賎のおだまき・武家の時代の男色 (185レス)
1-

153: 2014/07/17(木)22:51 AAS
薩摩のホモ文化の特徴は乱交すること
思春期になると自然と郷中制度の中で行われた。
薩摩の中に強固に残されていた《男色》の伝統は、《郷中教育》の中に生まれたものではなく、実はもっと遡れると考えています。その伝統のルーツは、新羅の花郎の風習ではないかと推測しています。

これについては、大和岩雄氏が、薩摩の稚児や二才(にせ)という若者集団を特別視している伝統と
新羅の花郎との関係を積極的に主張していて、その根拠として指摘しているのが、古代における
豊後豊前の新羅系移民の大隅移住の歴史的事件です。

この大隅とは現在の国分市(霧島市)一帯のことで、
稚児の風習が最後まで残っていた土地として国分を大和氏は指摘しています。

薩摩武士は普段の性欲処理はホモセックスですましていた
嫁とするのは子作りのときだけだった。
154: 2014/07/18(金)12:08 AAS
イスラム原理集団のタリバンって「学生」という意味だそうだ。ようは「学生党」

薩摩の「郷中」「私学校」もほとんど同じ
洗脳して軍事教練して、喜んで死んでくれるロボット兵士を産み出してい,
155: 2014/07/18(金)12:14 AAS
会津藩藩士教育 什の掟

一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言をいふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

薩摩の郷中教育とそっくりだ
156: 2014/07/18(金)12:44 AAS
薩摩の郷中で稚児が男色行為を拒否すると、
郷中のメンバーたちが家まで押しかけて来て、
その稚児を集団で手取り足取りレイプする。
その者の家族も見て見ぬふりだったそうな。

薩摩では、男らしさとはそういうことを指して言った。
先輩、二才の命令には絶対服従で、皆で同じことをする。
皆で犬を食い、皆で焼酎を飲み、皆でホモる。
それが、男らしいということであった。

一人だけ違うことをする、群れない、
省2
157: 2014/07/18(金)13:06 AAS
郷中制度って本当に
青年たちのあいだで
後輩が先輩のチンコしゃぶって性欲処理の
お手伝いしてたん?

男色行為の一つで、フェラすることを,当時の小笛・一節切になぞらえて
『一節切』(ひとよぎり)と称した。

尺八が間に竹2節であるのに対し、間に一節の一回り小さい笛・一節切。
それを吹くこと。

稚児といわれるまだ12,3の美童、その一回り小さいもの。それが、まだ柔らかいそれが口愛によって、それでも竹の笛のように、
せいいっぱい勃ちあがっても、舐め尽くし、しゃぶりつくす・・
省1
158: 2014/07/25(金)13:14 AAS
同じ内容のコピペばっか載せていて楽しいの?
159: 2014/08/14(木)20:19 AAS
木谷俊男「賎のおだまき考 : 少年13歳・少年美と少年愛の系譜」(国会図書館蔵000002727681)
160: 2014/08/18(月)14:35 AAS
幕末に会津に新政府軍が攻め込んだ時、薩摩の兵士たちは
負傷して動けなくなっている会津の少年兵たちを捕まえると犯した。

男色の盛んな薩摩兵にとっては少年愛(男色)はお手の物だったが、辱めに耐えきれず
犯されている間に舌噛み切って死んだ少年も多かっただろうよ。
なお、会津も男色の盛んな土地、他人それも敵軍に穢され尽くし、生童(きわらべ)を失うのは最大の不名誉とされた。
161: 2016/10/09(日)18:34 AAS
★ 『賤のおだまき』抜粋。

↓美少年平田三五郎宗次が狼藉者の倉田・小濱に襲われるシーンです。そこへ後に義兄になる吉田大蔵が通りかかります。

『倉田軍平。後ろから三五郎を大抱きに抱きければ。宗次心得たりと脇差を。抜かんと欲するを。小濱助五郎。ひたと両手を。握りて少も動かさず。三五郎は無念至極に思ひつつ。心の中は燃る火の。火水なれと揉合ふに。此勢ひに三五郎が。髪の元結ふつと切れ。梅の匂の乱髪。乱れて馨る春風に。吹れて衣裳の褄返る。雪を欺く其肌に。倉田小濱はこらへかね。花の様なる宗次を。強力無双の両人が。物の数とも思はずして。既に捻ぢ倒して。無理に本意を達せんと。云ふ日も西に入相の。無常を告る山寺の。鐘の響に音添えて。哀れ彌増す春の暮。往来の人もあらばへに。哀れや今の三五郎が。未だ少年の悲さは迚も叶はぬ物故に。詮方なくも涙組み。偖も無念と思ふなる。心の中ぞ無慚なる。斯の處に。一人の士。馬に打乗り。通りしが。此有様を見るよりも。急ぎ馬より飛び下りて。其は吉田大蔵なり。各何事にて候やと。云ふ声の下より。倉田小濱の両人は。如何思ひけん。只只一言も云はずして。一目散に逃失せけり。』

……スゴイと思いませんか?文体は全体を通してこんな感じです。他にも「芙蓉の顔」とか。読んでるこっちが恥ずかしくなります。
…………薩摩隼人って……(汗)。
h 外部リンク[cgi]:www3.rocketbbs.com

(参考)
省7
162: 2019/05/21(火)13:21 AAS
薩摩の『郷中制度』(ごじゅう)と男色(美童愛)!
163: 2019/05/21(火)13:38 AAS
日本における男色の歴史
164: 2019/05/21(火)13:39 AAS
参考文献
 
