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無差別級

83闇夜の鮟鱇★:2011/06/01(水) 11:20:03 ID:???0
  ●●●大和三山歌1200年の疑問と論争に決着をつける道●●●(3/3)

とすると、第一反歌の方は『本当は誰か仲裁してくれるといいんだが……
仲裁に来てくれないかな』という密かな願望と解釈すべきでしょうね。
つまり、もう戦う前からそういう弱気な心理だった分けですから、
『この戦争は、やる前から負けると決まっていた』
と見ることも出来そうですよね。(-_-;)

ただ、当時の唐は、言うまでもなく日本より遥かに巨大な国で、
しかも、文明はずっと進んでいた国と知られていた分けでしょ!?
その大唐を敵に回して、当時の日本が戦うとなれば、
多少の迷いやためらいがない方が不思議とも言えるでしょうね。

で、仮に長歌をそうした戦争不可避論と見なす場合、
『畝傍山が男である』なんていう説は当然、却下でしょうね。
というのも、戦争をするのは大体が男と相場が決まっていますから、
ここはどうしても、男同士の香具山と耳成山が、
女である畝傍山を取り合う、と解釈する必要がある分けです。
これで長年の論争も、一件落着ではないでしょうか。(*^^)v


ところで話は更に飛びますが……この大和三山に関しては、
『天の香具山は天から降った来た』という逸話があるそうですね。
  釈日本紀に引用する伊豫国風土記逸文
  http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/21.htm
  倭に天加具山あり(やまとに あめのかぐやまあり)。
  天より天降りし時(あめより あもりしとき)、
  二つに分れて(ふたつに わかれて)
  片端は倭の国に天降り(かたはしは やまとのくにに あまくだり)
  片端はこの土に天降りき(かたはしは このくににあもりき)。
  因りて天山と謂ふ(よりて あめやまといふ)。

で、私が昔から疑っているのは、この三山が実は自然の山ではなく、
人工の山なんじゃないかということなんですね。
言い換えると、それらは有史以前の古代の大王が残した、
古墳群ではないかということなんです。

その点では、例えばエジプトでも古代の王が残したピラミッドが、
今知られている他にも色々あるんじゃないかと疑われていて、
それで大がかりなX線解析装置を砂漠に持ち込んで捜す、
という試みが行われているという話を聞きました。


ですからもし私に十分な資力があったら、
大和平野にそうしたX線解析装置を入れて、
大和三山を照射してみたいところですね。

そうしたら、内部の石棺が透視されるんじゃないかと、
私は密かに期待している分けですが……
日本古代史のロマンとして、まだまだ尽きない魅力を、
この地域は抱えているのではないでしょうか。

もっとも今、改めてwikipediaで調べてみると、耳成山に関しては、
既に『古代大君の御陵と伝わる上円下方墳』という説がある一方で、
畝傍山は『火山岩が侵食されて、その一部のみが残存した侵食地形』
とかあって、問題は思ったほど単純ではないのかもしれません。(^^;)


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