[過去ログ] 【初】ソープ初出撃.初心者のスレ Part55【泡】 (1001レス)
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761: 2014/08/17(日)00:17 ID:11gSmyeC0(1/17) AAS
信心有ること無き是の人は則ち能く邪見を増長す」文。/弘長三年 四十二歳御作抑も希に人身をうけ適ま仏法をきけり、然るに法に浅深あ
り人に高下ありと云へり何なる法を修行してか速に仏になり候べき願くは其の道を聞かんと思ふ、答えて云く家家に尊勝あり国国に高貴あり皆其の君を貴み
其の親を崇むといへども豈国王にまさるべきや、爰に知んぬ大小・権実は家家の諍ひなれども一代聖教の中には法華独り勝れたり、是れ頓証菩提の指南・直至道場の車
輪なり、疑つて云く人師は経論の心を得て釈を作る者なり然らば則ち宗宗の人師・面面・各各に教門をしつらい釈を作り義を立て証得菩提と志す何ぞ虚しかるべきや、然るに法華
独り勝ると候はば心せばくこそ覚え候へ、答えて云く法華独りいみじと申すが心せばく候はば釈尊程心せばき人は世に候はじ何ぞ誤りの甚しきや、且く一経・一流の釈を引
いて其の迷をさとらせん、無量義経に云く「種種に法を説き種種に法を説くこと方便力を以てす四十余年未だ真実を顕さず」云云、此の文を聞いて大荘厳等の八万人の菩薩・一同に「無
量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐるとも終に無上菩提を成ずることを得ず」と領解し給へり
762: 2014/08/17(日)00:18 ID:11gSmyeC0(2/17) AAS
菩薩に祈請して一切の経論を勘て十宗に合せたるに倶舎宗は浅近なれども一分は小乗経に相当するに似たり、成実宗は大小兼雑して謬〓あり律宗は本は小乗・中比は権大乗・今は一向に大乗
宗とおもへり又伝教大師の律宗あり別に習う事なり、法相宗は源権大乗経の中の浅近の法門にてありけるが次第に増長して権実と並び結句は彼の宗宗を打ち破らんと存ぜり譬えば日本国の将軍将
門・純友等のごとし下に居て上を破る、三論宗も又権大乗の空の一分なり此れも我は実大乗とおもへり、華厳宗は又権大乗と云ひながら余宗にまされり譬えば摂政関白のごとし然而法華経を敵となし
て立てる宗なる故に臣下の身を以て大王に順ぜんとするがごとし、浄土宗と申すも権大乗の一分なれども善導法然
が・たばかりかしこくして諸経をば上げ観経をば下し正像の機をば上げ末法の機をば下して末法の機に相叶える念仏を取り出して機を以て経を打ち一代の聖教を失いて念仏
の一門を立てたり譬えば心かしこくして身
は卑しき者が身を上げて心はかなきものを敬いて賢人をうしなふがごとし
763: 2014/08/17(日)00:19 ID:11gSmyeC0(3/17) AAS
華厳・方等・般若の円をさとれる智者は死人の骨を生身得忍と成す、涅槃経に
身は人身なりと雖も心は仏心に同ずといへるは是なり、生身得忍の現証は純陀なり、法華を悟れる智者・死骨を供養せば生身即法身・是を即身といふ、さりぬる魂を取
り返して死骨に入れて彼の魂を変えて仏意と成す成仏是なり、即身の二字は色法成仏の二字は心法・死人の色心を変えて無始の妙境・妙智と成す是れ
則ち即身成仏なり、故に法華経に云く「所謂諸法如是相死人の身如是性同く心如是体同く色心等」云云、又云く「深く罪福の相に達して〓く十方を照したまう微
妙の浄き法身・相を具せること三十二」等云云、上の二句は生身得忍・下の二句は即身成仏・即身成仏の手本は竜女是なり・生身得忍の手本は純陀是なり。
/文永二年 四十四歳御作提婆品に云く「仏告諸比丘未来世中乃至蓮華化生」等云云、此の提婆品に二箇の諌暁あり所謂達多の弘経・釈尊の成道を明し又文殊の通
経・竜女の作仏を説く、されば此の品を長安宮に一品切り留めて二十七品を世に流布する間秦の代より梁の代に至るまで七代の間の王は二十七品の経を
講読す
771: 2014/08/17(日)09:28 ID:11gSmyeC0(4/17) AAS
又此の経に云く「薬王多く人有りて在家出家の菩薩の道を行ぜんに若し是の法華経を見聞し読誦し書持し供養することを得ること能わずんば当
に知るべし是の人は未だ善く菩薩の道を行ぜず、若し是の経典を聞くことを得ること有らば乃ち能く菩薩の道を行ずるなりと」文、此の文は顕然
に権教の菩薩の三祇・百劫・動踰塵劫・無量阿僧祇劫の間の六度万
行・四弘誓願は此の経に至らざれば菩薩の行には有らず善根を修したるにも有らず
と云う文なり、又菩薩の行無ければ仏にも成らざる事も顕然なり。
