[過去ログ] 【吉原】六月の花嫁【MSJ】 Part8 (222レス)
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1: 2014/05/30(金)06:32 ID:SotEhadM0(1) AAS

203: 2015/04/17(金)06:01 ID:c0Y0nfQJ0(1) AAS
の輩身を容れし草菴に於ては悉く破郤せしめ畢んぬ其の身に於ては使庁に仰せて之を搦め取らるるの間・礼讃の声黒衣の色・京洛の中に都て以て止め畢んぬ、張本三人流罪に定めらると雖も逐
電の間未だ配所に向わず山門今に訴え申し候なり。
此の十一日の僉議に云く法然房所造の選択は謗法の書なり天下に之を止め置く可からず仍つて在在所所の所持並に其の印板を大講堂に取り上げ三世の仏恩を報ぜんが為に焼失すべきの由奏聞
仕り候い畢んぬ重ねて仰せ下され候か、恐恐。嘉禄三年十月十五日専修念仏の張本成覚法師・讃岐の大手嶋に経回すと云云実否分明ならず慥に〓知を加えらる可きの由・山門の人人申す
相尋ね申さしめ給う可きの由殿下の御気色候う所なり仍つて執達件の如し。嘉禄三年十月二十日 参議範輔在り判修理権亮殿関東より宣旨の御返事隆寛律師の事、右大弁宰相家の御奉書披露候い畢ん
ぬ、件の律師去る七月の比・下向せしむ鎌倉近辺に経回すると雖も京都の制符に任せ念仏者を追放せらるるの間奥州の方へ流浪せしめ畢んぬ云云、早く在所を尋ね捜して仰せ下さるるの旨に任せ対馬の
嶋に追遣可きなり、此の旨を以て言上せしむ可きの状鎌倉殿の仰せに依つて執達件の
204: 2015/04/18(土)06:51 ID:rBFtxWL30(1) AAS
如し。嘉禄三年十月十五日 武蔵守在り判相模守在り判掃部助殿修理亮殿
専修念仏の事、停廃の宣下重畳の上偸かに尚興行するの条更に公家の知しめす所にあらず偏に有司の怠慢たり早く先符に任せて禁遏せらる可し、其の上衆徒の蜂起に於ては宜く制止を加えしめ給うべし天気
に依つて言上件の如し、信盛・頓首恐惶謹言嘉禄三年六月二十九日 左衛門権佐信盛奉進上 天台座主大僧正御房政所右弁官下す 延暦寺早く僧の隆寛・幸西・空阿弥陀仏の土縁を取り進すべき事の書・権大
納言源朝臣雅親勅を宣奉するに件の隆寛等の坐せらるること配流宜く彼の寺に仰せて度縁を取り進せしむ可し、者れば宜く承知して宣に依つて之を行うべし違失ある可からず。嘉禄三年七月六日左太史小槻宿禰在り判
左少弁藤原朝臣在り判 大政官の符・五畿内の諸国司まさに宜く専修念仏の興行を停廃し早く隆寛・幸西・空阿弥陀仏等の遺弟の留まる処に禁法を犯す所の輩を捉え搦むべきの事。
弘仁聖代の格条眼に在り左大臣勅を宣奉し宜く五畿七道に課せて興行の道を停廃し違犯の身を捉え搦むべし、者れば諸国司宜く承知して宣に依つて之を行え符到らば奉行を致せ。
嘉禄三年七月十七日修理右宮城使正四位下行
205: 2015/04/19(日)06:32 ID:rFkt5sKZ0(1) AAS
右中弁藤原朝臣修理東大寺大仏長官正五位下左大史兼備前権介小槻宿禰専修念仏興行の輩停止す可きの由五畿七道に宣下せられ候い
畢んぬ、且つは御存知有る可く候、者れば綸言此の如し之を悉にせよ、頼隆・誠恐頓首謹言。嘉禄三年七月十三日 右中弁頼隆在り判進上 天台座主大僧正御房政所隆寛対馬の国に改めらる可きの
