[過去ログ] 六月の花嫁を語ろう  Part5 (770レス)
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463: 2014/08/27(水)05:53 ID:c9+eDaL80(1/8) AAS
此の文の心は菩薩・人師の言には依るべからず仏の御定を用いよ華厳・阿含・方等・般若経等の真言・禅宗・念仏等の法には依らざれ了義経を持つべし了義経と云うは法華経を持つべしと云う文なり。
問うて云く今日本国を見るに当時五濁の障重く闘諍堅固にして瞋恚の心猛く嫉妬の思い甚しかかる国かかる時には何れの経をか弘むべきや、答えて云く法華経を弘むべき国なり、其の故は法華経に云く「閻浮提の内に広く流布せしめて断絶せざら
しめん」等云云、瑜伽論には丑寅の隅に大乗・妙法蓮華経の流布すべき小国ありと見えたり、安然和尚云く「我が日本国」等云云、天竺よりは丑寅の角に此の日本国は当るなり、又慧心僧都の
一乗要決に云く「日本一州・円機純一にして朝野遠近・同く一乗に帰し緇素貴賤悉く成仏を期せん」云云、此の文の心は日本国は京・鎌倉・筑紫・鎮西・みちをく遠きも近きも法華一乗の機のみ有りて上も下も貴も賤も持戒も破戒も男も女も皆おしなべて法華経に
て成仏すべき国なりと云う文なり、譬えば崑崙山に石なく蓬莱山に毒なきが如く日本国は純に法華経の国なり、而るに法華経は元よりめでたき御経なれば誰か信ぜざると語には云うて而も昼夜朝暮に弥陀念
464: 2014/08/27(水)05:54 ID:c9+eDaL80(2/8) AAS
仏を申す人は薬はめでたしとほめて朝夕毒を服する者
の如し、或は念仏も法華経も一なりと云はん人は石も玉も上〓も下〓も毒も薬も一なりと云わん者の如し、其の上法華経を怨み嫉み悪み毀り軽しめ賤む族のみ多し、経に云く「一切世間多怨難信」又云く「如来現在・猶多怨嫉・況滅度後」の経文少しも
違はず当れり、されば伝教大師の釈に云く「代を語れば則ち像の終り末の初め地を尋ぬれば唐の東・羯の西・人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり経に云く猶多怨嫉・況滅度後と此の言良に以有るなり」と、此等の文釈をもつて知るべし、日本国に法華経より
外の真言・禅・律宗・念仏宗等の経教・山山・寺寺・朝野遠近に弘まるといへども正く国に相応して仏の御本意に相叶ひ生死を離るべき法にはあらざるなり。
問うて云く華厳宗には五教を立て余の一切の経は劣れり華厳経は勝ると云ひ、真言宗には十住心を立て余の一切経は顕経なれば劣るなり真言宗は密教なれば勝れたりと云う、禅宗には余の一切教をば教内と簡いて教外別伝不立文字と立て壁に向いて悟れば禅
宗独り勝れたりと云う、浄土宗には正雑・二行を立て法華経等の一切教をば捨閉閣抛し雑行と簡ひ浄土の三部経を機に
465: 2014/08/27(水)19:04 ID:c9+eDaL80(3/8) AAS
叶ひめでたき正行なりと云う、各各我慢を立て互に偏執を作す何れか釈迦仏の御本意なるや、答えて云く宗宗・各別に我が経こそ・すぐれたれ余経は劣れりと云いて我が宗吉と云う事は唯是れ人師の言に
て仏説にあらず、但し法華経計りこそ仏五味の譬を説きて五時の教に当て此の経の勝れたる由を説き、或は又已今当の三説の中に仏になる道は法華経に及ぶ経なしと云う事は正しき仏の金言なり、然るに
我が経は法華経に勝れたり我が宗は法華宗に勝れたりと云はん人は下〓が上〓を凡下と下し相伝の従者が主に敵対して我が下人なりと云わんが如し何ぞ大罪に行なはれざらんや、法華経より余経を下す事は人師の言に
