[過去ログ] 秋篠宮家のお噂1130©2ch.net (1002レス)
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(3): 2015/12/12(土)22:00 AAS
>>675 続き

■悠仁さまの「信号機」にメーカー驚き 昭和40年代の絶滅危惧モデル A
外部リンク:withnews.jp

さらにこの矢印をよく見ると、「←」の頭の部分はきれいな三角形にはなっていません。
また、棒部分は先に進むに従って細くなっています。

この矢印の形こそが、悠仁さまがモデルにした信号機の制作年代を特定できる
決め手となりました。

担当者が取り出した資料は、交通管制施設協会が1975年に刊行した
「交通信号50年史」。 一般には販売・配布されなかった貴重な書籍です。

この資料に、悠仁さまが作った矢印灯が紹介されていました。
そこには京三製として、昭和43〜46(1968〜71)年製との記述がありました。

「やはり何か文献をもとに制作されたと推測します」と担当者。
「当時の物を精巧に再現されていて驚きました」と話していました。

LEDへの切り替えきっかけに興味

そもそも、悠仁さまがこうした信号に興味を持つきっかけは何だったのでしょうか。
宮内庁は次のように説明しています。

「悠仁親王殿下は、幼稚園のときに、信号機が電球からLEDへ変わることを
 お聞きになって、信号機に興味を持ち始めました。小学生になられてからも、
 信号機に関心を持ち続け、その種類や形のほか、青色から黄色、黄色から赤色へと
 電気の色が変わる時間にも目を向けられるようになりました」

また、信号灯の脇に設置されている「赤坂表町」は現在はない地名。

宮内庁は「秋篠宮邸の場所にあった旧秩父宮邸(表町御殿)が当時の
『赤坂表町』に面しており、その場所でこの信号機の模型を作られたことから、
標識に名称を入れられた」と解説しています。

電球式からLED式信号への切り替えを知り、むしろ電球式信号、しかも今では
ほとんど姿を消してしまった昭和40年代の信号に興味を示した悠仁さま。

9歳にして、失われゆく物への哀愁めいた思いを感じているのかもしれません。

(おわり)
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