ニュース・報道保存所 part12 (412レス)
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363
(1): マリクレール適当訳 2019/08/09(金)17:20 ID:t20o22GI(1) AAS
マリークレールのロシア語版「日本のダイアナ:神話も伝説もない雅子皇后の物語」の全文を適当に訳しました。
2chスレ:ms
↑のスレにあります
概要 361 これだけでもそれなりにインパクトがあるようにまとめたので拡散用などご利用ください。
導入部 362
[第一の神話] 363-364
[第二の神話] 366-367
[第三の神話] 368、370
[第四の神話] 358-359

この記事を告知していたロシア版マリクレールの公式ツイッターです。いいね!したい方はどうぞ。
省2
364: 2019/08/09(金)20:26 ID:4iuH/fgU(1/13) AAS
>>363
マリクレール適当訳奥さま、全文訳ありがとうございました。
記録の意味でもこちらにも貼りますね、後々引用も出来るように。
365: 2019/08/09(金)20:28 ID:4iuH/fgU(2/13) AAS
361マリクレール適当訳2019/08/09(金) 16:48:50.43ID:vhNcoyBS0>>373
マリクレールのロシア版に「日本のダイアナ:神話も伝説もない雅子皇后の物語」という記事がありました。 google翻訳等で訳して読んでみて下さい。
外部リンク:www.marieclaire.ru
「悲しみのプリンセス・菊の玉座の囚人」と欧米ジャーナリストが同情してきた雅子だが、それは本当か?雅子についての4つの神話の正体を暴こう…という辛口記事。
初出は2017年8月で当時のタイトルは「~雅子妃の物語」、即位後に加筆してます。
退位特例法成立が2017年6月なので「次の皇后は可哀そうなシンデレラだと言われてるけど、実態はこうよ」と書かれたのかもしれません。

[第一の神話]徳仁皇太子と結婚して、雅子は目もくらむようなキャリアを断念した。
[現実]雅子は日本の外交部門の普通の労働者で、そのために特別な功績はなかった。 ※父のコネで外務省に入ったことなど書かれている。

[第二の神話]おとぎ話のような偶然が徳仁親王と雅子を出会わせた。
[現実]雅子は他の候補と同様に厳しい選択を経た、そして皇室は彼女を受け入れる万全の準備ができていた。
省7
366: 2019/08/09(金)20:29 ID:4iuH/fgU(3/13) AAS
362マリクレール適当訳2019/08/09(金) 16:50:08.47ID:vhNcoyBS0>>373
導入部
彼女の全人生はダイアナ・スペンサーと同一視されるが、しかし彼女の運命はプリンセス・オブ・ウェールズよりもっと複雑だ。
日出づる国の新しい皇后雅子について語ると同時に、彼女についての4つの重要な神話の正体を暴こう。
「悲しみのプリンセス」「日本のダイアナ」「菊の玉座の囚人」…雅子をめぐっては多くの悲劇的な伝説がある。
その中では、かつて優秀な外交官だった彼女は皇位継承者との結婚を決意し、現代の進歩的な女性としての権利と自由の可能性を全て失い、今日まで抜け出せない深刻な鬱病に陥っている。
欧米のジャーナリストは日本の皇后の運命に共感し心から同情し、雅子をこのように描写する。
伝統と皇室のプロトコルに押しつぶされ、そして今は新たに、ずっと多くの責任のある身分になったのだと。
彼らは雅子を、≪新風≫になりたいと願いながら王家に受け入れられなかったダイアナ妃と同一視する。
しかし時は過ぎ、純潔のベールがダイアナのイメージから次第にずり落ちて、雅子妃の物語も再解釈がされ始めた。しかも彼女にとって常に有利ではなく。
省9
367: 2019/08/09(金)20:30 ID:4iuH/fgU(4/13) AAS
363マリクレール適当訳2019/08/09(金) 16:51:47.16ID:vhNcoyBS0
[第一の神話]徳仁皇太子と結婚して、雅子は目もくらむようなキャリアを断念した。
未来の皇后は著名な外交官の小和田恒の家に生まれた。父に定期的に海外に連れて行かれた若き雅子の生活はどれほど面白かったか想像するのは容易だ。
例えばモスクワの幼稚園に通い、アメリカの高校を卒業し、一流大学のハーバード、オックスフォード、東大で学んだ。こうして雅子は英語、露語、独語、仏語を含むいくつかの言語を習得した。
幼少時の多くの海外渡航によって彼女のパーソナリティは全く≪東洋的≫ではなく、むしろ≪西洋的≫に形成された。
日本人特有の謙虚さ、自制心、従順さは、雅子においては典型的な西洋人の特徴である個人主義、リーダーシップへの欲求、無遠慮に取って代わった。
例えば、学校で女子ソフトボールチームを結成したその決断力は、日本ではすべての意味で革命的だった。なにしろ当時はスポーツはもっぱら男の仕事と見なされていたからだ。
欧米ジャーナリストが雅子を気に入っているのは当然で、彼女のパーソナリティは、まばゆい海外の価値観のいきいきとした権化だ。
多くの人が、そのような女性が自らの見解をもって日本の君主制を近代化し、もっと世界へ開かれたものにするよう望んだ。雅子が成功した外交官で尊敬される知的な専門家だったことに、彼らは魅了された。
しかし、それは本当だろうか?
