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現地報告

3もっこす:2006/02/27(月) 00:06:33

  『部落』一九九四年一月号(第五七三号)および二月号(第五七四号)より転載

  揺らぐ筑紫の解同王国            植山光郎

 プロローグ

 小郡中学校の廣木一貫校長(五四)が、糾弾からみで変死した。部落解放同盟筑後
地区協議会(平井安次委員長)と小郡市教委、福岡県教委らから、自校生徒の発言を
理由に9月25日に糾弾され、その二日後に消息を絶ち、失踪後13日目の10月9
日、熊本県菊池市の山中で縊死遺体で発見された。「小郡中糾弾、校長自殺事件」の
真相糾明をもとめる県民集会が11月23日、おりからの氷雨をついて小郡市内で開
かれた。集会後、600人の参加者は拳をつきあげ、口々に「解同は教育に介入する
なー」「小郡市は真相を市民の前に明らかにせよー」と訴え、西鉄小郡駅前までデモ
行進した。その真相糾明をもとめるデモ隊のシュプレヒコールは、同和問題で閉塞状
態にある小郡市の曇天に力強くひびきわたった。デモ行進の一歩は、真相糾明をもと
める一歩であり、それは筑紫の解同王国・小郡の崩壊の地響きでもあった。

 前回、私はこの小郡中事件を現地報告として本誌11月号でレポートした。その後
、たてつづけに小郡に背離現地調査と教宣活動に没頭した。いま小郡は県民集会を前
後して、情勢はとどまることなく動いている。激動の小郡からふたたび、小郡市民と
「さわやかに連帯」してたたかう全解連福岡県連の活動を報告したい。

 1 真相の解明をもとめて

 廣木校長の失踪自殺は、私たちにとって大きなショックだったが、解同の確認、糾
弾を行政的に保障した小郡市教委と県教委にとっても、計算外のできごとだった。

 それが証拠に、小郡市教委は校長が失踪した翌日、緊急に校長会を招集して「とに
かく命にかかわる重大な事態。はやく廣木先生の行方を捜し出すように」と指示をだ
し、箝口令をしいた。その段階で行政自ら「命にかかわる重大事態」と認めているこ
とからして、あわてぶりは想像に難くない。小郡中では「校長自殺」について、教師
はピタッと口をとじた。故人への弔いか、真実からの忌避か、外部との対応は植田富
男教頭を窓口にして「真相の解明」を意図的にさけている。小郡中の教師たちはいま
だに口をふさいでいるのである。そればかりか教頭は卑劣にも、PTA役員会に「校
長は鬱病だった。学習会と校長の自殺は関係ない」と説明、もっぱら、校長のプライ
バシー問題にすりかえているのである。

 ところが、当の生徒たちは正直だ。校内では「お前たちがけんかしたから校長先生
が死んだ」「先生に言わんかったら校長先生は死なんかったのに」と、校長の自殺の
原因をかくさない。それでも教師たちは真相に口をつぐんでいる。なぜなのか。

 この閉塞の状態を打開するには、とにかく校長自殺事件の真実を市民に知らせなけ
ればならない。憶測ではなく、事実を事実として市民に知らせよう。私たちは真実を
解明するために福岡県下の民主団体によびかけ現地合同調査団を結成、10月20日
、現地調査に入ることにした。調査団のよびかけ団体は、私たち全解連福岡県連のほ
かに日本共産党福岡県委員会、地元の同筑後地区委員会、福岡県同和教育研究会、自
由法曹団福岡支部の五団体がなった。調査活動と教宣活動を同時にすすめるために、
全解連として独自にビラを作成した。ビラは憶測や主観を排し、事前に入手した糾弾
会関係の資料と関係者の証言をもとに客観的な内容にした。見出しは「=小郡中学校
の校長自殺事件=解同、行政による糾弾会直後、いのち断つ」を大見出しに、小見出
しは「これが事件の真相です 父母の本音は先生、子どもたちは犠牲者 『子どもの
発言』は差別ではない」として、さらに市民には「子どもと教育を守るために私たち
は真相を糾明します。皆さんの協力を」と訴えるものだった。


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