由宣下せられ畢んぬ、其の由御下知有る可きの旨仰せ下さる所に候なり此の趣を以て申し入れしめ給う可きの状件の如し。右中弁頼隆在り判中納言律師御房
隆寛律師専修の張本たるに依つて山門より訴え申すの間・陸奥に配流せられ畢んぬ而るに衆徒尚申す旨有り仍つて配所を改めて対馬の嶋に追い遣らる可きなり、当時東国の辺に経回すと云云不日に彼
の島に追い遣らる可きの由関東に申さる可し、者れば殿下の御気色に依つて執達件の如し。嘉禄三年九月二十六日 参議在り判修理権亮殿専修念仏の事、京畿七道に仰せて永く停止せらる可き
の由・先日宣下せられ候い畢んぬ、而るに諸国に尚其の聞え有りと云云、宣旨の状を守りて沙汰致す可きの由・地頭・守護所等に仰付けらる可きの由・山門訴え申し候御下知有る可く候、此の旨を以て沙
汰申さしめ給う可きの由殿
206: 2015/04/20(月)05:51 ID:DlVPpAsn0(1) AAS
下の御気色候所なり、仍つて執達件の如し。嘉禄三年十月十日 参議在り判武蔵守殿嵯峨に下されし院宣近頃破戒不善の輩厳禁に拘わらず猶専修念仏を企つるの由其の聞え有り、而
るに先師法眼存日の時・清涼寺の辺に多く以て止住すと云云、遺跡を相継ぎて若し同意有らば彼の寺の執務縦い相承の理を帯すとも免許の義有る可からざるなり、早く此の旨を存して禁止せし
め給う可し院宣此くの如し仍つて執達件の如し。建保七年二月四日 按 察 使在り判治部卿律師御房謹んで請う 院宣一紙
右当寺四至の内に破戒不善の専修念仏の輩法に任せて制止ある可く候更に以て芳心有る可からず候、若し猶寺家の力に拘わらずんば事の由を申し上ぐ可く候、謹んで請くる所件の如し。
建保七年閏二月四日 権律師良暁左弁官下す 綱所まさに諸寺の執務人に下知して専修念仏の輩を糾断せしむべき事。
右・左大臣勅を宣奉す、専修念仏の行は諸宗衰微の基なり、仍つて去る建永二年の春厳制五箇条の裁許を以てせる官符の施行先に畢んぬ、傾く者は進んでは憲章を恐れず
退いては仏勅を憚からず或は梵宇を占め或は聚洛に交わる破戒の沙門・党を道場に結んで偏に今按の佯を以てす仏号を唱えんが為に妄り 
207: 2015/04/21(火)05:59 ID:1fNVQNEh0(1) AAS
に邪音を作し将に蕩して人心を放逸にせん
とす、見聞満座の処には賢善の形を現ずと雖も寂寞破〓の夕には流俗の睡りに異ならず是れ則ち発心の修善に非ず濫行の奸謀を企つるなり豈仏陀の元意僧徒の所行と謂わんや。
宜しく有司に仰せて慥に糾断せしむべし若し猶違犯の者は罪科の趣き一に先符に同じ但し道心修行の人をして以て仏法違越の者に濫ぜしむること莫れ更に弥陀の教説を忽せ
にするに非ず只釈氏の法文を全からしめんとなり、兼ては又諸寺執務の人・五保監行の輩聞知して言わずんば与同罪曾つて寛宥せざれ、者れば宜しく承知して宣旨に依つて之を行うべし。
建保七年閏二月八日 太史小槻宿禰在り判謹んで請く 綱所宣旨一通載せらるるはまさに諸寺の執務人に下知して専修念仏の輩を糾断せしむべき事。右宣旨の状に任せ諸寺に告げ触る可きの状謹んで請くる所件の如し。
建保七年閏二月二十二日之を行う。頃年以来無慚の徒・不法の侶・如如の戒行を守らず処処の厳制を恐れず恣に念仏の別宗を建て猥りに衆僧の勤学を謗ず、しかのみならず内には妄執を凝らして仏意に乖き外に
