賎のおだまき・武家の時代の男色 (185レス)
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1: 2008/05/20(火)20:40 AAS
森鴎外「イタセクスアリス」に出てくる、明治時代、薩摩の寮で硬派の学生が毎年、正月には
第一に読むという男色読み物です。「男色」とは美童愛のこと。
164: 2019/05/21(火)13:39 AAS
参考文献
 
司馬遼太郎「南方古俗と西郷の乱」日本書籍株式会社1979
司馬 遼太郎「古住今来」(中公文庫)1996
尾崎士郎 「私学校蜂起」[河出文庫)
池辺正太郎「西郷隆盛」 (角川文庫)
生方敏郎 「明治大正見聞史」(中公文庫M81)1978、1995(原本は1926) 
氏家幹人『武士道とエロス』(講談社新書)
礫川全次編「男色の民俗学」(歴史民俗学資料叢書 第二期 第三巻)批評社2003
五代夏夫 「薩摩秘話」南方新社(鹿児島)2002司馬遼太郎「南方古俗と西郷の乱」日本書籍株式会社1979
省16
165: 2019/05/21(火)14:04 AAS
本朝美少年録/實吉達郎 光風社出版
本朝男色考男色文献書誌/岩田準一 原書房 
日本における男色の研究/平塚良宜 人間の科学社
少年愛の連歌俳諧史-菅原道真から松尾芭蕉まで-/喜多唯志 沖積社
美少年日本史/須永朝彦 国書刊行会
166: 2019/05/21(火)14:08 AAS
本朝美少年録/實吉達郎 光風社出版
本朝男色考男色文献書誌/岩田準一 原書房 
日本における男色の研究/平塚良宜 人間の科学社
少年愛の連歌俳諧史-菅原道真から松尾芭蕉まで-/喜多唯志 沖積社
美少年日本史/須永朝彦 国書刊行会
167: 2019/05/21(火)14:18 AAS
本朝美少年録/實吉達郎 光風社出版
本朝男色考男色文献書誌/岩田準一 原書房 
日本における男色の研究/平塚良宜 人間の科学社
少年愛の連歌俳諧史-菅原道真から松尾芭蕉まで-/喜多唯志 沖積社
美少年日本史/須永朝彦 国書刊行会
168: 2019/05/21(火)16:53 AAS
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【衆道(ホモ)】

江戸時代末期には既に廃れつつあった衆道だが、薩摩(鹿児島県)では近代まで盛んであった。
明治32年の薩摩見聞記によれば、とりわけ稚児(少年)を好み、
客人に「お茶にしますか?稚児にしますか?」と勧めるほどであった。

薩摩では郷中制度という青少年の集まりがあったが
要するにケツを掘り合って結束を固めるものである
美少年は羨望の的であり常に強姦の危機に曝されていた為
特定の年長者にケツを捧げて保護して貰う必要があった
年長者は美少年を稚児様と呼び、きらびやかな着物を着せ、歩くときは傍らで傘を差し掛け
省2
169: 2019/05/21(火)17:07 AAS
年長者を二才(にせ)、年少者を稚児と年齢で二つに大別。
二才が稚児を監督/保護し、薩摩隼人たるべく教育訓導する組織。大雑把に言うとこんな感じでしょうか。
この郷中の二才と稚児は男色関係で結ばれている。全員がなにかしらそういう関係を誰かと持っていたのか、それが一部であったのかというのはよく分かりませんが、
江戸時代の薩摩では男色を知らなければ一人前とは認められなかったということも聞くので…そういう点から考えるとほぼ全員が通った道ではないかとも思われます。

薩摩では社会的な身分関係が
1)男、2)馬、3)女

という順番で、女性と触れ合うこと(話しかけるというライトな関係を含めて)を極端に忌避したといいますので、そういったこともあったかもしれません。
女性と目が合っただけで切腹した人もいたそうです。怖い。