あらず経文分明なり、譬えば国王の万人に勝れたりと名乗り侍の凡下を下〓と云わんに何の禍かあるべきや、此の経は是れ仏の御本意なり天台・妙楽の正意なり。
問うて云く釈迦一期の説法は皆衆生のためなり衆生の根性万差なれば説法も種種なり何れも皆得道なるを本意とす、然れば我が有縁の経は人の為には無縁なり人の有縁の経は我が為には無縁なり故に余経の念仏によ
りて得道なるべき者の為には観経等はめでたし法華経等は無用なり、法華によりて成仏得道なるべき者の為
466: 2014/08/27(水)19:05 ID:c9+eDaL80(4/8) AAS
には余経は無用なり法華経はめでたし、四十余年・未顕真実と説くも雖示種種道・其実為仏乗と云うも正直
捨方便・但説無上道と云うも法華得道の機の前の事なりと云う事世こぞつてあはれ然るべき道理かななんど思へり如何心うべきや、若し爾らば大乗・小乗の差別もなく権教・実教の不同もなきなり何れをか仏の本意と説き何れを
か成仏の法と説き給えるや甚だいぶかし・いぶかし、答えて云く凡そ仏の出世は始めより妙法を説かんと思し食ししかども衆生の機縁・万差にして・ととのをらざりしかば三七日の間・思惟し四十余
年の程こしらへ・おおせて最後に此の妙法を説き給う、故に「若し但仏乗を讃せば衆生・苦に没在し是の法を信ずること能わず、法を破して信ぜざるが故に三悪道に墜ちん」と説き「世尊の法は久くして後要らず当に真実
を説きたまうべし」とも云へり、此の文の意は始めより此の仏乗を説かんと思し食ししかども仏法の気分もなき衆生は信ぜずして定めて謗りを至さん、故に機をひとしなに誘へ給うほどに初めに華厳・阿含・方等・般若等の経を四十余
年の間とき最後に法華経をとき給う時、四十余年の座席にありし身子・目連等の万二千の声聞・文殊・弥勒等の八万の
467: 2014/08/27(水)19:07 ID:c9+eDaL80(5/8) AAS
菩薩・万億の輪王等・梵王・帝釈等の無量の天人・各爾前に聞きし処の法をば如来の無量の知見を失えりと云云、法華経を聞いては無上の宝聚求めざるに自ら得たりと悦び給ふ、されば「我等昔より来数世尊の説を聞きたてまつるに未だ
曾つて是くの如き深妙の上法を聞かず」とも、「仏・希有の法を説き給う昔より未だ曾つて聞かざる所なり」とも説き給う、此等の文の心は四十余年の程・若干の説法を聴聞せしかども法華経の様なる法をば総てきかず又仏も終に説かせ給はずと法華経
を讃たる文なり四十二年の聴と今経の聴とをばわけたくらぶべからず、然るに今経をそれ法華経得道の人の為にして爾前得道の者の為には無用なりと云う事・大なる誤りなり、をのづから四十二年の経の内には一機・一縁の為にし
つらう処の方便なれば設い有縁無縁の沙汰はありとも法華経は爾前の経経の座にして得益しつる機どもを押ふさねて一純に調えて説き給いし間有縁無縁の沙汰あるべからざるなり、悲しいかな大小・権実みだりがわしく仏の本懐を失いて爾前得道の者のため
には法華経無用なりと云へる事を能能慎むべし・恐るべし、古の徳一大師と云いし人・此の義を人にも教へ我が心にも存して・さて法華経を
469: 2014/08/27(水)22:08 ID:c9+eDaL80(6/8) AAS
読み給いしを伝教大師・此の人を破し給ふ言に「法華経を讃すと雖も還つて法華の心を死す」と責め給いしかば徳一大師は舌八にさけて失せ給ひき。問うて云く天台の釈の中に菩薩処処得入と云う文は法華経は但二乗
の為にして菩薩の為ならず菩薩は爾前の経の中にしても得道なると見えたり・若し爾らば未顕真実も正直捨方便等も総じて法華経八巻の内・皆以て二乗の為にして菩薩は一
