【徹底】絶歌出版の動機は!!?【検証】 (241レス)
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(1): くそ餓鬼 2015/07/04(土)16:27 AAS
-経緯-
2007年事件から10年以降、毎年命日に欠かさず手紙を送る。
 ↓
山下さん「年に1回では重みも伝わらず、その時々感じたことをメモ書きでいいから送付してほしい」
「もっと具体的な生活の状況を知らせてほしい」
 ↓
10年間無視。でも、手紙は書き続け、遺族も読み続けていた。
 ↓
2014年12月。見城徹氏に「本を書きたい」熱烈ラブレターを書き、「破滅を覚悟で人生最大のロシアンルーレットに挑むことにしました」
 ↓
省23
2: くそ餓鬼 2015/07/04(土)16:29 AAS
こうして書いてみると、、もう言葉がないな・・・

キチガイ軍曹、、どうしたら奴を擁護できんの!??

こいつ、ちょっとでもいたぶられてんのか!??日本社会や遺族が一方的にやられてるだけじゃないのか!???
3: くそ餓鬼 2015/07/04(土)16:35 AAS
これも貼っとくか
外部リンク:www.bengo4.com

神戸連続殺傷事件「元少年A」はなぜ手記を出したのか? 太田出版・編集担当者に聞く

1997年に起きた「神戸連続児童殺傷事件」の犯人男性(32)が6月10日、事件を起こした経緯やその後の人生をつづった手記を出版したことが、大きな波紋を広げている。

事前に出版を知らされていなかったという事件の遺族が、あいついでマスコミにコメントを発表。殺害された土師淳くん(当時11歳)の父親守さん(59)は「少しでも遺族に対して悪いことをしたという気持ちがあるのなら、今すぐに、出版を中止し、本を回収してほしい」。山下彩花ちゃん(当時10歳)の母親、京子さん(59)は「何のために手記を出版したのかという彼の本当の動機が知りたいです」と問いかけた。

Amazonのカスタマーレビューには「評価に値しない」とか「世に出してはならない本」といった酷評が並んでいる。また、遺族に無断で本を発行したことなどについて、版元の太田出版(東京)には抗議の電話が殺到しているという。男性は今年3月、仲介者を通じて原稿を同社に持ち込んだというが、いったいどのような意図で出版に至ったのか。編集を担当した太田出版取締役の落合美砂さんに話を聞いた。(取材・渡邉一樹)
省5
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(1): くそ餓鬼 2015/07/04(土)16:35 AAS
「僕は祖母の位牌の前で、祖母の遺影に見つめられながら、祖母の愛用していた遺品で、祖母のことを想いながら、精通を経験した」。「僕の中で"性"と"死"が"罪悪感"という接着剤でがっちりと結合した瞬間だった」。

一方、第2部では、21歳だった2004年、医療少年院を出て、再び社会に復帰してから、現在に至るまでの出来事が語られる。保護観察、更生保護施設、里親になってくれた家族とのエピソード、自立しネットカフェやカプセルホテルを泊まり歩く生活に、事件が色濃く影を落としている様子が語られる。被害者遺族への贖罪の気持ちや、家族への感謝の気持ちもふまえて、今回の手記を書いた経緯がつづられている。

そして、本の末尾には「被害者のご家族の皆様へ」「皆様に無断でこのような本を出版することになったことを、深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ありません。どのようなご批判も、甘んじて受ける覚悟です」とする謝罪文が添えられている。

このように批判を覚悟していたということだが、遺族らの感情を逆なでしてまで「手記」を出そうとしたのは、なぜなのか。原稿の提案を受けた太田出版が、出版に踏み切ったのは、どうしてなのか。

●「赤を入れて直したところはない」
省11
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(1): くそ餓鬼 2015/07/04(土)16:36 AAS
——いろいろな意味で影響が大きい本だと思いますが、本を出すことに躊躇はなかったのですか。特に、神戸連続少年殺傷事件については、影響を受けたという少年少女が出てきていましたが・・・。