司馬遼太郎「南方古俗と西郷の乱」日本書籍株式会社1979
司馬 遼太郎「古住今来」(中公文庫)1996
尾崎士郎 「私学校蜂起」[河出文庫)
池辺正太郎「西郷隆盛」 (角川文庫)
生方敏郎 「明治大正見聞史」(中公文庫M81)1978、1995(原本は1926) 
氏家幹人『武士道とエロス』(講談社新書)
礫川全次編「男色の民俗学」(歴史民俗学資料叢書 第二期 第三巻)批評社2003
五代夏夫 「薩摩秘話」南方新社(鹿児島)2002司馬遼太郎「南方古俗と西郷の乱」日本書籍株式会社1979
省16
165: 2019/05/21(火)14:04 AAS
本朝美少年録/實吉達郎 光風社出版
本朝男色考男色文献書誌/岩田準一 原書房 
日本における男色の研究/平塚良宜 人間の科学社
少年愛の連歌俳諧史-菅原道真から松尾芭蕉まで-/喜多唯志 沖積社
美少年日本史/須永朝彦 国書刊行会
166: 2019/05/21(火)14:08 AAS
本朝美少年録/實吉達郎 光風社出版
本朝男色考男色文献書誌/岩田準一 原書房 
日本における男色の研究/平塚良宜 人間の科学社
少年愛の連歌俳諧史-菅原道真から松尾芭蕉まで-/喜多唯志 沖積社
美少年日本史/須永朝彦 国書刊行会
167: 2019/05/21(火)14:18 AAS
本朝美少年録/實吉達郎 光風社出版
本朝男色考男色文献書誌/岩田準一 原書房 
日本における男色の研究/平塚良宜 人間の科学社
少年愛の連歌俳諧史-菅原道真から松尾芭蕉まで-/喜多唯志 沖積社
美少年日本史/須永朝彦 国書刊行会
168: 2019/05/21(火)16:53 AAS
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【衆道(ホモ)】

江戸時代末期には既に廃れつつあった衆道だが、薩摩(鹿児島県)では近代まで盛んであった。
明治32年の薩摩見聞記によれば、とりわけ稚児(少年)を好み、
客人に「お茶にしますか?稚児にしますか?」と勧めるほどであった。

薩摩では郷中制度という青少年の集まりがあったが
要するにケツを掘り合って結束を固めるものである
美少年は羨望の的であり常に強姦の危機に曝されていた為
特定の年長者にケツを捧げて保護して貰う必要があった
年長者は美少年を稚児様と呼び、きらびやかな着物を着せ、歩くときは傍らで傘を差し掛け
省2
169: 2019/05/21(火)17:07 AAS
年長者を二才(にせ)、年少者を稚児と年齢で二つに大別。
二才が稚児を監督/保護し、薩摩隼人たるべく教育訓導する組織。大雑把に言うとこんな感じでしょうか。
この郷中の二才と稚児は男色関係で結ばれている。全員がなにかしらそういう関係を誰かと持っていたのか、それが一部であったのかというのはよく分かりませんが、
江戸時代の薩摩では男色を知らなければ一人前とは認められなかったということも聞くので…そういう点から考えるとほぼ全員が通った道ではないかとも思われます。

薩摩では社会的な身分関係が
1)男、2)馬、3)女

という順番で、女性と触れ合うこと(話しかけるというライトな関係を含めて)を極端に忌避したといいますので、そういったこともあったかもしれません。
女性と目が合っただけで切腹した人もいたそうです。怖い。

それはとにかく、薩摩であると尚武の風が特に強く、それだけに戦場を想定した集団の連帯感や結束が求められたというのも男色がさかんであったひとつではないですかね。
出水だったかと思いますが、稚児の中でも特別に美しい少年を「稚児様」とか「○○様(名前の様付け)」と呼び、薄化粧をさせて周囲の人間が日の掛からないように傘をさし、他郷の人間に攫われないように集団で護衛して歩いたという話も残っています。
省2
170: 2019/05/21(火)17:10 AAS
薩摩では郷中制度という青少年の集まりがあったが
要するにケツを掘り合って結束を固めるものである
美少年は羨望の的であり常に強姦の危機に曝されていた為
特定の年長者にケツを捧げて保護して貰う必要があった
年長者は美少年を稚児様と呼び、きらびやかな着物を着せ、歩くときは傍らで傘を差し掛け
夜は他の者に拉致されないように寝ずの番をした。
171: 2019/05/21(火)17:12 AAS
薩摩では郷中制度という青少年の集まりがあったが
要するにケツを掘り合って結束を固めるものである
美少年は羨望の的であり常に強姦の危機に曝されていた為
特定の年長者にケツを捧げて保護して貰う必要があった
年長者は美少年を稚児様と呼び、きらびやかな着物を着せ、歩くときは傍らで傘を差し掛け
夜は他の者に拉致されないように寝ずの番をした。
172: 2019/05/21(火)17:17 AAS
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【薩摩隼人(さつまはやと)】

薩摩地方の男性をさす言葉。転じて、その男らしさを意味する言葉。

薩摩の郷中でホモ行為を拒否すると、
郷中のメンバーたちが家まで押しかけて来て、
その者を集団レイプする。
その者の家族も見て見ぬふりだったそうな。

薩摩では、男らしさとはそういうことを指して言った。
先輩の命令には絶対服従で、皆で同じことをする。
皆で犬を食い、皆でホモる。
省4
1-
あと 13 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.113s*