は哀音を引いて人心を蕩かす遠近併ら専修の一行に帰し緇素殆んど顕密の両教を褊す仏法の衰滅而
208: 2015/04/22(水)05:57 ID:TIs+XrHq0(1) AAS
も斯に由る自由の奸悪誠に禁じても余り有り。
是を以て教雅法師に於ては本源を温ねて遠流し此の外同行の余党等慥かに其の行を帝土の中に停廃し悉く其の身を洛陽の外に追郤せよ但し或は自行の為或は化他の為に至心専念・如法修行の輩に於ては制の限りに在らず。
天福二年六月晦日 藤原中納言権弁奉る天福二年文暦と改む四条院の御宇後堀河院の太子なり、武蔵前司入道殿の御時。祇園の執行に仰せ付けらるる山門の下知状。
大衆の僉議に云く専修念仏者・天下に繁昌す是れ則ち近年山門無沙汰の致す所なり、件の族は八宗仏法の怨敵なり円頓行者の順魔なり、先ず京都往返の類・在家称名の所に於ては例に任せ
犬神人に仰せて宜しく停止せしむべし云云、者れば大衆僉議の旨斯くの如し早く先例に任せ犬神人等に仰せ含めて専修念仏者を停止せしめ給う可し云云、恐恐謹言。延応二年五月十四日 公文勾当審賢
四条院の御宇武蔵前司殿の御時。謹上 祇園の執行法眼御房逐つて申す、去る夜・大衆僉議して先ず此の異名に於て殊に犬神人に付けて之を責む可きの由仰せ含めぬ仍つ
て実名之を獻ず、専修念仏の張本の事・唯仏・鏡仏・智願・定真・円真・正阿弥陀仏・名阿弥陀仏・善慧・道弁・
209: 2015/04/23(木)05:59 ID:nx9i6Lca0(1) AAS
真如堂狼藉の張本なり已上、唐橋油小路並に八条大御堂六波羅の総門の向いの堂・已上・当時興行の所なり。
延暦寺 別院雲居寺早く一向専修の悪行を禁断す可き事右頃年以来、愚蒙の結党・〓〓の会衆を名けて専修と曰い〓閭に旁ねし心に一分の慧解無く口に衆罪の悪言を吐き言を一念十声の悲願に寄せ
て敢て三毒五蓋の重悪を憚からず盲瞑の輩是非を弁えず唯情に順ずるを以て多く愚誨に信伏す、持戒修善の人を笑うて之を雑行と号し鎮国護王の教を謗りて之を魔業と称す諸善を擯棄し衆悪を選択し罪を
山岳に積み報を泥梨に招く毒気深く入つて禁じても改むること無く偏に欲楽を嗜んで自ら止むこと能わず、猶蒼蝿の唾の為に黏さるるが如く、何ぞ狂狗の雷を逐うて走るに異ならん、恣ままに三寸の舌を振いて衆生
の眼目を抜き五尺の身を養わんが為に諸仏の肝心を滅す、併ら只仏法の怨魔と為り専ら緇門の妖怪と謂う可し。
是を以て邪師存生の昔は永く罪条に沈み、滅後の今は亦屍骨を刎らる其の徒・住蓮と安楽とは死を原野に賜い成覚と薩生とは刑を遠流に蒙りぬ此の現罰を以て其の後報を察す可し、方に今且は釈尊の遺法を
護らんが為且は衆生の塗炭を救わんが為に宜く諸国の末寺・ 
210: 2015/04/24(金)06:16 ID:7JtM9kmc0(1) AAS
荘園・神人・寄人等に仰せて重ねて彼の邪法を禁断すべし縦い片時と雖も彼の凶類を寄宿せしむ可からず縦い一言と雖も其の邪説を聴受す可からず、
若し又山門所部の内に専修興行の輩有らば永く重科に処して寛宥有ること勿れ、者れば三千衆徒の僉議に依つて仰す所件の如し。延応二年
山門申状近来二つの妖怪有り人の耳目を驚かす所謂達磨の邪法と念仏の哀音となり。顕密の法門に属せず王臣の祈請を致さず誠に端拱にして世を蔑り暗証にして人を軽んず小生の浅識を崇めて見