天台妙楽の末代の凡夫を勧進する文、文句に云く「好堅・地に処して牙已に百囲せ
り頻伽〓に在つて声衆鳥に勝れたり」文、此の文は法華経の五
十展転の第五十の功徳を釈する文なり、仏苦に校量を説き給うに権教の多劫の修行・又
大聖の功徳よりも此の経の須臾・結縁の愚人の随喜の功徳百千
万億勝れたる事経に見えつれば此の意を大師譬を以て顕し給えり
772: 2014/08/17(日)09:30 ID:11gSmyeC0(5/17) AAS
善悪に付いて起り起る処の念心の当体を指して是れ妙法の体と説き宣べたる経王なれば成仏の直道とは云うなり、此の
旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず、故に経文には「我が滅度の後に於て・応に斯の経
を受持すべし・是の人仏道に於て・決定して疑有る事無けん」とのべたり、努努不審をなすべからず穴賢穴賢、一生成仏の
信心南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。日蓮 花押/建長七年 三十四歳御作釈迦仏は我等が為には主なり師なり親なり一人し
てすくひ護ると説き給へり、阿弥陀仏は我等が為には主ならず親ならず師ならず、然れば天台大師是を釈して曰く「西方は仏別にして縁異なり仏別な
るが故に隠顕の義成ぜず縁異なるが故に子父の義成ぜず、又此の経の首末に全く此の旨無し眼を閉じて穿
鑿せよ」と実なるかな釈迦仏は中天竺の浄飯大王の太子として十九の御年・家を出で給いて檀特山と申す山に篭らせ給ひ
773: 2014/08/17(日)09:31 ID:11gSmyeC0(6/17) AAS
出家して勤め行ひ給いしかば三十の御年・成道し御坐して三十二相・八十種好の御形にて御幸なる時は大梵天王・
帝釈・左右に立ち多聞・持国等の四天王・先後囲繞せり、法を説き給ふ御時は四弁・八音の説法は祇園精舎に満ち三智五眼の徳は
四海にしけり、然れば何れの人か仏を悪むべきなれども尚怨嫉するもの多し、まして滅度の後・一毫の煩悩をも断ぜず少しの罪
をも弁へざらん法華経の行者を悪み嫉む者多からん事は雲霞の如くならんと見えたり、然れば則ち・末代悪世に此の経を有りのままに説く人には
敵多からんと説かれて候に世間の人人我も持ちたり我も読み奉り行じ候に敵なきは仏の虚言か法華経の実ならざるか、又実の御経ならば当世の人人・
経をよみまいらせ候は虚よみか実の行者にてはなきか如何・能く能く心得べき事なり明むべき物なり、四の巻に
多宝如来は釈迦牟尼仏・御年三十にして仏に成り給ふに、初には華厳経と申す経を十方華王のみぎりにして別円頓大の法輪・法慧・垢
徳林・金剛幢・金剛蔵の四菩薩に対して三七日の間説き給いしにも来り給はず
775: 2014/08/17(日)11:24 ID:11gSmyeC0(7/17) AAS
しかば国主の御用いなき法師なればあやまちたりとも科あらじとやおもひけん念仏者並に檀那等又さるべき人人も同意したるとぞ聞へし夜中に日蓮が小
庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかどもいかんがしたりけん其の夜の害もまぬかれぬ、然れども心を合せたる事なれば寄せたる者も
科なくて大事の政道を破る日蓮が未だ生きたる不思議なりとて伊豆の国へ流しぬ、されば人のあまりににくきには我がほろぶべきとがをもか
へりみざるか御式目をも破らるるか御起請文を見るに梵釈・四天・天照太神・正八幡等を書きのせたてまつる、余存外の法門を
申さば子細を弁えられずば日本国の御帰依の僧等に召し合せられて其れになを事ゆかずば漢土・月氏までも尋ねらるべし、其れに叶わずば
子細ありなんとて且くまたるべし、子細も弁えぬ人人が身のほろぶべきを指をきて大事の起請を破らるる事心へられず
776: 2014/08/17(日)11:24 ID:11gSmyeC0(8/17) AAS
法は天魔の伝うる所の法門なり如何、然る間汝断常の二見を出でず無間地
獄に堕せん事疑無しと云つて何度もかれが云う言にてややもすれば己がつまる語なり、されども非学匠は理につまらずと云つて他人の道理をも自身の道理を
も聞き知らざる間暗証の者とは云うなり、都て理におれざるなり譬えば行く水にかずかくが如し。
次に即身即仏とは即身即仏なる道理を立てよと責む可し其の道理を立てずして無理に唯即身即仏と云わば例の天魔の義なりと責む可し但即身即仏と云
う名目を聞くに天台法華宗の即身成仏の名目つかひを盗み取て禅宗の家につかふと覚えたり、然れば法華に立つる様なる即身即仏なるか如何とせめよ、若
