アイデンティティと被承認欲求について考える (56レス)
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1: 松代 2002/08/23(金)01:22 AAS
・性虐待の問題では、アイデンティティのうち、性行為そのものの占める割合がやたらと大きすぎる。他のアイデンティティの不足を性行為で埋めている。
・いわゆる「援交」で得た金は、彼氏に貢ぐ例が多いとされている。裏づけとなる統計資料等は存在していないが、当事者などによる証言や取材では貢いでいる事例が多い。
・子どもの性的搾取という問題において、厳しい「道徳律」が存在している地域なり社会であるほど「道徳的ではない自己」を内心に抱える子どもはおおいとされる。そして、子どもたちは時として内心に抱える「道徳的ではない自己を認めてくれる人」を求める(=被承認願望を満足させてもらいたがる)が、多くの場合子どもを「認める」人が性搾取者となる。

援交で得た金を貢いでいる事例などは、被承認願望を満足させてもらいたがる子どもが、承認を与える年長者に搾取されているのではないかとの予測を裏づける現象と捉えることも可能だ。また、いわゆる「援交」においても、子どもを「認める」人が性搾取者となるといえよう。道徳的な解決法が効果を発揮するとは言いがたい事実として、特に注目しておきたい。

このスレッドは以上のような情況を踏まえて「道徳以外の解決法」を議論するためのスレッドです。
2: 松代 2002/08/23(金)01:29 AAS
東京都高等学校性教育研究会が1月に生徒の性行動を調査した結果からも、専門家達配下のような興味ぶかい分析を導きだしている。

本文より
>「『出会い系』時代の恋愛社会学」の著者でライターの今一生さんは〜中略〜「これは愛情というよりも、自分を受け入れてくれたかどうか、という見方で答えていると思う」と今さん。携帯電話でひっきりなしに連絡をとりながらも友だちがいないと嘆く女の子は多い。彼女らは性体験に走りやすい、という。「人と親しくなれる手軽な手段だからで、自分が必要とされる人間であることを体感で確かめている」。親も含めた人との関係の希薄さが、高い数値の背後にあるとみる。
>東京都の女子校で、東横学園中・高校教師の原田瑠美子さんは〜中略〜社会の重圧と希薄な人間関係に耐え、性情報の奔流にのまれないためのポイントは、自分は自分でいいんだという自己肯定観だろう。子どもの中に、それをどう育んでいくか。「これは、大人が問われている問題」と原田さんは話している。
外部リンク[html]:www.asahi.com

十代半ばごろの女性にとって、性行為以外の自己肯定方法があまりにも希薄、というか「存在していない」事が問題ではないか?
3: 鎌やん 2002/08/23(金)03:34 AAS
「(十代半ばごろの女性にとって)性行為以外の自己肯定方法があまりにも希薄、
というか「存在していない」という問題設定は、重要ですね。

連想したのですが、「規制派」の方々が言う、
「性の商品化(は問題だ)」という言葉は、
「金銭という対価でしか自分の価値を測ることができない(自己肯定できない)
こと(が、問題だ)」
という意味なのだろうなあ、と、思ったり。
4
(1): 鎌やん 2002/08/23(金)05:29 AAS
ちょっと連想したことを、ダラダラ書いてみるけど…
自己肯定は、一人だけではムリで、他者からの承認によって、得るものである。

日本は法治国家として完成していない、という、議論がある。
法律は、契約関係をベースとした社会に、基盤を置く。
(社会構成員は契約を遵守する、法律を遵守する、という合意が、承認されている)

日本は契約関係を、基盤にしていない。(とくに非近代的なムラ社会では)
契約を基盤としない日本では、馴染みに基づく同心型のムラ社会が、
基本的な社会モデルになる。
契約のない社会においては、法律は参照点にならない。
他の村人の承認を得ているか得ていないか(空気が読めるか読めないか)が、
省10
5: 鳥山仁 2002/08/23(金)06:03 AAS
松代さん、鎌やんさん>
この問題に関しては、様々な角度で考えられるので、
私見を幾つか述べさせていただきます。

1:自己承認について
自己、あるいは個は、自分を世界から排除しなければ成り立たない。
自己を世界からたたき出す事のみによって、個が成立する。
だから、自己とは必ずVS世間の側面を持つ。
必要なのは周囲からの承認ではなくて、
むしろ排除である。
周囲からの排除を肯定的に受け止められるようになった時に、
省9
6: はんてん 2002/08/24(土)20:32 AAS
えーと、思った事を、つれづれなるままに……。

援助交際というのは、要するに売春以外の何物でもないのですが、
何故に「売春」以外の別名称が必要とされたのかというと、
その目的は自己欺瞞の為だと思われます。
援助交際をやっている少女達というのは、やはり売春婦なんですが、
自身を「売春婦」と自覚すると、問答無用で「社会的排除項」となってしまう為、
その結果、承認欲求を満たすのが困難になるのかもしれません。
だから、「援助交際」という新名称が必要だったのであり、
これは、いわば自己欺瞞用語なのかもと思ってます。