「本というのは、良きにつけ悪しきにつけ、多かれ少なかれ、他人に影響を与えるものだと思います。

彼は、この事件についてテレビで企画された討論会で、ある男の子が発した『なぜ人を殺してはいけないのか?』という質問に、大人たちが答えられなかったというエピソードを紹介したうえで、彼の体験を通じた、彼なりの答えを用意しています。そこを読んでもらえればと思います」

手記の中で、元少年Aは、今ならこの問いに次のように回答すると記している。

《「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」
省14
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(1): くそ餓鬼 2015/07/04(土)16:37 AAS
——ドストエフスキーなどの引用が、数多くなされていますが、それもそのままですか。

「引用も全部入ってました。そのまま。しかも、引用が一字一句間違っていなかった。突き合わせをしたときにおどろきました」

——「絶歌」というタイトルは、どういう意味なのですか。

「それは、本人が『どうしても』と、決めていらしてですね、本文にも説明がないので、造語だと思うんですけど、正直言ってどういう意味かというのはですね、聞いても説明がなかったですね。最初から『このタイトルで行きたい』ということだったので、『じゃあ』という感じで・・・」

——本を出版したことに対する反応、批判は、本人にも伝わっているのでしょうか?
省16
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(1): くそ餓鬼 2015/07/04(土)16:38 AAS
——ご遺族に事前に説明がなかったのは、なぜですか?

「彼としては、許可を求めても、却下されるだろうということもあったのだと思います。土師さんの気持ちを裏切ることになるというのが分かっていても、出したかったということだと思うんですよ。

本を出すことによって、自分の家族も、遺族の方々も、彼自身も、再び注目を浴びます。それこそ彼自身にとっても、今どこにいるかを探されたりとか、いろんな危険性もあるし、人を傷つけるということも可能性としてはあるという話をしたのですが、やはり『どうしても出したい』ということで、こういう形になりました」

——最後に謝罪文がありますが、それを入れようということになった経緯はどういったものですか?

「最後に謝罪文を付けるという構成も、彼が書いてきたそのままです。私が(原稿を)読んときには、もうあの形で入っていました。こちらで『書いてください』とか、そういった要望は一切出していません」
省5
8: くそ餓鬼 2015/07/04(土)16:52 AAS
「僕がどうしてもこの本を書かざるを得なくなった理由について、正直にお話させていただきたく思います。
 二〇〇四年三月十日。少年院を仮退院してからこれまでの十一年間、僕は、必死になって、地べたを這いずり、のたうちまわりながら、自らが犯した罪を背負って生きられる自分の居場所を、探し求め続けてきました。人並みに社会の矛盾にもぶつかり、理不尽な目にも遭い、悔しい思いもし、そのたびに打ちひしがれ、落ち込み、何もかもが嫌になってしまったこともありました。ぎりぎりのところで、いつも周囲の人に助けられながら、やっとの思いで、曲がりなりにもなんとか社会生活を送り続けることができました。しかし、申し訳ありません。僕には、罪を背負いながら、毎日人と顔を合わせ、関わりを持ち、それでもちゃんと自分を見失うことがなく、心のバランスを保ち、社会の中で人並みに生活していくことができませんでした。周りの人たちと同じようにやっていく力が、僕にはありませんでした。「力がありませんでした」で済まされる問題でないことは、重々承知しております。それでも、もうこの本を書く以外に、この社会の中で、罪を背負って生きられる居場所を、僕はとうとう見つけることができませんでした。」
9: くそ餓鬼 2015/07/04(土)16:55 AAS
「 この十一年間、沈黙が僕の言葉であり、虚像が僕の実体でした。僕はひたすら声を押しころし生きてきました。それはすべてが自業自得であり、それに対して「辛い」、「苦しい」と口にすることは、僕には許されないと思います。でもぼくはそれに耐えられなくなってしまいました。自分の言葉で、自分の想いを語りたい。自分の生の軌跡を形にして遺したい。朝から晩まで、何をしている時でも、もうそれしか考えられなくなりました。そうしないことには、精神が崩壊しそうでした。自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした。」

『絶歌』―あとがきより―
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(1): くそ餓鬼 2015/07/04(土)17:02 AAS
多分、理由はいくつかあるんだろう。