性成仏の仁と為し耆年の宿老を笑うて螻蟻〓〓の類に擬す論談を致さざれば才の長短を表さず決択に交らざれば智の賢愚を測らず、唯牆壁に向うて独り道を得たりと謂い三依纔に紆い七慢専ら盛なり長
く舒巻を抛つ附仏法の外道吾が朝に既に出現す、妖怪の至り慎まずんばあるべからず何ぞ強ちに亡国流浪の僧を撰んで伽藍伝持の主と為さんや。
御式目に云く右大将家以後・代代の将軍並に二位殿の御時に於ての事・一向に御沙汰を改ること無きか、追加の状に云く嘉禄元年より仁治に至るまで御成敗の事・正嘉二年二月十日評定、右自今以
後に於ては三代の将軍並に二位家の御成敗に準じて御沙汰を改むるに及ばず 
211: 2015/04/25(土)07:07 ID:FdCl4R9Z0(1) AAS
と云云。念仏停廃の事、宣旨御教書の趣き南都北嶺の状粗此くの如し、日蓮〓弱為りと雖も勅宣並に御下知の旨を守りて偏に南北明哲の賢懐を述ぶ猶此の義を棄置せらるるに非ずんば綸言徳政を故らる可き
か将た御下知を仰せらるる可きか、称名念仏の行者又賞翫せらると雖も既に違勅の者なり関東の御勘気未だ御免許をも蒙らず何ぞ恣に関東の近住を企てんや、就中武蔵前司殿の御下知に至りては三代
の将軍並に二位家の御沙汰に準じて御沙汰を改むること有る可からずと云云。
然るに今念仏者何の威勢に依つてか宣旨に背くのみに非ず御下知を軽蔑して重ねて称名念仏の専修を結構せん人に依つて事異なりと云う此の謂在るか、何ぞ恣に華夷縦横の経回を致さんや。
勘文篇念仏者追放宣旨御教書の事念仏無間地獄抄 /建長七年 三十四歳御作
念仏は無間地獄の業因なり法華経は成仏得道の直路なり早く浄土宗を捨て法華経を持ち生死を離れ菩提を得可き事法華経第二譬喩品に云く「若人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切世
の仏種を断ぜん、其の人命終して阿鼻獄に入らん、一劫を具足して劫尽きなば更生れん、是くの如く展転して無数劫に至らん」云云 此の文の如くんば方便の念仏を信
212: 2015/04/26(日)07:51 ID:hm/F1BLy0(1) AAS
じて真実の法華を信ぜざらん者は無間地獄に堕つ可きなり念仏者云く我等が機は法華経に及ばざる間信ぜざる計りなり毀謗する事はなし何の科に地獄に堕つ可きか、法華宗云く信ぜざる
条は承伏なるか、次に毀謗と云うは即不信なり信は道の源功徳の母と云へり菩薩の五十二位には十信を本と為し十信の位には信心を始と為し諸の悪業煩悩は不信を本と為す云云、然ば譬
喩品の十四誹謗も不信を以て体と為せり今の念仏門は不信と云い誹謗と云い争か入阿鼻獄の句を遁れんや、其の上浄土宗には現在の父たる教主釈尊を捨て他人たる阿弥陀仏を信ずる故に
五逆罪の咎に依つて必ず無間大城に堕つ可きなり、経に今此の三界は皆是我有なりと説き給うは主君の義なり其の中の衆生悉く是れ吾子と云うは父子の義なり而るに今此の処は諸の患難多し
、唯我一人能く救護を為すと説き給うは師匠の義なり而して釈尊付属の文に此法華経をば付属有在と云云何れの機か漏る可き誰人か信ぜざらんや、而るに浄土宗は主師親たる教主釈尊の付属