どうにも不可解なのは、
省17
7
(1): 松代↑ 2002/08/25(日)01:28 AAS
う〜〜んとね、割と根本的な勘違いがあるんだけど、援助交際で「売ってる側の当事者」はまず間違いなく「売春」という自覚を持ってるワケ。これは、表向き「援助交際」と称している行為を、仲間うちでは「売り」と呼んでることからもわかると思う。
自己欺瞞をしているのは援交を取り巻く周囲の大人、特に「買ってる側」だったり、あるいは援助交際の実体について大して調べないままに「規制するよう主張」してるおじぃおばぁだったりするにゃ。
ただ、子どもの人権を考える側にとっても、援助交際を売春と認定できない事情はある。なにしろ、売春と認定しちゃったら「売春防止法」の定めに従い、本来なら「搾取されているはず」の売春者を「社会の秩序を乱す不逞の輩」として取り締まらなきゃならなくなるからね〜
8: 鍋島祟 2002/08/25(日)03:48 AAS
>鎌やんさん
ううむ。自己肯定が他者の承認を必要とするってのに異論が。
ワシは自分で自分を認めたクチなんで。
集団への帰属やら、その中での承認を得やすい性質ですが、何というか居心地悪くて。
本音を言うと大抵排除されるし(;´Д`)
要するに、鳥山さんが言うように「承認」ではなく「排除」によって自己肯定してるのね。
一人じゃ出来ないってのは理解できますです。
9: はんてん 2002/08/25(日)08:41 AAS
>>7

了解です。
「思った事をつらつら」と書いただけじゃ、やはり大勘違いがありましたか。
やっぱり、ちゃんと資料揃えて文章書かないと、駄目ですねえ……。
10: うなぎ 2002/08/25(日)11:59 AAS
自己肯定について、個人的に思うこと。

自己肯定するのに「他者(人でなくてもいい)からの承認」が必要な人と
「他者からの排除」が必要な人(あるいはその両方が必要な人)がいると思われ。

人間が自立してゆく過程で「段階的な保護」と「手をはなしてあげる事」が必要みたいなもので。
11: 鳥山 2002/08/25(日)13:50 AAS
松代さん、はんてんさん>
私も記憶がうろ覚えなので、ミスっていたら勘弁してくださいという前提で話しますが、
『援助交際』という単語の前に『あしながおじさん』という単語があり、
初期の伝言ダイヤル等で頻繁に利用されていたような気がします。
その理由は、『売春』という単語を使ってしまうと、
モロに売防法に引っかかってしまうからだったはずで、
これを避けるために隠語的な使われ方をしていた、
つまり今のネット上でわざと誤字が使われるような感じでごじゃる。
12: 鳥山 2002/08/25(日)13:58 AAS
すいません。
途中で話が度切れました。
で、援助交際という単語が一般化したのは、
黒沼克史氏が1996年に書いた、
『援助交際 女子中高生の危険な放課後』
がヒットしてからだったような気がするんですが、
この辺りの記憶が私も定かじゃないんですよね。
どういう経緯があったのかなあ。
13: 鳥山 2002/08/25(日)14:02 AAS
うなぎさん>
うーん。
個人主義の世界では、一度世間から排除された自分自身を承認する事によって、
アイデンティティを獲得するというプロセスを経るので(反抗期みたいなもの)
集団によって行うイニシエーション(成人式など)は本来必要じゃないんですよね。

他者からの承認が必要なのは、よく解釈すれば前時代的なメンタリティの持ち主、
悪く言えば公私を弁えぬ甘ったれと言うことになります。
自分のことは、自分で何とかしろYOって感じです。
14: 鳥山 2002/08/25(日)14:10 AAS
で、まあ、これは極めて私的な見解なので差別が入ってますけど、
やっぱり反抗期無しで大人になっちゃった人というのは、
話をしていてもヒジョーに噛み合わないと言うか、
キモイ部分が多々あったりします。

児ポ法絡みの反対運動で、
年齢差別や女性差別をしちゃうヒトなんかが、
このケースに当てはまるんですが、
文句があるなら自分のママに言えば良いわけですよ。
それができないから、理念化された母親が社会概念まで拡大して、
差別を正当化する理由の基礎付けになってるような気がします。
省2
15
(1): うなぎ 2002/08/25(日)18:49 AAS
 「自己肯定」という言葉を、みんな違った意味で使ってるのではないか?……と、投げかけてみるテスト。

(1)自己を(外界の価値観で)肯定する には 誰かから承認される必要がある。(不完全自己承認)
(2)自己を(心の内の価値観で)肯定する には 世界と自己を切り離す作業を必要とする。(完全自己承認)

 鎌やんさんは(1)の意味で、鳥山さんは(2)の意味で、それぞれ使用しているのではないでしょうか?
 (1)はムラ社会的で、(2)は個人主義社会とも。ムラ社会で他者からの承認を得られない者は村八分にされ、「自己肯定」ではなく「自己否定」する事を強いられます。