省7
368: 2019/08/09(金)20:31 ID:4iuH/fgU(5/13) AAS
364マリクレール適当訳2019/08/09(金) 16:52:19.38ID:vhNcoyBS0
続き
外国語については雅子がどれほど話せるのかは大きな疑問だ。彼女が外国語を話したのはずっと昔で(例えばロシア語は幼少期だけ)、その後は少しずつ忘れていった。
外務省で6年勤務する間に一度も海外での仕事は無かったので、練習する機会もなかった。
唯一、英語はまあまあ良く知っている。外務省が若い研修生を高度なトレーニングのために送り出したオックスフォードでの二年間のカリキュラムで頑張ったからだ。
ちなみに、彼女は外交の舞台で自己を実現したいと訴えて徳仁の求婚を二度拒否したにもかかわらず、やっぱり6年後に同意した。なぜだろう?
この疑問はこれまで多くの人の関心を惹いているが、最も可能性の高い説明は、雅子が長年にわたって外務省で自己の真価を発揮できなかったという事実に潜んでいると思われる。
それゆえに、彼女に恋をした親王は、あまり馴染みのないその言葉でもって説得を続けた…妃になっても外交官同然のままでいられる、と。
当たり前だが、学生でも政治と外交関係を学んでいれば、雅子の立場になったら徳仁の言葉を二つに分けるだろう。
妃にはそんな権力はないのだから、どれだけ望んでも、国のための交渉もできず、重要書類も作れず、国を代表して署名もできない。
省7
369: 2019/08/09(金)20:31 ID:4iuH/fgU(6/13) AAS
366マリクレール適当訳2019/08/09(金) 16:53:59.25ID:vhNcoyBS0
[第二の神話]おとぎ話のような偶然が徳仁親王と雅子を出会わせた。
雅子は外務省に入る前年1986年にスペインのエレナ王女歓迎レセプションで徳仁と出会う。そこで内気な皇位継承者がやっと花嫁を選んだことは有名だ。
そこには高貴な家柄の美女が30人招待され、そして…名門ではない雅子の名前は、伝説によると大急ぎで招待客リストに鉛筆で書き加えられた。※名門ではない=氏なき・根なし・身寄りのない・祖国のない等の意味あり。
雅子が平民であることや、彼女の祖父が1953~56年に大規模な環境災害の責任者となった事実にもかかわらず、徳仁はプロポーズするほど魅了された。
本物の日本のシンデレラ物語だ。そもそも人間関係を広めるつもりで出た外交レセプションだが、雅子は知らず知らずのうちに将来の天皇の心を盗んだ。
しかし現代のシンデレラは例によって自由思想で、宮殿のプロトコルに自らを縛りたいと願わず、プロポーズを二度断った。
彼女の家族は断りの書面まで宮内庁に送ったが、これは皇室を大きく安心させた。彼らは名門ではない個人主義者を気に入らなかったからだ。
だが恋に落ちて夢中になった徳仁は諦めず92年にもう一度、宮廷の攻撃からいつも守ると約束して一か八かアタックし、ついに雅子は降参した。
1993年に彼らは結婚したが、もう結婚式の日に厳格な皇室は進歩的なシンデレラに10世紀の様式の重い着物を着ることを強制した。
省7
370: 2019/08/09(金)20:32 ID:4iuH/fgU(7/13) AAS
367マリクレール適当訳2019/08/09(金) 16:56:29.02ID:vhNcoyBS0
続き
高貴な家柄の生まれではないことが将来の天皇の花嫁になる妨げになるとは限らない。美智子皇后さえかつては平民だった。
また、将来の息子の嫁の強情な性格が皇室メンバーにある種の胸騒ぎを呼び起こしたにもかかわらず、誰も親王の幸福に対して表だっては反対しなかった。
第二次世界大戦後に、すでに菊の玉座は皇室の脱神聖化に急速に向かっている。
例えば美智子皇后が外国へ≪一人で≫出発する機会があった。あるいは天皇は自分の神性について認識しながらも自らの前立腺癌を公然と認めた。