に背き他人たる西方極楽世界の阿弥陀如来を憑む故に主に背けり八逆罪の凶徒なり違勅の咎遁れ難し即ち朝敵なり争か咎無けんや、次に父の釈尊を捨つる故に五逆罪の者  
213: 2015/04/27(月)06:00 ID:4wDf/xTY0(1) AAS
なり豈無間地獄に
堕ちざる可けんや、次に師匠の釈尊に背く故に七逆罪の人なり争か悪道に堕ちざらんや此の如く教主釈尊は娑婆世界の衆生には主師親の三徳を備て大恩の仏にて御坐す此の仏を捨て他方の仏を
信じ弥陀薬師大日等を憑み奉る人は二十逆罪の咎に依つて悪道に堕つ可きなり、浄土の三部経とは釈尊一代五時の説教の内第三方等部の内より出でたり、此の四巻三部の経は全く釈尊の本意に
非ず三世諸仏出世の本懐にも非ず唯暫く衆生誘引の方便なり譬えば塔をくむに足代をゆふが如し念仏は足代なり法華は宝塔なり法華を説給までの方便なり法華の塔を説給て後は念仏の足代をば切
り捨べきなり、然るに法華経を説き給うて後念仏に執著するは塔をくみ立て後足代に著して塔を用ざる人の如し豈違背の咎無からんや、然れば法華の序分 ・無量義経には四十余年未顕真実と
説給て念仏の法門を打破り給う、正宗法華経には正直捨方便・但説無上道と宣べ給て念仏三昧を捨て給う之に依て阿弥陀経の対告衆長老・舎利弗尊者・阿弥陀経を打捨て法華経に帰伏して
華光如来と成り畢んぬ、四十八願付属の阿難尊者も浄土の三部経を抛て法華経を受持して山海慧自在通王仏と成り畢んぬ、阿弥
214: 2015/04/28(火)05:51 ID:tHMzwwD80(1) AAS
陀経の長老舎利弗は千二百の羅漢の中に智慧第一の上首の
大声聞・閻浮提第一の大智者なり肩を並ぶる人なし、阿難尊者は多聞第一の極聖・釈尊一代の説法を空に誦せし広学の智人なり、かかる極位の大阿羅漢すら尚往生成仏の望を遂げず仏在世の
祖師此くの如し祖師の跡を踏む可くば三部経を抛ちて法華経を信じ無上菩提を成ず可き者なり仏の滅後に於ては祖師先徳多しと雖も大唐楊州の善導和尚にまさる人なし唐土第一の高祖なり云云、
始は楊州の明勝と云える聖人を師と為して法華経を習たりしが道綽禅師に値つて浄土宗に移り法華経を捨て念仏者と成れり一代聖教に於て聖道浄土の二門を立てたり法華経等の諸大乗経をば聖道
門と名く自力の行と嫌えり聖道門を修行して成仏を願わん人は百人にまれに一人二人千人にまれに三人五人得道する者や有んずらん乃至千人に一人も得道なき事も有るべし観経等の三部経を浄土
門と名け此の浄土門を修行して他力本願を憑んで往生を願わん者は十即十生百即百生とて十人は十人百人は百人決定往生す可しとすすめたり、観無量寿経を所依と為して四巻の疏を作る玄義
分・序分義・定善義・散善義是なり、其の外法事讃上下・般舟讃・往生礼讃・観 
215: 2015/04/29(水)07:24 ID:CTUiP7w50(1) AAS
念法門経此等を九帖の疏と名けたり、善導念仏し給へば口より仏の出給うと云つて称名念仏一遍を作すに三体づつ口より出給けりと伝へたり、毎日の所作には阿弥陀経六
十巻・念仏十万遍是を欠く事なし、諸の戒品を持つて一戒も破らず三依は身の皮の如く脱ぐ事なく鉢〓は両眼の如く身を離さず精進潔斎す女人を見ずして一期生不眠三十年なりと自
歎す、凡そ善導の行儀法則を云へば酒肉五辛を制止して口に齧まず手に取らず未来の諸の比丘も是くの如く行ずべしと定めたり、一度酒を飲み肉を食い五辛等を食い念仏申さん者は三百万劫が