 個人的には、思春期前後の者は(2)の「完全自己承認」を行う事が(特に日本では)、難しいのだろうと考えます。また、大人であっても(1)の「不完全自己承認」しか持たない者が、多いのだろうと推測致します。
 そう考えると、>>4 の鎌やんさんの意見も、非常にしっくりきます。

 話を「非承認欲求」に戻しますが、自己への承認を「不完全自己承認」のみで埋めようとしてゆくと、自ずと「非承認欲求」が肥大してゆく事になるのではないかと思われます。
16
(1): 克森 淳 2002/08/25(日)20:01 AAS
うなぎさん、「非承認」ではなくて「被承認」ですが…(汗)。
17: うなぎ 2002/08/26(月)00:33 AAS
>>16
>うなぎさん、「非承認」ではなくて「被承認」ですが…(汗)。
あうう……誤字ってしまいました……
18: 松代 2002/08/26(月)02:01 AAS
>>15
(1)自己を(外界の価値観で)肯定する には 誰かから承認される必要がある。(不完全自己承認)
(2)自己を(心の内の価値観で)肯定する には 世界と自己を切り離す作業を必要とする。(完全自己承認)

1の不完全自己承認を「自己承認の主流」と規定した場合、個人は「常に外部から承認されつづける」必要があるでしょう。そのため、例えば個人で「独自の価値観」をもっていたとしても、その価値観に応じて自己決定を行うことはもちろん、個人が独自の価値観を表明することも「外部から承認されなくなるリスク」をともなうため、表現の自由は「事実上その効力を停止」するでしょう。

また、1の不完全自己承認を「自己承認の主流」と規定している個人は、おうおうにして「誰から承認されているか」によって他者の「価値を判断」します。つまり、より「大きい」かあるいはより「権威のある」集団から承認されている個人に対しては、その「個人的な能力や価値観とは無関係に」大きな価値を認め、反対に「小さな集団」や「権威を持たない集団」からのみ承認されている個人には価値を認めない事になります。

そのため、1の不完全自己承認を「自己承認の主流」と規定している個人は、基本的に「自己の内面を省みることなく」また同時に「極めて権威主義的」であると想定できます。

さらに、1の不完全自己承認を「自己承認の主流」と規定することは、より「大きくて権威のある集団」が有利になるため、当然ながら「大きくて権威のある集団」であればあるほど、1の不完全自己承認を「自己承認の主流」と規定したがります。
省1
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(1): 松代 2002/08/26(月)02:44 AAS
全く個人的な経験ですが、世間から排除され、なおかつ自分自身を承認してアイデンティティを獲得するというプロセスを経たと主張する人々の中にも、あいかわらず「他者からの承認を求めつづける」人々が少なからず存在していて、深刻な対立と軋轢をふりまいた現場に立ち会ったことが「何回も」あります。

その具体的な事例として、トランスセクシャルの方々とレズビアンの方々について語りましょう。

A:トランスセクシャルの事例

トランスセクシャルの方々に対しては、既に様々な分類や定義付けが行われていますが、この文章においては便宜上「異性化願望」と「美少女化願望」の2つに分類します。

異性化願望:自己を(心の内の価値観で)肯定する
生物学的ないしジェンダー的女性、あるいは男性としての自己を拒否し、より「自己のアイデンティティと自己の身体やジェンダーを近づける」ための異性化を模索する願望。
省11
20
(1): 松代 2002/08/26(月)03:21 AAS
B:レズビアンの事例

レズビアンの方々に対しては、既に様々な分類や定義付けが行われていますが、この文章においては便宜上「性的レズビアン」と「政治的レズビアン」の2つに分類します。

性的レズビアン:自己を(心の内の価値観で)肯定する
性的レズビアンとは、生物学的女性とセックスするのが好きな人々。ただ、生物学的男性を断固拒否するかというと、それは基本的に「ケースバイケース」で、場合によっては「生物学的男性とセックスする」こともある。

性的レズビアンにとって問題となるのは「自身のセックスする相手」なので、別に「フェミニズム」が生活の中心的規範でなくてもいいし、中でも「男装系ナベの方々は」あえてマチズム的というか、いわゆる「ちんこくさい言動」をすることもある(まぁ、それでも「マッチョよりはフェミ」のほうがうれしいんですけどね)。また、生物学的男性に対する感覚や態度も「様々」で、場合によっては「子ども欲しさに結婚する」など、少なくともやみくもに生物学的男性を敵視したりしないと言える。
いずれにしても、性的レズビアンは自身の「内的価値観」というかセックスに重きを置いているので、フェミニズムや女性の社会的な位置づけといった「学問的な領域」にあまり関心がなかったりもする。いずれにしても、基本的には性的自我、あるいは自己の「セックスしたい相手」を確立している人々と見なしてよい。

政治的レズビアン:自己を(外界の価値観で)肯定する
政治的レズビアンは「ほぼ全てが強烈なフェミニズム信奉者」で、自己のアイデンティティを確立するために「搾取者としての男性を絶対的に拒否」する人々。
省6
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