織田と豊臣の戦について (3レス)
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1: 2014/06/13(金)13:05 ID:hQJSA5zk(1/3) AAS
>>秀吉は平地で行われる野戦では常に相手より多い兵力を持って勝利

・熊見川合戦→単なる上月城の防衛戦にもかかわらず大友や宇喜多に負けてばかりの雑魚毛利軍相手に3000人戦死の大敗
・美作攻防戦→宇喜多と連携しての攻防で捕井田清に見事駆逐される
・馬野山の対陣→わずか6000の吉川元春にビビッてへたれ退却する
・鴨城攻防戦→毛利方の冷泉に敗北し、備中から備前まで一挙に敗走する
・山崎の合戦→ 兵力比2.5倍で光秀方は山崎を捨てる形での不利な布陣を強いていたにもかかわらず
被害は秀吉軍のが多い秀吉の戦べたが露見した戦(ランチェスターの法則でいえば兵力差2.6倍なら被害差は6.25倍じゃないとおかしい)
・しずヶ岳の合戦→ 勝家が攻撃してた中川の拠点守るため出兵しただけのただの防衛戦。
秀吉方は長大な塹壕を築き、柴田方は6分の1の寡兵で秀吉方塹壕を破壊し押しまくる。秀吉と兄弟の契り結ぶ程関係が親密だった中川清秀戦死。
秀吉は撤退途中の勝政・盛政を背後から圧倒的大軍で強襲したら 逆襲くらって不破・前田・金森らが兵をひくまで結局均衡くずせない始末
不和や前田などが撤退した棚ぼたにたまたま秀吉は救われる。
二重堀合戦→わずか1000そこそこで奇襲しにきた信雄に大敗し、二重堀から敗走、伊勢や退却する。

>>三倍の兵力を持ちながら家康に敗れた経歴

小牧長久手の合戦は雑魚信雄と秀吉の主力決戦だが
信雄方は3月に尾張美濃伊勢伊賀信濃と離反連鎖で崩壊状態で家康と合計しても16000〜7000前後しか動員できてない。
それに対して秀吉方は領内の兵力総動員して135000の大軍(3月下旬に尾張へ転進したのは100000だが、そのあと到着した秀長24000と美濃の秀勝勢らがいる)

>>その城攻めの巧妙さは誰もが認めるところ。

・三好長慶などが瞬殺した平城の三木城に信忠らの援軍支援を何回か得た状況で2年近くもたつき、その間に谷ら重臣を失う
・毛利の支援なし・信忠らの支援受けまくりの状態で播磨攻略に2年以上費やしてる。
・吉川や尼子残党軍などが3回くらい瞬殺した鳥取城(城内は兵糧欠乏状態)で4ヶ月もたつく
・備中鴨城・冠山城攻防戦で、毛利方の補井田・冷泉に撃退される
・わずか1000貫そこそこの雑魚松ノ木城の吉村や、同じく1000貫前後の東駒野の高木に撃退される
・自身が縄張り熟知している河波城も攻略失敗する。
・300しか城兵がいない戸木城で撃退される。
・小田原合戦で、わずか1000そこそこしかいない小田原城に手も足も出ず
忍城では石田の進言無視して水攻めに及び、見事に失敗する。
・わずか500程度の韮山城でも苦戦しまくる。
・総勢34500で、和戦で割れており、寝返りをボロボロ出してた結束力0の北条に対し、
240000の大軍で攻め込み、一柳・堀尾嫡男・前田重臣平岩弟・依田を戦死させ、氏家行継を負傷させる。
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