それはとにかく、薩摩であると尚武の風が特に強く、それだけに戦場を想定した集団の連帯感や結束が求められたというのも男色がさかんであったひとつではないですかね。
出水だったかと思いますが、稚児の中でも特別に美しい少年を「稚児様」とか「○○様(名前の様付け)」と呼び、薄化粧をさせて周囲の人間が日の掛からないように傘をさし、他郷の人間に攫われないように集団で護衛して歩いたという話も残っています。
省2
170: 2019/05/21(火)17:10 AAS
薩摩では郷中制度という青少年の集まりがあったが
要するにケツを掘り合って結束を固めるものである
美少年は羨望の的であり常に強姦の危機に曝されていた為
特定の年長者にケツを捧げて保護して貰う必要があった
年長者は美少年を稚児様と呼び、きらびやかな着物を着せ、歩くときは傍らで傘を差し掛け
夜は他の者に拉致されないように寝ずの番をした。
171: 2019/05/21(火)17:12 AAS
薩摩では郷中制度という青少年の集まりがあったが
要するにケツを掘り合って結束を固めるものである
美少年は羨望の的であり常に強姦の危機に曝されていた為
特定の年長者にケツを捧げて保護して貰う必要があった
年長者は美少年を稚児様と呼び、きらびやかな着物を着せ、歩くときは傍らで傘を差し掛け
夜は他の者に拉致されないように寝ずの番をした。
172: 2019/05/21(火)17:17 AAS
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【薩摩隼人(さつまはやと)】

薩摩地方の男性をさす言葉。転じて、その男らしさを意味する言葉。

薩摩の郷中でホモ行為を拒否すると、
郷中のメンバーたちが家まで押しかけて来て、
その者を集団レイプする。
その者の家族も見て見ぬふりだったそうな。

薩摩では、男らしさとはそういうことを指して言った。
先輩の命令には絶対服従で、皆で同じことをする。
皆で犬を食い、皆でホモる。
省4
173: 2019/05/21(火)17:20 AAS
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【超高税の農民虐め】

薩摩では百姓の本田畠に対しては79.6%と言う常軌を逸した高税が課されていた。
(自ら田畠を耕す自作郷士も大勢いたが郷士の自作地については僅か18.4%の課税)
更に食料や収入になりそうな樹木にも附籾と言われる課税がされていた。
(例えば、柿や漆は1本あたり籾1升に換算されて課税される)

そして15~60歳の男子に用夫役や狩夫役などの労役が課せられ
公役は「月三十五日」と言われる過酷なものであった。
薩摩には独特の門割制度と言うものがあり
要するに耕作者の均一を図る為に
省7
174: 2019/05/21(火)17:27 AAS
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【薩摩隼人(さつまはやと)】

薩摩地方の男性をさす言葉。転じて、その男らしさを意味する言葉。

薩摩の郷中でホモ行為を拒否すると、
郷中のメンバーたちが家まで押しかけて来て、
その者を集団レイプする。
その者の家族も見て見ぬふりだったそうな。

薩摩では、男らしさとはそういうことを指して言った。
先輩の命令には絶対服従で、皆で同じことをする。
皆で犬を食い、皆でホモる。
省4
175: 2019/05/21(火)17:32 AAS
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【薩摩隼人(さつまはやと)】

薩摩地方の男性をさす言葉。転じて、その男らしさを意味する言葉。

薩摩の郷中でホモ行為を拒否すると、
郷中のメンバーたちが家まで押しかけて来て、
その者を集団レイプする。
その者の家族も見て見ぬふりだったそうな。

薩摩では、男らしさとはそういうことを指して言った。
先輩の命令には絶対服従で、皆で同じことをする。
皆で犬を食い、皆でホモる。
省4
176: 2019/05/21(火)17:32 AAS
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【薩摩隼人(さつまはやと)】

