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鳩山内閣誕生ッス!

15エノモト武揚人:2009/09/22(火) 00:14:37
 敬老の日、65歳以上が2898万人。女性は4人に1人、男性も5人に1人が高齢者と総務省は発表している。
きょうの「ムネオ日記」も充実しています。新聞テレビもう要りません。自民党みたいに丸投げはいかんね、自分の頭を少しだけ使おうや。


 敬老の日、65歳以上が2898万人。女性は4人に1人、男性も5人に1人が高齢者と総務省は発表している。

 私が子供の頃、人生60年とよく言われたものである。中学、高校生では人生70年と言われ古希(こき)の祝いが多くなった。そもそも古来(こらい)希(まれ)なりで古希だったのが大きく価値観が変わってきた。そして今、男性80歳、女性85歳の平均年齢である。古希の祝いも喜寿(77歳)、そして今は米寿(88歳)へとなってきている。長生きは良い事だ。長生きして良かったと言われる環境にしなくてはいけない。

 子供は「国の宝」というがお年寄りも「国の財産」といえる道義をしっかりもつ社会にしなくてはいけない。

 「親孝行したい時には親はなし」である。私の両親、家内の父親もすでにいない。親孝行出来なかった事を深く、深く申し訳なく思いながら、家内の母が寝たきりで病気と闘っている。少しでも良くなって欲しいと神仏に祈りながら十分な事を出来ない不幸を詫びるのみである。

 敬老の日を機に後期高齢者医療制度の廃止に向けて、具体的検討に入るべきである。人生を年齢で線引きするやり方はいけない。同時に高齢者の医療、介護も含めて総合的に検討する必要がある。長妻厚生労働相のリーダーシップに期待したい。

 鳩山首相が訪米し鳩山外交がスタートした。米国との関係では沖縄の基地問題は避けて通れない。特に普天間の日米合意はどうなるのか鳩山首相の考えが注目される。
 併せて、この普天間基地について歴史的経緯をどこまで頭に入っているか関係者は良く検証して欲しい。

 平成9年橋本内閣で普天間基地を名護市にお願いした。その時私は、沖縄開発庁長官であった。当時、名護市の比嘉市長が職を賭(と)して決断してくれたのである。今でもあの時、比嘉市長が重い決断をして下さった姿が思い出される。

 沖縄の皆さんは人間関係を大事にするその典型が「ゆいまある」精神である。「困った時は助け合いましょう」、「困った時はお互い様」という広い心を沖縄の人は持っている。

 私は中川一郎先生の秘書の時から沖縄のサトウキビの政府保証価格にタッチしてきた。

 比嘉市長さんとも昭和53年私が農林大臣秘書官の時からのご縁であった。国会議員になってからも、私は沖縄の痛みを分かち合うべきだとの思いで活動してきた。その最たるものが沖縄県道204号線越えの米軍実射訓練を私は選挙区の別海町矢臼別演習場に受け入れたのである。平成8年12月のことだ。こうした実績が沖縄の皆さんに理解され、大臣になってさらに良好な関係が維持できた。

 また学童疎開船対馬丸を探し当てたのも平成9年12月私が大臣の時である。あの時、小泉純一郎厚生大臣で厚生省は対馬丸を探すのに反対していた。「一隻探すと他2999隻に影響します」と言ってきたものだ。私は戦争に参加した戦艦と学童疎開船は違うと言ったら、「勝手にどうぞ」という厚生省の態度だった。私は科学技術庁・防衛庁に協力を依頼し、ものの見事に対馬丸を探し出したのである。こうした積み重ねが沖縄との信頼関係が出来上がってきたのである。

 小泉政権以後、全く沖縄をやってこなかった人がたまたまポストに就いて動いても沖縄の人の心をつかむことができなかった。不毛の9年だった。

 鳩山政権での関係者も是非とも経緯をよく踏まえ、沖縄の理解なくして次の展開はないことをしっかり頭に入れて対応していただきたい。

 外務委員長就任を機に、日米地位協定、沖縄の負担軽減、沖縄密約等しっかりやって参りたい。いずれにせよ政治は「人」である。「人」の使い方がなによりのポイントであることもお互い考えていかなくてはならない。

 午前中、議員会館で書類整理をし、午後札幌に向かい、17時半からお世話になっている後援者のご子息の結婚式に出席。華やかなめでたい催しは何よりである。新郎新婦、ご両家の末永いご多幸を祈念して心からのご挨拶をする。

 大型連休中日(なかび)、どれほどの人が連休を享受しているのか。明日を心配している人が多いのではないか等と考える一日であった。


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