、実は嘘でした、とか、勘違いだった、とか、そういう内容を期待していた。
そんなことがあるはずない、と口では呟きながらも、内心ではそんな安っぽい展開、安易な逆転劇が起こることを信じていた。
勝手に期待して勝手に失望する。そんな自分が滑稽に思えた。

『明日』
省8
7: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:03 ID:OJA0wgUK0(7/113) AAS
目覚めは最悪だった。
4時間ほどしか寝ていないうえに、中途半端なタイミングで一度起きてしまって、そこから先は眠ろうにも空腹で眠れない。
そういえば昨日の昼から何にも食べていなかったことを思い出した。
捻じれるように痛む頭を働かせ、昨日のことに思いを巡らせる。

携帯電話の受信履歴を見て、昨日のことが嘘ではないことを確かめた。
文字列は昨日と一字一句違わない。
……茫然自失のままに『明日』と送信したけれど、具体的な日時や場所を伝えていなかった。
何ならそもそも考えていなかった。

時計は朝の8時を示していた。
省1
8: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:03 ID:OJA0wgUK0(8/113) AAS
「まぁ、座って」

プロデューサーの様子は普段と変わりがなかった。
この四角形の部屋も、間取りや向きは私の記憶と寸分違わない。
異なるところを挙げるとすれば、棚のぶ厚いファイル群が外に運び出されていることや、とにかく大量のもので混沌としていたプロデューサーのデスクが、新品同然に片付いていること。
そんな何気ない現実が、私の心から熱を引き抜いていった。

「いつからなの」

私は平静を装って、俯いて言葉を切り出した。
――私はプロデューサーに動揺を悟られまいと、必死に立ち回った。
この期に及んで演技で場をやり過ごそうとすることは馬鹿らしいことだと思うかもしれない。今の私もそう思う。
省10
9: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:04 ID:OJA0wgUK0(9/113) AAS
「新しい人って、明日から来るの?」

「そうだね」

資料の伝達が終わったので、私はもう帰るなりすれば良かった。
それでも私は、プロデューサーに何気ない質問を投げかけた。
プロデューサーも律義に質問に答える。
そうやって永遠に質疑応答を繰り返すことが出来れば良かったのに、と本気で思っていた。

新しい人ってどんな人なの。
俺より若いよ。
そもそもプロデューサーいくつだっけ。
省11
10: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:04 ID:OJA0wgUK0(10/113) AAS
結局のところ、当時の私が不安視していたほど、担当替えという行事は怖いものではなかった。
新たに私の担当となったプロデューサーとはすぐに良好な関係を築けたし、仕事の質や量は担当替えの前とさして変わらなかった。
私は単純に、担当プロデューサーが変わることよりも、永遠に続くと思っていた毎日に歪みが生じるのを恐れていただけだったんだと思う。

そしてここまでが、話の前日談だ。
私とプロデューサーと緑色の空にまつわる話は、ここから始まる。
11: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:06 ID:OJA0wgUK0(11/113) AAS


「双葉さん」

後部座席で舟を漕いでいた私は、新しいプロデューサーの声で意識を覚醒させた。
眠気のもたらした涙が視界をぼやけさせていて、目に映る物体の輪郭ははっきりとしない。
目を擦って視界を確かめる。
新しいプロデューサーが運転席から身をわざわざ乗り出して私を見ていた。

背伸びをして、大きな欠伸をする。
品も何もない私の欠伸を、彼は黙って、ともすれば不安が読み取れるような表情で、そっと窺っていた。
省12
12: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:07 ID:OJA0wgUK0(12/113) AAS
夜7時の事務所にはひんやりと冷気が漂っていた。
そもそもこんな時間まで残っているようなのは私ぐらいのもので、他の子たちは出払っているし、社員の人ですら多くが勤務を終え会社を後にしている。

『一階下の、エレベーターを降りて右の部屋』

エレベーターを待っているとき、ふと思い出した。
乗り込んでから、一階下の階――七階だ――のボタンを押すことを考えた。
でもその日の私には、7の数字を押す勇気はなかった。
そわそわとエレベーターの中で立ち往生しているうちに、社員らしき人が乗り込んできたので、慌てて8のボタンを押した。
その人は私がエレベーターを止めてくれていたと思ったらしく、ありがとうね、と言っていた。
13: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:08 ID:OJA0wgUK0(13/113) AAS


「双葉さん」

後部座席でスマートフォンを弄っていた私は、新しいプロデューサーの声で、事務所に辿り着いたことに気付いた。
時計は20時を過ぎたあたりを示していた。
もうそんな時間なの、と呟くと、もうそんな時間です、と鸚鵡返しの返答が聞こえてきた。
独り言に返答をされるのは気恥ずかしい。
――車のドアを開けると、地下駐車場のコンクリートの凝縮した香りが鼻を突いた。