間地獄に堕す可しと禁しめたり、善導が行儀法則は本律の制に過ぎたり、法然房が起請文にも書載たり、一天四海善導和尚を以て善知識と仰ぎ貴賤上下皆悉く念仏者と成れり・但し一代聖教の
大王・三世諸仏の本懐たる法華の文には若し法を聞くこと有らん者は無一不成仏と説き給へり、善導は法華経を行ぜん者は千人に一人も得道の者有る可からずと定む何れの説に付く可きか、
無量義経には念仏をば未顕真実とて実に非ずと言ふ法華経には正直捨方便但説無上道とて正直に念仏の観経を捨て無上道の法華経を持つ可しと言ふ此の両説水火なり何れの辺に付く可き
216: 2015/04/30(木)05:54 ID:qZrMDEBQ0(1) AAS
や善導が言を信じて法華経を捨つ可きか法華経を信じて善導の義を捨つ可きか如何、夫れ一切衆生皆成仏道の法華経、一たび法華経を聞かば決定して菩提を成ぜんの妙典善導が一言に破れ
て千中無一虚妄の法と成り、無得道教と云はれ平等大慧の巨益は虚妄と成り多宝如来の皆是真実の証明の御言妄語と成るか十方諸仏の上至梵天の広長舌も破られ給ぬ、三世諸仏の大怨敵
と為り十方如来成仏の種子を失う大謗法の科甚重し大罪報の至り無間大城の業因なり、之に依つて忽に物狂いにや成けん所居の寺の前の柳の木に登りて自ら頚をくくりて身を投げ死し畢んぬ邪法
のたたり踵を回さず冥罰爰に見たり、最後臨終の言に云く此の身厭う可し諸苦に責められ暫くも休息無しと即ち所居の寺の前の柳の木に登り西に向い願つて曰く仏の威神以て我を取り観音勢
至来つて又我を扶けたまえと唱え畢つて青柳の上より身を投げて自絶す云云、三月十七日くびをくくりて飛たりける程にくくり縄や切れけん柳の枝や折れけん大旱魃の堅土
の上に落て腰骨を打折て、二十四日に至るまで七日七夜の間悶絶躄地しておめきさけびて死し畢ぬ、さればにや是程の高祖をば往生の人の内には入れざるらんと覚ゆ此事全く余宗の
217: 2015/05/01(金)06:50 ID:rW4TNYVj0(1) AAS
誹謗に非ず法華宗の妄語にも非ず善導和尚自筆の類聚伝の文なり云云、而も流を酌む者は其の源を忘れず法を行ずる者は其の師の跡を踏む可し云云浄土門に入つて師の跡を踏む可くば臨終の時善導
が如く自害有る可きか、念仏者として頚をくくらずんば師に背く咎有る可きか如何。
日本国には法然上人浄土宗の高祖なり十七歳にして一切経を習極め天台六十巻に渡り、八宗を兼学して一代聖教の大意を得たりとののしり、天下無雙の智者山門第一の学匠なり云云、然るに
天魔や其の身に入にけん広学多聞の智慧も空く諸宗の頂上たる天台宗を打捨て八宗の外なる念仏者の法師と成りにけり大臣公卿の身を捨て民百姓と成るが如し、選択集と申す文を作つて一代
五時の聖教を難破し念仏往生の一門を立てたり、仏説法滅尽経に云く五濁悪世には魔道興盛し魔沙門と作つて我が道を壊乱し悪人転た海中の沙の如く善人甚だ少くして若は一人若は二人なら
ん云云即ち法然房是なりと山門の状に書かれたり、我が浄土宗の専修の一行をば五種の正行と定め権実顕密の諸大乗をば五種の雑行と簡て浄土門の正行をば善導の如く決定往生と勧めたり、
観経等の浄土の三部経の外・一代顕密の諸大乗経・大般若経を
218: 2015/05/02(土)07:22 ID:W+ZVJRCp0(1/2) AAS