し其の義無く押して名目をつかはばつかはるる語は無障礙の法なり譬えば民の身として国王と名乗ん者の如くなり如何に国王と云うとも言には障り
777: 2014/08/17(日)11:27 ID:11gSmyeC0(9/17) AAS
後に許すを以て知んぬ初に制する事を、問うて曰く経文一往相似たり将た又疏釈有りや、答えて曰く汝が尋ぬる所の釈とは月氏四依の論か
将た又漢土日本の人師の書か本を捨て末を尋ね体を離れて影を求め源を忘れて流を貴ぶ分明なる経文を閣いて論釈を請い尋ぬ本経に相違
する末釈有らば本経を捨てて末釈に付く可きか然りと雖も好みに随て之を示さん、文句の九に云く「初心は縁に紛動せられて正業を修するを妨げ
んことを畏る直ちに専ら此の経を持つ即ち上供養なり事を廃して理を存するは所益弘多なり」と、此の釈に縁と云うは五度なり初心の者兼ねて五度
を行ずれば正業の信を妨ぐるなり、譬えば小船に財を積んで海を渡るに財と倶に没するが如し、直専持此経と云うは一経に亘るに非ず専ら題目を持つて余文を雑えず尚一経の読誦だも許
さず何に況や五度をや、「廃事存理」と云うは戒等の事を捨てて題目の理を専らにす云云、所益弘多とは初心の者諸行と題目と並び行ずれば所益全く失うと云云
780: 2014/08/17(日)12:06 ID:11gSmyeC0(10/17) AAS
年の間未だ広宣流布せざるに法華経当世に当つて流布せしめずんば釈尊は大妄語の仏・多宝仏の証明は
泡沫に同じく十方分身の仏の助舌も芭蕉の如くならん。疑つて云く多宝の証明・十方の助舌・地涌の涌出此等は誰人
の為ぞや、答えて曰く世間の情に云く在世の為と、日蓮云く舎利弗・目〓等は現在を以て之を論ずれば
智慧第一・神通第一の大聖なり、過去を以て之を論ずれば金竜陀仏・青竜陀
仏なり、未来を以て之を論ずれば華光如来、霊山を以て之を論ずれば三惑頓尽の大菩薩、本を以て之を
論ずれば内秘外現の古菩薩なり、文殊・弥勒等の大菩薩は過
去の古仏・現在の応生なり、梵帝・日月・四天等は初成已前の大聖なり
781: 2014/08/17(日)12:08 ID:11gSmyeC0(11/17) AAS
殷の紂・夏の桀・法師となりて日本に生まれたり、後周の宇文・唐の武
宗・二たび世に出現せり仏法も但今失せぬべし国も
ほろびなんと大乗・小乗の二類の法師出現せば修羅と帝釈と項羽と
高祖と一国に並べるなるべしと、諸人手をたたき舌をふるふ、在
世には仏と提婆が二の戒壇ありて・そこばくの人人・死にき、されば他宗
には・そむくべし我が師天台大師の立て給はざる円
頓の戒壇を立つべしという不思議さよ・あらおそろしおそろしとののしりあ
えりき、されども経文分明にありしかば叡山の大乗戒
壇すでに立てさせ給いぬ
783: 2014/08/17(日)12:40 ID:11gSmyeC0(12/17) AAS
For example, James Beattie (1788) remarks that Languages, therefore, resemble men in this respect, that, though each has peculiarities,
whereby it is distinguished from every other, yet all have certain qualities in common. The peculiarities of individual tongues are explained
in their respective grammars and dictionaries.Those things, that all languages have in common, or that are necessary to every language,
are treated of in a science, which some have called Universal or Philosophical
grammar
784: 2014/08/17(日)12:41 ID:11gSmyeC0(13/17) AAS
The problem for the linguist, as well as for the child learning
the language, is to determine from the data of performance
the underlying system of rules that has been mastered by
the speaker-bearer and that he puts to use in actual performance.
