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大学入試のM検、身体検査が全裸だったころ、

7名無しさん:2019/05/21(火) 11:24:04
大学入試身体検査で、昭和30年代くらいまでは、パンツまで脱ぐのが、あたりまえだった。
高校進学率は昭和34年が55.4%,38年が66.8%,42年が74.7%だった。
ちなみに、大学進学率は、34年が16.9%、38年が20.9%,42年が 23.7%だそうです。大雑把に言って、昭和30年代の大学進学率は20% ぐらい、進学者数は約20万人ぐらいのようです。全部の大学ではないにしても大多数の大学が入試でM検をやっていた、8割としても18才の高卒の15〜6万人が全裸にされ、剥かれて、しごかれていたことになりますね。
現在、売春防止法というのがあって、売春は犯罪です。
しかし昔は売春は犯罪では無かったのです。そして若い男たちは売春宿にかよった。
昭和24年まで、義務教育は小学校までで、向学心のあるものは高等小学校と言って、小学校を卒業後2年間(12,3)過ごして、丁稚奉公とか就職とかいくしかなかった。そのころ就職したりした先輩は後輩が14,5になると、「筆おろし」と称して、売春宿に連れて行かれ初体験をさせられるのだるなど、若者は自由に女とやった。

若者の花柳病(性病)というのも無視できなかった一方、売春が人身売買であることも問題になった。

そのころ、日本は国連加盟が悲願となっていた、しかしソ連は何度も拒否権を使っていた。
昭和31年日ソ共同宣言ができて、自本は国連に加盟することになるが、売春を廃止することが約束された。

そして昭和33年4月1日、午前零時を持って売春防止法ができた。売春防止法が成立したことで、M検は殆んどの大学で廃止となった。

東大でも昭和32年度(33年冬)、33年4月1日で廃止となり、実際33年の入試でオシマイとなった。

でも、かわいそうに昭和33年に受験した秀才たちは、寒い中、だだっ広い「七徳堂で」ソックス一枚まで身につけているもの総て脱いで、素っ裸のフリチンのブラブラで、性器・肛門の検査を受けるため、大勢のM検の列に並んで最後の順番を待ったのだ。


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