聖人伝 (15レス)
上
下
前
次
1-
新
8
: 2014/10/27(月)11:11
AA×
[240|
320
|
480
|
600
|
100%
|
JPG
|
べ
|
レス栞
|
レス消
]
8: [] マルグリット=マリ・アラコック Ste Marguerite-Marie Alacoque, 1647 - 1690 マルグリット=マリ・アラコック (Ste. Marguerite-Marie Alacoque, 1647 - 1690) は聖母訪問会 (L'ordre de la Visitation Sainte-Marie) に属するフランスの修道女で、ジャン・ユード (St. Jean Eudes, 1601 - 1680) とともに聖心への信心を広めた功績により知られます。マルグリット=マリ・アラコックは1864年9月18日にピウス9世により列福、1920年5月13日にベネディクトゥス15世により列聖されました。ちなみにジャン・ユードは1925年5月31日にピウス11世により列聖されています。 【マルグリット=マリ・アラコックの生涯】 マルグリットは 1647年、六角形のフランス国土の中心よりも少し東、クリュニーから20キロメートルほど西にある大きな村ヴェローヴル (Verosvres) の、ロートクール (l'Hautecour) という集落に生まれました。公証人の父は土地も所有しており、裕福な家庭でしたが、マルグリットよりも先に生まれた三人の男の子と一人の女の子のうち、姉に当たる女の子は既に亡くなっており、マルグリットの誕生は両親を喜ばせました。 マルグリットの代母はフォートリエール侯爵夫人マルグリット・ド・サンタムール (Marguerite de Saint-Amour, la Marquise de Fautrieres) という貴婦人で、マルグリットの生家から5キロメートルほど西、ボーベリ (Baubery) のコルシュヴァル城 (le chateau de Corcheval) に住んでいました。マルグリットは 1651年にこの貴婦人に引き取られ、1655年までコルシュヴァル城で育ちましたが、1655年に父が亡くなるといったんロートクールに戻り、翌1956年に、ロートクールから12キロメートルほど東に離れたシャロル (Charolles) にあるクララ会の寄宿学校に入りました。マルグリットはこの寄宿学校に入学した直後、9歳のときに初聖体を拝領しましたが、その二年後に病を得て生家に戻りました。マルグリットの病状は重く、四年に亙って床に就きましたが、発病の四年後、14歳のときに、あたかも奇蹟に拠るかのように突然快癒しました。 マルグリット=マリの自叙伝によると、修道生活に入ることを聖母に誓ったところ病が突然癒されたということですが、同じく自叙伝によると、元気になったマルグリットはダンスをはじめ若者らしい楽しみに心を奪われるようになりました。 この頃、マルグリットのきょうだいのうち、生存していた四人の兄弟は家を離れており、マルグリットと母は父方の祖母、大叔母、叔母と同じ建物に暮らしていましたが、母娘はこの三人から苛められ、経済的にも精神的にも追い詰められるようになりました。マルグリットは独りになれる場所に身を隠して、一日中祈りのうちに隠れることが多くなりました。母は重病になり、マルグリットひとりが看病しましたが、マルグリットは近所を回って母の食べる物を恵んで貰わなければなりませんでした。自叙伝によると。聖女はこの頃、キリストの苦しみに自分の生を一致させることを喜ぶようになりました。 マルグリットが18歳の頃、結婚話が持ち上がります。マルグリットは父方の祖母たちと同居せざるを得ない状況から母を救い出したいという気持ち、及び地上の幸せや楽しみに心を惹かれる自分自身の気持ちと、修道女になって信仰にのみ生きたいと思う気持ちの間で悩み苦しみます。マルグリットは俗世に心を惹かれる自分を罰するために苦行に励むようになり、やがてはっきりと結婚を拒むようになりました。