Hence, in the technical sense, linguistic theory is mentalistic,
since it is concerned with discovering a mental reality underlying
actual behavior
786: 2014/08/17(日)13:33 ID:11gSmyeC0(14/17) AAS
其の実を論ぜば天下第一の大不実の者なり、其の故は彼等が本文とする四分律・十誦律等の文は大小乗の中には一向小乗・小乗の中にも最下の小律なり、在世には十二
年の後・方等大乗へうつる程の且くのやすめ言滅後には正法の前の五百年は一向小乗の寺なり此れ亦・一向大乗の寺の毀謗となさんがためなり、されば日本国には像法半
に鑑真和尚大乗の手習とし給う教大師・彼の宗を破し給いて人をば天台宗へとりことし宗をば失うべしといへども後に事の由を知らしめんがために我が大乗の弟子を遣してたす
けをき給う、而るに今の学者等は此の由を知らずして六宗は本より破れずして有りとおもへり墓無し墓無し、又一類の者等天台の才学を以て見れば我が律宗は幼
弱なる故に漸漸に梵網経へうつり結句は法華経の大戒を我が小律に盗み入れて還つて円頓の行者を破戒無戒と咲へば、国主は当時の形貌の貴げなる気色にたぼら
かされ給いて天台宗の寺に寄せたる田畠等を奪い取つて彼等にあたへ万民は又一向大乗の寺の帰依を抛ちて彼の寺にうつる、手づから火をつけざれども日本一国の大乗の寺
を焼き失い抜目鳥にあらざれども
787(1): 2014/08/17(日)13:34 ID:11gSmyeC0(15/17) AAS
To study actual linguistic performance,
we must consider the interaction of a variety of factors,
of which the underlying competence of the speaker-hearer
is only one. In this respect, study of language is no different
from empirical investigation of other complex phenomena.
We thus make a fundamental distinction between competence
(the speaker-hearer's knowledge of his language) and Performance
(the actual use of language in concrete situations).
In actual fact, it obviously could not directly reflect
competence. A record of natural speech will show numerous
省2
789(1): 2014/08/17(日)17:04 ID:11gSmyeC0(16/17) AAS
何の比か大蒙古は寄せ候べきと問いしかば経文には分明に年月を指したる事はなけれども天の御気色を拝見し奉るに以ての外に此の国を睨みさせ給うか今
年は一定寄せぬと覚ふ若し寄するならば一人も面を向う者あるべからず此れ又天の責なり、日蓮をばわどのばらが用いぬ者なれば力及ばず、穴賢穴賢・真言師等に
調伏行わせ給うべからず若し行わするほどならいよいよ悪かるべき由申付けてさて帰りてありしに上下共に先の如く用いさりげに有る上本より存知せり国恩を報ぜんがため
に三度までは諌暁すべし用いずば山林に身を隠さんとおもひしなり、又上古の本文にも三度のいさめ用いずば去れといふ本文にまかせて且く山中に罷り入りぬ、其の上は国
主の用い給はざらんに其れ已下に法門申して何かせん申したりとも国もたすかるまじ人も又仏になるべしともおぼへず。
又念仏無間地獄・阿弥陀経を読むべからずと申す事も私の言にはあらず、夫れ弥陀念仏と申すは源と釈迦如来の五十余年の説法の内・前四十余年の内の阿弥陀
経等の三部経より出来せり
791: 2014/08/17(日)20:53 ID:11gSmyeC0(17/17) AAS
未だ広宣流布せざるに法華経当世に当つて流布せしめずんば釈尊は大妄語の仏・多宝仏の証明は
泡沫に同じく十方分身の仏の助舌も芭蕉の如くならん。疑つて云く多宝の証明・十方の助舌・地涌の涌出此等は誰人
の為ぞや、答えて曰く世間の情に云く在世の為と、日蓮云く舎利弗・目〓等は現在を以て之を論ずれば
智慧第一・神通第一の大聖なり、過去を以て之を論ずれば金竜陀仏・青竜陀
仏なり、未来を以て之を論ずれば華光如来、霊山を以て之を論ずれば三惑頓尽の大菩薩、本を以て之を
論ずれば内秘外現の古菩薩なり、文殊・弥勒等の大菩薩は過
去の古仏・現在の応生なり
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