日本の皇室について時代遅れの制度で進歩的なアイデアの余地はないというのは許しがたい総括だと言える。
確かに、皇室は非公開の結婚式では雅子に伝統に従って古風な着物を着せた。
しかし市民的な結婚式の日には二人に着替えを許し、新婚の皇太子妃はヨーロッパの王女のように白いウェディングドレスと輝くティアラを着け、オープンカーで人々の前をパレードした。
※外国人による外国人のための皇室の解説という感じで、既に平民出身の皇后がいるなど基本的なことを書いてるようです。
省1
371: 2019/08/09(金)20:33 ID:4iuH/fgU(8/13) AAS
368マリクレール適当訳2019/08/09(金) 16:58:12.26ID:vhNcoyBS0>>373
[第三の神話]自由を愛する雅子は菊の玉座の人質になった。
こうして雅子は皇室に加わった。常におしゃれで、君主制をより良い方向に変える能力がある新時代の具現化のように見える彼女を、人々は崇拝とともに受け入れた。
しかし時が経っても君主制は何も変わらなかった。一方、若くてにこやかな雅子はみるみるうちにうつむいていった。
外出は少なくなり、世継ぎができることが期待されているという報道が頻繁になった(天皇さえ嫁の月経が始まったか関心を持つと言われていた)。
≪新風≫のイメージは輝きを失った。進歩的な雅子妃は、恐れていたもの…宮殿で子を産むだけの女…に変わってしまった。少なくとも彼女自身とその同類は思った。
雅子は長い間妊娠できず、最初の妊娠は流産で終わり、8年後に娘(皇位継承権を持たない愛子内親王)を産んだ。彼女は断固として2人目の子供を産むことを拒否した。
実は結婚した最初の年から自由を愛する妃には慢性的な鬱病が始まっていて、世継ぎをめぐる宮廷からの圧力によって深刻化しただけだった。
ついに彼女は環境への≪適応障害≫を発症し、そのため重要な行事の大部分を欠席した。(ある計算では雅子は同じく皇太子妃の地位だったダイアナの10%しか活動しなかった)
宮廷の許可なしに皇太子妃が単独で外出したり、自分の意見を持ったり、両親とコミュニケーションをとることさえ禁じられていたため、状況はさらに悪化した。 当然、妃の病気は毎年進行しただけだった。
省5
372: 2019/08/09(金)20:34 ID:4iuH/fgU(9/13) AAS
370マリクレール適当訳2019/08/09(金) 17:00:15.59ID:vhNcoyBS0>>373
続き
いつも丁寧で感情を表に出さない天皇は、個人主義者の雅子にはご満悦ではなかったが、それでも多くの憶測に反して彼女は受け入れられた。
雅子はもっと自由を望んでいて、そしてきっと主張したのだろう、定期的に享受した。例えば伝統に反していくつかの公式行事をさぼってまで、彼女が両親を訪問することを事実上許していた。
皇太子妃は国の重要な行事を無視するだけではなく、癌で入院中の明仁天皇を見舞うことさえしなかったことも知られている。
その代わりに、雅子はリゾートでリラックスして店内の高級品に何百万円も費やすことを好んだ(その店は特別に、彼女のために他の客を締め出した)。
≪皇太子妃が納税者の資金に寄生する≫気質に、ローカル報道ではますます多くの批判が現れ始めるのを、臣民はまさに目撃した。
実際に皇室には世継ぎ誕生の問題がつきまとっていたが、しかし愛子内親王の誕生後、2人目の子供について雅子には圧力をかけなかった(結局は皇位継承者には≪予備の≫秋篠宮もいたし、その妻には子供を産む意欲があった)。
のみならず、徳仁の弟に息子が生まれるまでの間に、菊の玉座は継承順を長子優先に変更するか検討する準備をしていて、対応する法案は国会でも検討された。
医者や宮内庁、かつて常に義理の娘を支援する用意ができていると言った美智子皇后さえも、皇太子妃の状態について不安を表明した。
省5
373