人も有るまじきと意うべきか如何、答えて云く法華経は但二乗の為にして菩薩の為ならずと云う事は天台より已前・唐土に南三・北七と申して十人の学匠の義なり、天台は其の義を破し失て今は弘まらず若し菩薩なしと云はば
菩薩是の法を聞いて疑網皆已に除くと云える豈是れ菩薩の得益なしと云わんや、それに尚鈍根の菩薩は二乗とつれて得益あれども利根の菩薩は爾前の経にて得益すと云はば「利根鈍根等しく法雨を雨す」と説き「一切の菩薩の阿耨多
羅三藐三菩提は皆此経に属せり」と説くは何に、此等の文の心は利根にてもあれ鈍根にてもあれ持戒にてもあれ破戒にてもあれ貴もあれ賤もあれ一切の菩薩・凡夫・二乗は法華経にて成仏得道なるべしと云う文なる
をや、又法華得益の菩薩は皆鈍根なりと云はば
470: 2014/08/27(水)22:09 ID:c9+eDaL80(7/8) AAS
普賢・文殊・弥勒・薬王等の八万の菩薩をば鈍根なりと云うべきか、其の外に爾前の経にて得道する利根の菩薩と云うは何様なる菩薩ぞや、抑爾前に菩薩の得道と云うは法華経の
如き得道にて候か、其ならば法華経の得道にて爾前の得分にあらず、又法華経より外の得道ならば已今当の中には何れぞや、いかさまにも法華経ならぬ得道は当分の得道にて真実の得道にあらず、故に無量義経には「是
の故に衆生の得道差別せり」と云い又「終に無上菩提を成ずることを得じ」と云へり、文の心は爾前の経経には得道の差別を説くと云へども終に無上菩提の法華経の得道はなしとこそ仏は説き給いて候へ。
問うて云く当時は釈尊入滅の後・今に二千二百三十余年なり、一切経の中に何の経が時に相応して弘まり利生も有るべきや大集経の五箇の五百歳の中の第五の五百歳に当時はあたれり、其の第五の五
百歳をば闘諍堅固・白法隠没と云つて人の心たけく腹あしく貪欲・瞋恚・強盛なれば軍・合戦のみ盛にして仏法の中に先き先き弘りし所の真言・禅宗・念仏・持戒等の白法は隠没すべしと仏説き給へり、第一の五百
歳・第二の五百歳・第三の五百歳・第四の五百歳を見るに成仏の道こそ未顕真実なれ世間の事
471: 2014/08/27(水)22:09 ID:c9+eDaL80(8/8) AAS
法は仏の御言一分も違はず是を以て之を思うに当時の闘諍堅固・白法隠没の金言も違う事あらじ、若爾らば末法には何の法も
得益あるべからず何れの仏菩薩も利生あるべからずと見えたり如何、さてもだして何の仏菩薩にもつかへ奉らず何の法をも行ぜず憑む方なくして候べきか、後世をば如何が思い定め候べきや、答えて云く末法当時は久遠実成の釈迦仏
・上行菩薩・無辺行菩薩等の弘めさせ給うべき法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘まりて利生得益もあり上行菩薩の御利生盛んなるべき時なり、其の故は経文明白なり道心堅固にして志あらん人は委く
是を尋ね聞くべきなり。浄土宗の人人・末法万年には余経悉く滅し弥陀一教のみと云ひ又当今末法は是れ五濁の悪世唯浄土の一門のみ有て通入す可き路なりと云つて虚言して大集
経に云くと引ども彼の経に都て此文なし、其の上あるべき様もなし仏の在世の御言に当今末法五濁の悪世には但浄土の一門のみ入るべき道なりとは説き給うべからざる道理顕然なり本経には「当来の世・経
道滅尽し特り此の経を留めて止住する事百歳ならん」と説けり、末法一万年の百歳とは全く見えず、然るに平等覚経・大阿弥陀経を見るに
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