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【吉祥寺】住んでみたい街 【三鷹】

134三鷹中央防災公園@元気創造プラザ:2016/10/19(水) 22:56:54 ID:3nj2DzXE0
「吉祥寺」という地名のルーツ! 吉祥寺<ぶらり東京・仏寺めぐり>
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20161018/Gentosha_6453.html?_p=2

現在、神田川に架かっている水道橋は、当時の吉祥寺の表門橋であり、かつて吉祥寺橋と呼ばれていた。
 駒込に移ったのは「明暦の大火」後のこと。「振袖火事」とも呼ばれたこの大火は、本郷の本妙寺[ほんみょうじ]から出火し、江戸のほぼ全域を焼き尽くした。大火を機に江戸の大改造が行われ、多くの社寺が郊外に移転した際、吉祥寺も駒込に移転した。

 駒込が寺町になったのは、郊外でありながら、檀家の残っている江戸市中に近かったからだという。

 一方、吉祥寺の門前に住んでいた農民らが移住したのは武蔵野の地。農地を開墾し、吉祥寺村と名付けた。これが現在の武蔵野市吉祥寺の始まりである。

美しい佇まいの吉祥寺大仏
 駒込に移った吉祥寺は、僧侶を養成する学校「栴檀林」を擁する名刹として栄えた。千人以上の僧侶が学ぶ「栴檀林[せんだんりん]」は、幕府の昌平坂[しょうへいざか]学問所と並び称されるほどの名声を誇り、後に駒澤大学や世田谷学園へと発展した。

しかし、昭和二十(一九四五)年の空襲でほとんどの伽藍を消失。焼け残ったのは経蔵[きょうぞう]と山門のみだった。

青銅製の宝珠を頂く経蔵。栴檀林の図書収蔵庫だった
 経蔵は栴檀林の図書収蔵庫。歴史を感じさせる佇まいゆえ、境内でひときわ存在感を放っている。文化元(一八〇四)年に再建された二層からなる建物で、屋根に青銅製の宝珠(思い通りに願いをかなえてくれる宝)を頂く「二重宝形造[ほうぎょうづく]り」である。


江戸時代に建てられた経蔵が都内に残っている例は珍しい。昭和八(一九三三)年にも大修復が行われ、大切に守られている。
境内には「二宮金次郎」として知られる江戸後期の農政家・二宮尊徳[そんとく]、幕末から明治にかけて八面六臂の活躍を見せた榎本武揚[たけあき]などの墓所がある。

本郷通り沿いに建つ堂々たる山門には「栴檀林」の額が掲げられ、往時の威容に思いを馳せることができる。


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