・どこへ行っても酒鬼薔薇とバレ、一箇所で働けず、単純、日雇い労働の限界を感じた。
・発達障害があり、コミュニケーション能力がない中で、社会で普通の人と同じようにやっていくのは不可能だった。
 かと行って、親元にも帰れない(あんな親だから)
・抜け殻の人生を、「装飾して」あるものかのように見せかけて、蘇らせる以外、生きている実感が持てなかった。
・だから、日記では駄目で、日本社会に見てもらう必要があった。
・生活や賠償のために、金銭も必要なので、ブログでは駄目だった。(そんな余裕があるくらいなら書かない)
・もう二度と会えない人たちに、お礼を言いたかった。

やっぱり、存在承認欲求、、事件当時の犯行動機「自分がそこにいるという実感が欲しかった」
と同じだな・・・この根本が解決しない限り、また18年後に爆発するんじゃないか・・・?
11: くそ餓鬼 2015/07/04(土)17:07 AAS
なんでそこまで「生きたい!」と思えるようになったのかが、見えてこないな・・

自殺するエネルギーがないのはわかるんだが・・

これ、深刻な愛着障害だな・・親にしか解決できないと思うんだが、こいつら
二人で会話できないんだろう・・だから日本社会巻き込むんだろう・・・
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(1): 2015/07/05(日)10:11 AAS
「どこへ行っても酒鬼薔薇とバレ、一箇所で働けず、単純、日雇い労働の限界を感じた」

此処がハッキリしてなくて、本を読んだ限りでは仮退院後のエピソードが一つあるだけの様な?
あと「生きたい」と言うよりは「やっぱ死にたくない!」と受け取ってしまうのは逆読みし過ぎなのかな〜?
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(2): 2015/07/05(日)22:46 AAS
>>1
見城社長に手紙を送ったのは2012年末だったと思う。

僕は脱原発デモとかにも行く社会派なんだが、
2012年末は民主党から自民党に政権交代した時期で、精神的にまいっていた。
ただそれがAの執筆にどういう影響を与えたのかは分からない。

2012年末から今までの執筆期間の生活費として見城社長から400万借りたというから、
返せって言われたら遺族を無視してでも出版せざるを得ないと思う。

ただ、出版社が悪いとは思わない。

封書の差出人名が「酒鬼薔薇聖斗」だったこととかも含めて、
失礼を承知で言うと頭が悪い。はっきり言ってバカ。
省2
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(1): 2015/07/05(日)23:16 AAS
バカがやり手の編集者にいいようにされたってストーリー本当ですか?
差出人名が酒鬼薔薇聖斗だってって本当ですか?
15: 2015/07/06(月)01:29 AAS
>>14
「酒鬼薔薇聖斗」の名で封書が届いたというのは
週刊文春の見城社長インタビューがソース。
16: 2015/07/06(月)01:50 AAS
たずっちさんも「出版社の罠にはまった大バカ野郎だ」と言っていたらしいので、
たぶんバカがやり手の編集者にいいようにされたって認識で間違いないと思う。

違うというのならば本人が記者会見で(ry
17: 2015/07/06(月)02:02 AAS
でもそんなバカでキンタマ小さくて
そのくせ自己顕示欲だけはある、
どうしようもないAも好き。
神じゃなくて、等身大の人間として好き。

真面目に働くもよし、
仏門に入るもよし。

でも、小説家としてのデビューだけはありえない。
18: くそ餓鬼 2015/07/06(月)16:38 AAS
>>12
第二部はだいぶ誤魔化し、、ってか、完全な嘘ではないんだろうが、
カッコ悪いとことか書いてない感じだな・・ネットの噂とか総合すると、
どこに言ってもバレ、ってのが自然だな・!!!
19: 2015/07/06(月)17:09 AAS
そんなに顔が変わってないのか。
20: 2015/07/06(月)18:29 AAS
東北少年院で見たやつが2chにいたけどその時点で写真のまんまって言ってたからその後も変わりないんじゃないかな
ヒゲ生やしたりしたら分からんかもだけど普通の社会人だったら無理だし
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