「お疲れ様です」
省12
14: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:08 ID:OJA0wgUK0(14/113) AAS
「双葉さん」

「何?」

「何か、欲しいものはありますか」

「……藪から棒にどうしたの? ……欲しいもの、かぁ」
省16
15: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:09 ID:OJA0wgUK0(15/113) AAS
「いや、ずっとキャラを作ってるものだと思ってたから」

彼は驚きのあまり、丁寧語というオブラートを取り外したようだった。
曰く、担当になってから2週間が経過しても「飴くれ」のあの字も言わないし、飴玉を頬張っているのを見ることもないから、飴が好きというのは戦略的なキャラ付けだと思い込んでいた、とのことだった。
――私が飴をここしばらくの間口にしていなかったのは、飴をくれる人もいなかったし、ものぐさな私は飴を自分で買いに行く選択をしなかったから、というだけだ。

「飴は好きだけど、わざわざ人に向かって言わないでしょ」

「飴、やっぱり好きなんですね」
省4
16: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:10 ID:OJA0wgUK0(16/113) AAS


次の日から、彼は飴玉を持ち歩くようになった。
一口に飴玉といっても種類は豊富で、爽やかな柑橘系、メロンやイチゴなどの主要な果物類、ソーダやコーラといったドリンクの味を再現したもの、黒糖やミルク、梅やハッカに至るまで、幅広い味の飴玉を、まるで毒見役であるかのように消化させられた。

彼は私の好みの味の飴を探し当てようとしていたんだと思う。
でも私は、特定の味に価値を見出しているのではなく、色々なバリエーションの味を楽しめることこそが飴玉の素晴らしいところだと考えていた。

私にどんな飴玉を与えても、私は「美味しい」しか言わないので、彼は随分と骨を折っていたように思う。
後々になってこの話――私の飴の好みの話――をすると、随分と溜飲を下げたようで、「盲点だった」「その可能性は考慮してなかった」としきりに頷いていた。
省5
17: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:11 ID:OJA0wgUK0(17/113) AAS
その日の仕事はラジオの収録のみで、午後には事務所から帰宅できるとのことだった。
ラジオの収録のみとは言うけれど、宣伝を念頭に入れてのトークは精神力を使うものなのである。
――宣伝というのは私のCDの宣伝だ。
この頃はCDの収録や宣伝でスケジュール帳が真っ黒になっていて、アイドル辞めてやろうかと真剣に考えた覚えすらある。

しかし、貴重な休みを手に入れたところで、あくまで私は私だ。
この日の午後は目いっぱい家でだらだらしよう、と決意した。
出来るだけ早く家に送ってもらうよう懇願し、私は悲願の午後休を手に入れたのである。

ラジオの収録スタジオから事務所へと車に揺られる。
新しいプロデューサーは今日も私に飴をくれた。
省20
18: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:11 ID:OJA0wgUK0(18/113) AAS
こんななぞなぞがあるんだけど。

プロデューサーの言葉を私は一字一句覚えていた。
記憶の彼方にあったはずのなぞなぞを、耳が記憶している通りに、声帯が勝手に震える通りに、声に出してみる。

『緑色の空はどこで見ることが出来るだろうか?』

僅かに間をおいて、私は再び口を開く。
「プロデューサー、分かる?」
省13
19: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:12 ID:OJA0wgUK0(19/113) AAS
「で、答えは?」

「杏も知らないんだよ」

「え」

耳に入ってきたのはひどく素っ頓狂な返事だった。
私はなぞなぞを口にしたはいいものの、その先のことを考えていなかったのだ。
――彼を宙吊り状態にしてしまったことに、少しだけ申し訳なさを感じた。
省12
20: ◆YF8GfXUcn3pJ [saga] 2019/08/18(日)02:13 ID:OJA0wgUK0(20/113) AAS


時間の猶予が欲しいときに限って、エレベーターはてきぱきとやってくる。
手を伸ばして数字の7を押し込むと、エレベーターは、我関せずといったそぶりで、上空に向かってぐいんと加速する。
あっという間に7階へと私を連れていくと、私を吐き出したエレベーターは扉を閉ざし、淡々と一階へと向かっていった。

『一階下の、エレベーターを降りて右の部屋』

同じフレーズが何度も何度も頭の中で反響する。
7階にひとり閉じ込められた私は、無理やり足を右方向に向かわせた。
省19
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