始と為して終り法常住経に至るまで貞元録に載する所の六百三十七部・二千八百八十三巻は皆是千中無一の徒物なり永く得道
有る可からず、難行・聖道門をば門を閉じ之を抛ち之を閣き之を捨て・浄土門に入る可しと勧めたり、一天の貴賤首を傾け四海の道俗掌を合せ或は勢至の化身と号し或は善導の再誕と仰ぎ一天四
海になびかぬ木草なし、智慧は日月の如く世間を照して肩を並ぶる人なし名徳は一天に充ちて善導に超え曇鸞・道綽にも勝れたり貴賤・上下・皆選択集を以て仏法の明鏡なりと思い道俗・男女悉く
法然房を以て生身の弥陀と仰ぐ、然りと雖も恭敬供養する者は愚癡迷惑の在俗の人・帰依渇仰する人は無智放逸の
邪見の輩なり、権者に於ては之を用いず賢哲又之に随うこと無し。
然る間斗賀尾の明慧房は天下無雙の智人・広学多聞の明匠なり、摧邪輪三巻を造つて選択の邪義を破し、三井寺の長吏・実胤大僧正は希代の学者・名誉の才人なり浄土決疑集三巻を
作つて専修の悪行を難じ、比叡山の住侶・仏頂房・隆真法橋は天下無雙の学匠・山門探題の棟梁なり弾選択上下を造つて法然房が邪義を責む、しかのみならず南都・山門・三井より度度奏
聞を経て法然が選択の邪義亡 
219: 2015/05/02(土)21:22 ID:W+ZVJRCp0(2/2) AAS
国の基為るの旨訴え申すに依つて人王八十三代・土御門院の御宇・承元元年二月上旬に専修念仏の張本たる安楽・住蓮等を捕縛え忽ちに頭を刎ねられ畢んぬ、法
然房源空は遠流の重科に沈み畢んぬ、其の時・摂政左大臣家実と申すは近衛殿の御事なり此の事は皇代記に見えたり誰か之を疑わん。
しかのみならず法然房死去の後も又重ねて山門より訴え申すに依つて人皇八十五代・後堀河院の御宇嘉禄三年京都六箇所の本所より法然房が選択集・並に印版を責め出して大講堂の庭に取
り上げて三千の大衆会合し三世の仏恩を報じ奉るなりとて之れを焼失せしめ法然房が墓所をば犬神人に仰せ付けて之れを掘り出して鴨河に流され畢んぬ。
宣旨・院宣・関白殿下の御教書を五畿・七道に成し下されて、六十六箇国に念仏の行者・一日片時も之れを置く可からず対馬の島に追い遣る可きの旨諸国の国司に仰せ付けられ畢んぬ、此等の次第
・両六波羅の注進状・関東相模守の請文等明鏡なる者なり。嘉禄三年七月五日に山門に下さるる宣旨に云く。専修念仏の行は諸宗衰微の基なり、〓に因つて代代の御門・頻に厳旨を降され殊に禁遏
を加うる所なり、而るを頃年又興行を構へ山門訴え申さしむるの間・先符
220: 2015/05/04(月)06:47 ID:txPDbxtb0(1) AAS
に任せて仰せ下さるること先に畢んぬ、其の上且は仏法の陵夷を禁ぜんが為且は衆徒の欝訴を優に依つて其の根本と謂うを以て隆寛・成覚・空阿弥陀仏等其の身を遠
流に処せしむ可きの由・不日に宣下せらるる所なり、余党に於ては其の在所を尋ね捜して帝土を追却す可きなり、此の上は早く愁訴を慰じて蜂起を停止す可きの旨・時刻を
回さず御下知有る可く候、者綸言此の如し頼隆・誠恐・頓首謹言。七月五日酉刻 右中弁頼隆奉わる進上天台座主大僧正御房政所同七月十三日山門に下さるる宣旨に云く。
専修念仏興行の輩を停止す可きの由・五畿七道に宣下せられ畢んぬ、且御存知有る可く候綸言此の如く之を悉にす・頼隆・誠恐・頓首謹言。七月十三日 右中弁頼隆奉わる
