日本の少年売春 3.・衝撃・男子中学生売春 (13レス)
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: 2008/06/06(金)20:35
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2: [] 「週刊女性」は、「やっぱりあった男子中学生売春組織」と題しレポート。直接関係無いが下校途中の男子中学生の一団の写真ものせている。それらによるとラジオのインタビューに登場したのはなんと13才と14才の4人(中2が2人、中3が2人))の少年で、組織は19才の無職のリーダーを筆頭に男子中学生ばかり30人ほどいるという。みな山の手の中流家庭に育つ、ごくごく普通の中学生とのこと。お客(女)のほうは完全な会員制で、リーダーの手元には150人程のリストがそろっていて、お値段晩で高い子は10万円、安い子でも2〜3万円はするという。勿論中学生の手元に入るのは1〜2万円という。 普通の性に飽きて、新鮮な快楽に飢えた中年女性を相手に青い性を売っているというか、自由にされている。 以前昭和30年代に美容院をアジトとする男を買う同じような組織のレポを雑誌で 見た。このときは「17−8才の美少年のみ」という。 中学生売春自体異常なのに、「男子中学生」と聞いたらさぞ驚くかも知れないが、時代劇映 画に出て来る殿様の刀を捧げ持つ前髪たちの少年、今では董のたった男やひどいのでは女だったりするが、昭和40年代位までのテレビでは、中学1.2年位か、12.3の美しくて凛々しい子役を使っていた。あの美童は小姓と言って殿様の寵愛を受けて夜毎愛撫を受けていた。美しい振袖衣装を纏って、良いものを食べて、殿様と同じ豪華な布団に寝ていた訳だが、愛撫を受けるときは、どんないやらしい事でも耐えなければならない。 各藩から、藩一の美童が推薦され、殿様にお目通りされる。美童はまだ12、3だ。そ して殿様のお側に奉仕する一ということは「夜伽」といって、「閨房」に奉仕するということ。 閨房(ねや)に奉仕とはどういうことか、女色のかわりに花嫁になるということ。思春期の数年間、言わば少年の体をささげるのである、少年花嫁となって殿様の寵愛を受けるということ。そこで行われることは、花嫁と何ら変わりないのだ。閨房では一緒に沿い寝して引き寄せられ目を合わされ、帯び紐も解かれ愛撫もある、帯びを解かれ秋の夜長をたっぷり。少年が性交〔肛門)もされるのだ。 あの歌舞伎も、もともと若衆歌舞伎と言って男色に関係した若衆歌舞伎に起源を発しているのだ。若衆というのは元服前の言わばローティーンの前髪立ちの少年。そして、まだ修行中で歌舞伎の舞台に立たないうちの者を蔭間と呼んだ。 蔭間は男色の対象で、茶屋(蔭間茶屋)で色を売るのが勤めだった。丁度今の中学生位の美童だった。それも人身売買に近いもので、町人や浪人の子弟など家が貧しかったりしてまだ遊びたい盛りに親元から離れ売られて束縛され、12,3−4という一番恥ずかしい年頃に一日に何人もから裸にされて痛くなるほど弄ばれ玩弄されたあげく、肛門に太いモノを入れられたりしたもの。 美しい着物を着て客の前に出て行くのだが、そのたびに帯びをはずされ脱がされて裸にされてしまう。小姓の場合相手は一人だが売色となると色々な男がいる。いやなのがまた来たら逃げたくなるのは自然だが拒否したりすると苛酷なリンチが待っている。なかには、無理無体にしたり、しつこいのや、いやらしいの・大きいのがいたりする。昔は、旗本・後家人の子弟でさえ長男以外は手習という名目で寺入りさせられた。表向きは手習だが食いっぷちを減らすためで、生活が保障される代わりに、12,3一4で和尚様(女と交わるのはご法度)の性のご相手をさせられた。これが「寺小姓」で男色の一つの形だった。児童福祉法も無かった頃の事で、浪人とか貧乏町人の次三男ともなれば蔭間宿に売られるしがなかったのだ。 坊主や商家の主人等の他、町屋の後家、御殿女中など女も買いに来たという。後家や御 殿女中のそれは激しかったという。南條範夫「五代将軍」にもよく描かれている。 そう聞けば男子中学生売春もさもありなんというところだが、サンケイ新聞大阪版S60. 4・17には「男子中学生ホスト大阪キタ」という見出しで、「大阪市内に住む14才の 公立中2・3年生の男子中学生を雇って、専門学校教頭(44)や会社社長(45)など 男性客を相手に、いかがわしい行為をさせていたホストクラブの経営者が逮捕された」とある。 他に男子中・高生など常時15人前後雇いホモ専門紙などの広告を見た客からの電話でホストを派遣し2時間1万円で相手をさせて摘発されるまでに約一千万円をかせいでいたという。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/1347/1212752054/2