(5): 2019/08/09(金)20:46 ID:4iuH/fgU(10/13) AAS
(本スレ貼り用)
「ロイヤル豚の記事」

マリクレールのロシア版に「日本のダイアナ:神話も伝説もない雅子皇后の物語」
2019.8.9
最新「マリクレール適当訳全文」保存リンク先
ニュース・報道保存所 part12
したらばスレ:news_5135

本スレpart3492より
概要 361 これだけでもそれなりにインパクトがあるようにまとめたので拡散用などご利用ください。
導入部 362
省4
374: 2019/08/09(金)20:52 ID:4iuH/fgU(11/13) AAS
358マリクレール適当訳2019/08/09(金) 16:46:25.26ID:vhNcoyBS0
[第四の神話]雅子はその非の打ちどころのないスタイルのセンスとマナーのため「日本のダイアナ妃」という非公式の称号を受けた。
西洋のジャーナリストが雅子を気に入った主な理由はおそらく、彼女のスタイルだ。
ドレスとアクセサリーは≪最高級≫ブランド(初めのうちは、いくらかかるのか誰も考えなかった)、プロトコルを無視していつも満面の笑み…結婚当初の彼女は、ダイアナ妃のイメージを多く思い起こさせた。
しかしすぐに宮廷の圧力で、妃は急激に自分自身を変えなければならなくなった。ヨーロッパのクチュリエによるエレガントな装いは、日本の伝統的な着物に置き換えられた。笑顔は過度に堅苦しく見えるようになり、目は悲しくて活気がない。
西洋の雅子ファンは、彼女の壊れてしまった運命をダイアナの哀れな末路になぞらえ、全ての罪は皇室にあるという非難が激増した。みんなの人気者だった輝く星を、天皇が≪消した≫と言って。
しかし日本人は、同様の視点を持つ人ばかりではなかった。
[現実]雅子はすぐに日本の美しさのお手本であることをやめた。
最初は暖かく雅子を受け入れた普通の日本人は、まもなく、将来の皇后に徐々に幻滅し始めた。
彼女の精神的な病気は同情を引き起こすことをやめ、定期的に行事に欠席して世間にいらだちを与えただけだった。彼女は新風を吹き込むのではなく、従来の伝統すべてに反抗的な喧嘩腰であることが、誰の目にも明らかになった。
省5
375: 2019/08/09(金)20:52 ID:4iuH/fgU(12/13) AAS
359マリクレール適当訳2019/08/09(金) 16:46:57.76ID:vhNcoyBS0
続き
さらに、もう1つの反日的な特徴が皇太子妃に現れた。それは夫を上回りたいという願望だ。
雅子はしばしば徳仁の前を歩き、写真撮影では彼を遮り、自分の興味を彼より優先させ(例えば、彼が入院中の父を訪ねる代わりに定例の保養に引きずっていく)、そして公式行事でさえ彼女のスピーチは彼より長く続いた。宮殿周辺からだけでなく、国民からも批判の嵐が起きた。
このような行動はリベラルなヨーロッパ人にとっても奇妙に見えるが、さらに何世紀にもわたる伝統を尊重する日本人にとっては、まったくナンセンスだった。
結局日本の君主制は彼女の努力では近代化していないし、そして雅子自身も長いあいだ何も変えようとせず、ただ既存のものごとの秩序を歪めただけだった。

最後のまとめ
なりたてほやほやの皇后をただひとり崇め続けるのは、愛する女のためにすべての仕事を後回しにする準備ができていて、彼女との関係をプロトコルや≪プロとしての≫義務より優先する夫、徳仁天皇だけだ。
彼は雅子を守るという約束を四半世紀にわたって果たしてきた、いつもうまくいくとは限らないが。妻への愛は彼の人生の意義となって永遠に残るようだ。
これは感嘆すべき物語かもしれないが、この男が日本の頂点に立つことを考えると、そのような複雑な女性からの影響は非常に大きく、彼らを取り巻く栄光は、もはやそれほどバラ色ではなくなりつつある。
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