進上天台座主大僧正御房政所殿下御教書専修念仏の事、五畿七道に仰せて永く停止せらる可きの由・先日宣下せられ候い畢んぬ、而るを諸国に尚其の聞え有り云云、宣
旨の状を守つて沙汰致す可きの由・地頭守護所等に仰せ付けらる可きの旨・山門訴え申し候、御存知有る可く候、此の旨を以て沙汰申さしめ給う可き由・殿下の御気色候所
なり、仍て執達件の如し。嘉禄三年十月十日 参議範輔在り判武 蔵 守 殿永尊竪者の
221: 2015/05/05(火)07:09 ID:C5/vrAAz0(1) AAS
状に云く、此の十一日に大衆僉議して云く法然房所造の選択は謗法の書なり天下之を止め置く可からず、仍て在在所所の所持並に其の印板を大講堂に取り上げて三世の仏恩を報
ぜんが為に之を焼失せしめ畢んぬ、又云く法然上人の墓所をば感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしめ畢んぬ。
嘉禄三年十月十五日・隆真法橋申して云く専修念仏は亡国の本為る可き旨文理之有りと。
山門より雲居寺に送る状に云く、邪師源空・存生の間には永く罪条に沈み滅後の今は且死骨を刎ねられ、其の邪類・住蓮・安楽・死を原野に賜い成覚・薩生は刑を遠流に蒙る殆ど此の現罰
を以て其の後報を察す可し云云。
嗚呼世法の方を云えば違勅の者と成り帝王の勅勘を蒙り今に御赦免の天気之れ無し心有る臣下万民・誰人か彼の宗に於て布施供養を展ぶ可きや、仏法の方を云えば正法誹謗の罪人為
り無間地獄の業類なり何れの輩か念仏門に於て恭敬礼拝を致す可きや、庶幾くば末代今の浄土宗・仏在世の祖師・舎利弗・阿難等の如く浄土宗を抛つて法華経を持ち菩提の素懐を遂ぐ可き者か。
日 蓮 花 押当世念仏者無間地獄事安房の国・長狭郡・東条花房の郷蓮華寺に於て浄円房に対して日蓮阿闍梨之を註るす、
222: 2015/05/07(木)20:45 ID:w7GW7Kkk0(1) AAS
文永元年甲子九月二十二日。問うて曰く当世の念仏者・無間地獄と云う事其の故如何、答えて云く法然の選択に就いて云うなり、問うて云く其の選択の意如何、答えて曰く後鳥羽院の治天下・建仁年中に日本国に一の彗星出
でたり名けて源空法然と曰う選択一巻を記して六十余紙に及べり、科段を十六に分つ第一段の意は道綽禅師の安楽集に依つて聖道浄土の名目を立つ、其の聖道門とは浄土の三部経等を除いて
自余の大小乗の一切経殊には朝家帰依の大日経・法華経・仁王経・金光明経等の顕密の諸大乗経の名目阿弥陀仏より已外の諸仏・菩薩・朝家御帰依の真言等の八宗の名目之を挙げて聖道
門と名く、此の諸経諸仏諸宗は正像の機に値うと雖も末法に入つて之を行ぜん者は一人も生死を離る可からずと云云、又曇鸞法師の往生論註に依つて難易の二行を立つ第二段の意は善導
和尚の五部九巻の書に依つて正雑二行を立つ、其の雑行とは道綽の聖道門の料簡の如し、又此の雑行は末法に入つては往生を得る者の千中に一も無きなり、下の十四段には或は聖道・難行・雑行を
ば小善根・随他意・有上功徳等と名け念仏等を以ては大善根・随自意・無上功徳等と名けて、念仏に対して末代の凡夫此れ
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