ただし烈しい苦行を繰り返しながらも、その一方では地上の楽しみに惹かれる思いを断ちがたく、1671年6月20日に聖母訪問会に入会する直前まで、「虚栄」に身を任せた、と自叙伝に書いています。 なおマルグリットは 1670年、22歳のときに堅信を受けましたが、このときから自分の名前「マルグリット」(Marguerite) に「マリ」(Marie フランス語で「マリア」) を付加し、「マルグリット=マリ」(Marguerite-Marie) と名乗るようになりました。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12469/1413476600/8
マルグリットマリアラコック マルグリットマリアラコック は聖母訪問会 に属するフランスの修道女でジャンユード とともに聖心への信心を広めた功績により知られますマルグリットマリアラコックは年月日にピウス世により列福年月日にベネディクトゥス世により列聖されましたちなみにジャンユードは年月日にピウス世により列聖されています マルグリットマリアラコックの生涯 マルグリットは 年六角形のフランス国土の中心よりも少し東クリュニーからキロメートルほど西にある大きな村ヴェローヴル のロートクール という集落に生まれました公証人の父は土地も所有しており裕福な家庭でしたがマルグリットよりも先に生まれた三人の男の子と一人の女の子のうち姉に当たる女の子は既に亡くなっておりマルグリットの誕生は両親を喜ばせました マルグリットの代母はフォートリエール侯爵夫人マルグリットドサンタムール という貴婦人でマルグリットの生家からキロメートルほど西ボーベリ のコルシュヴァル城 に住んでいましたマルグリットは 年にこの貴婦人に引き取られ年までコルシュヴァル城で育ちましたが年に父が亡くなるといったんロートクールに戻り翌年にロートクールからキロメートルほど東に離れたシャロル にあるクララ会の寄宿学校に入りましたマルグリットはこの寄宿学校に入学した直後歳のときに初聖体を拝領しましたがその二年後に病を得て生家に戻りましたマルグリットの病状は重く四年に亙って床に就きましたが発病の四年後歳のときにあたかも奇蹟に拠るかのように突然快癒しました マルグリットマリの自叙伝によると修道生活に入ることを聖母に誓ったところ病が突然癒されたということですが同じく自叙伝によると元気になったマルグリットはダンスをはじめ若者らしい楽しみに心を奪われるようになりました この頃マルグリットのきょうだいのうち生存していた四人の兄弟は家を離れておりマルグリットと母は父方の祖母大叔母叔母と同じ建物に暮らしていましたが母娘はこの三人から苛められ経済的にも精神的にも追い詰められるようになりましたマルグリットは独りになれる場所に身を隠して一日中祈りのうちに隠れることが多くなりました母は重病になりマルグリットひとりが看病しましたがマルグリットは近所を回って母の食べる物を恵んで貰わなければなりませんでした自叙伝によると聖女はこの頃キリストの苦しみに自分の生を一致させることを喜ぶようになりました マルグリットが歳の頃結婚話が持ち上がりますマルグリットは父方の祖母たちと同居せざるを得ない状況から母を救い出したいという気持ち及び地上の幸せや楽しみに心を惹かれる自分自身の気持ちと修道女になって信仰にのみ生きたいと思う気持ちの間で悩み苦しみますマルグリットは俗世に心を惹かれる自分を罰するために苦行に励むようになりやがてはっきりと結婚を拒むようになりましたただし烈しい苦行を繰り返しながらもその一方では地上の楽しみに惹かれる思いを断ちがたく年月日に聖母訪問会に入会する直前まで虚栄に身を任せたと自叙伝に書いています なおマルグリットは 年歳のときに堅信を受けましたがこのときから自分の名前マルグリット にマリ フランス語でマリア を付加しマルグリットマリ と名乗るようになりました
上
下
前
次
1-
新
書
関
写
板
覧
索
設
栞
歴
あと 7 レスあります
スレ情報
赤レス抽出
画像レス抽出
歴の未読スレ
AAサムネイル
ぬこの手
ぬこTOP
0.078s