薩摩地方の男性をさす言葉。転じて、その男らしさを意味する言葉。

薩摩の郷中でホモ行為を拒否すると、
郷中のメンバーたちが家まで押しかけて来て、
その者を集団レイプする。
その者の家族も見て見ぬふりだったそうな。

薩摩では、男らしさとはそういうことを指して言った。
先輩の命令には絶対服従で、皆で同じことをする。
皆で犬を食い、皆でホモる。
省4
177: 2019/06/07(金)11:29 AAS
郷中(ごじゅう)は、薩摩藩の武士階級子弟の教育法です。似たものに会津藩の「什」があります。
教育の内容は
武士道の義を実践せよ
心身を鍛錬せよ
嘘を言うな
負けるな
弱いものいじめをするな
質実剛健たれ
たとえ僅かでも女に接することも、これを口上にのぼらせることも一切許さない
金銭利欲にかんする観念をもっとも卑しむこと
省16
178: 2019/06/15(土)10:05 AAS
郷中のメンバーは「舎」(健児の舎)に集まり武術や学問に励んだようです。

森鴎外の性的自伝「イタセクスアリス」で、薩摩の塾では、元旦には、競って読む本というのがあり、平田三五郎という13歳の美童のことを書いた『賤のおだまき』と言う男色本で、その「塾」が『舎』(健児の舎)と呼ばれるもの。

最近まであったようだ。
179: 2019/07/14(日)20:38 AAS
・薩摩には鎌倉,室町から続く 武士道的男色が残っていた。
藩士となる若者達は 地域毎に「二才(にせ)」と「稚児」に分けられる。二才とは元服から妻帯までの14~20代半ばの青年、稚児は元服以前の少年を指した。
二才は稚児を指導する立場で 稚児は他の地域の二才と接する事は禁じられた。
女性との接触は以ての外で 「道の向こうに女が見えたら、穢れが移るから避けろ」という教えが普及していた。
二才と稚児が男色の関係になったのは ごく当然の成り行きと云える。
幕末の英雄である西郷隆盛も ある僧と関係を持っていたと云う。「九州男児」と云えば男らしいことの代名詞だが 確かに当時の薩摩は男らしかった。
180: 2019/07/14(日)20:50 AAS
・薩摩に負けず‥男色が一般的だった と云われるのが土佐である。
武士の少年であれば 「男色の契り」の意味を知らぬ者はい無かったという。
もし男色を拒む少年がいると 年上の者が徒党を組んで家に押し掛け、その少年を捕まえて その場で強引に侵した。それには 隣室に父母兄弟がいても一切構わず、また家族達も 見て見ぬ振りをした。恐ろしい 話である。
・明治維新が起きて 薩摩の人間が東京へと流れ込むと、社会の一部‥学校 特に全寮制の男子校で男色ブームが吹き荒れた。
181: 2019/07/14(日)20:55 AAS
それは盛ん且つ 公然化したものであったようで、市井には 実話を基にした「三五郎物語(しずのおだまき)」という本が大人気となった。
内容は 薩摩藩士吉田大蔵と美少年吉田三五郎の情事が描かれていて、男色道におけるバイブルになった。
当時から 異性の事で頭がいっぱいの生徒を軟派と呼び、少年愛を好む生徒は硬派と云った。入学してきた美少年は 早晩‥硬派に身体を狙われる運命にあった。

・もう一つ男色が流行したのは 軍隊であった。
182: 2019/07/14(日)21:02 AAS
陸軍幼年学校(13歳で入試、全寮制)の寮では 70年の伝統として男色行為が行われていた。
その時1年生は痛さに涙を流すが、声を出してはいけないのだそうである。
寮は1年から3年まで二人ずつ計6人、3年生(今の高一)両隅、2年生は真ん中、1年生は2年生と3年生の間に一人ずつで、1年生を愛でるのは3年の特権だった。
3年生は1年生を稚児とし 契を結ぶ権利を持つ。2年生は 2年生同志で契り合う。幼年学校では自慰は禁止で 精液の付いたパンツを洗っていると咎められたという。
183: 2019/07/30(火)13:10 AAS
新薩藩叢書 第3巻
頼山陽 [賤のおだまき]
鹿児島県立図書館
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