週刊女性はやっぱりあった男子中学生売春組織と題しレポート直接関係無いが下校途中の男子中学生の一団の写真ものせているそれらによるとラジオのインタビューに登場したのはなんと13才と1才の4人中2が2人中3が2人の少年で組織は19才の無職のリーダーを筆頭に男子中学生ばかり30人ほどいるというみな山の手の中流家庭に育つごくごく普通の中学生とのことお客女のほうは完全な会員制でリーダーの手元には150人程のリストがそろっていてお値段晩で高い子は10万円安い子でも23万円はするという勿論中学生の手元に入るのは12万円という 普通の性に飽きて新鮮な快楽に飢えた中年女性を相手に青い性を売っているというか自由にされている 以前昭和30年代に美容院をアジトとする男を買う同じような組織のレポを雑誌で 見たこのときは178才の美少年のみという 中学生売春自体異常なのに男子中学生と聞いたらさぞ驚くかも知れないが時代劇映 画に出て来る殿様の刀を捧げ持つ前髪たちの少年今では董のたった男やひどいのでは女だったりするが昭和40年代位までのテレビでは中学12年位か123の美しくてしい子役を使っていたあの美童は小姓と言って殿様の寵愛を受けて夜毎愛撫を受けていた美しい振袖衣装を纏って良いものを食べて殿様と同じ豪華な布団に寝ていた訳だが愛撫を受けるときはどんないやらしい事でも耐えなければならない 各藩から藩一の美童が推薦され殿様にお目通りされる美童はまだ123だそ して殿様のお側に奉仕する一ということは夜伽といって房に奉仕するということ 房ねやに奉仕とはどういうことか女色のかわりに花嫁になるということ思春期の数年間言わば少年の体をささげるのである少年花嫁となって殿様の寵愛を受けるということそこで行われることは花嫁と何ら変わりないのだ房では一緒に沿い寝して引き寄せられ目を合わされ帯び紐も解かれ愛撫もある帯びを解かれ秋の夜長をたっぷり少年が性交門もされるのだ あの歌舞伎ももともと若衆歌舞伎と言って男色に関係した若衆歌舞伎に起源を発しているのだ若衆というのは元服前の言わばローティーンの前髪立ちの少年そしてまだ修行中で歌舞伎の舞台に立たないうちの者を蔭間と呼んだ 蔭間は男色の対象で茶屋蔭間茶屋で色を売るのが勤めだった丁度今の中学生位の美童だったそれも人身売買に近いもので町人や浪人の子弟など家が貧しかったりしてまだ遊びたい盛りに親元から離れ売られて束縛され1234という一番恥ずかしい年頃に一日に何人もから裸にされて痛くなるほど弄ばれ玩弄されたあげく門に太いモノを入れられたりしたもの 美しい着物を着て客の前に出て行くのだがそのたびに帯びをはずされ脱がされて裸にされてしまう小姓の場合相手は一人だが売色となると色な男がいるいやなのがまた来たら逃げたくなるのは自然だが拒否したりすると苛酷なリンチが待っているなかには無理無体にしたりしつこいのやいやらしいの大きいのがいたりする昔は旗本後家人の子弟でさえ長男以外は手習という名目で寺入りさせられた表向きは手習だが食いっぷちを減らすためで生活が保障される代わりに123一4で和尚様女と交わるのはご法度の性のご相手をさせられたこれが寺小姓で男色の一つの形だった児童福祉法も無かった頃の事で浪人とか貧乏町人の次三男ともなれば蔭間宿に売られるしがなかったのだ 坊主や商家の主人等の他町屋の後家御殿女中など女も買いに来たという後家や御 殿女中のそれは激しかったという南範夫五代将軍にもよく描かれている そう聞けば男子中学生売春もさもありなんというところだがサンケイ新聞大阪版60 417には男子中学生ホスト大阪キタという見出しで大阪市内に住む14才の 公立中23年生の男子中学生を雇って専門学校教頭44や会社社長45など 男性客を相手にいかがわしい行為をさせていたホストクラブの経営者が逮捕されたとある 他に男子中高生など常時15人前後雇いホモ専門紙などの広告を見た客からの電話でホストを派遣し2時間1万円で相手をさせて摘発されるまでに約一千万円をかせいでいたという
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