台湾について語るスレ (763レス)
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羽柴宇土侍従
2004/11/26(金)21:44
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18: 羽柴宇土侍従 [] 千恵新大使夫人の挨拶 こんなに多くの方々に、お集まりいただき、なんとお礼を申し上げれば良いのかわかりません。30数年間台湾へ帰れず、日本に長い間滞在しておりました私どもを、暖かく見守って下さった方々、ここにいらっしゃる阿川弘之先生、宮崎繁樹先生や服部公一先生、一緒によりよき台湾のために頑張ってきた仲間たち、王育徳夫人、宗像隆幸さん、寥春栄さん、周英明ご夫妻、黄文雄さん、小林さん、喜びも悲しみもともにしてくれた多くの友達と親戚、みんな、白髪は増えしわは多くなりましたが、お会いできて大変うれしく思っております。 私が12年前、ブラックリストが解除になり、台湾の地を30数年ぶりに踏んだとき、「この台湾は私の思い描いていた台湾と違う」と、泣きそうになりましたが、主人の世楷が、「君が台湾を出て行ったときは18歳、今はもう50幾つになりました。君が変ったように台湾も変ったのです」と慰めてくれたのです。 それから12年、私たちは10の部族の学生がいる原住民の学校へ行き、学生たちと共に生活しながら一緒に学んできました。原住民の学生が、遠いという言葉は、「イディ〜ラ」と言うのだと教えてくれました。更に遠い場合は、音を「イディ〜〜〜〜ラ」と伸ばせば良いと言うのです。孫がお爺さんに、「アメリカは遠いの」と聞いたところ、お爺さんは、「イディ〜〜〜〜〜と言ったまま、山へ仕事に行ってしまい、帰って来てから、〜ラ」と言ったなど、楽しい話をたくさんしてくれました。(会場笑いの渦) 台中の大学では、中国人になりかかっている学生に、「君たちは台湾人なのだ」と教えてきました。また、読書会、人権委員会などコミュニティでの活動を通して、台湾人のバイタリティに触れ、希望も見出してきました。 アムネスティの仕事もしました。日本に居るときは、日本の方々ばかりでなく、ドイツやスエーデンの人たちまでが、台湾の政治犯のために一生懸命助力してくれました。いま台湾は自由になり、こんな良い国になったのですから、そのときのお返しとして、他の国々の政治犯を救いましょうと呼びかけ、台中に二つもアムネスティの支部ができました。本当に充実した12年間でした。 昨年夏、主人の69歳の誕生日に、「2人ともすぐ70歳になるのだから、そろそろ人生の整理を始めましょうよ」と、年の初めにパソコンを買い込み、長らく留守をしていた台湾を再発見するため、新しい車も買いました。すべての公職から、リタイアする準備をしていたのです。 それなのに主人の世楷は、このたび駐日代表のお仕事がもち上がると、私には何の相談も無く、さっさと自分一人で引き受けてきてしまいました。(会場大喝采)。 よほど、この仕事に魅力を感じたのでしょう。私も、国家がなお世楷を必要としている、重責を彼に負わせようとしていると、身が引き締まる思いでいっぱいになりました。(会場静まりかえる)。 赴任前、台湾へ戻ったときもそうでしたが、私ども所属の教会で、感謝礼拝を行ってくださり、高俊明牧師が「神からのみ言葉を心にもち、強くまた雄々しくあれ」と励まして下さいました。ロスアンジェルスにいる息子からは、「パパ、インデグリティ(誠実)、ディグニティ(尊厳)、インテリジェンス(聡明さ)をもって、台湾外交のためにがんばってください」と、エールが送られてきました。(大きな拍手) ほんとうに、私たちだけではできない重責です。一昨年、ヨーロッパへ旅したとき、ルクセンブルグという小国が、周りの国々からその独立を認められているのを見て、ほんとうにうらやましく思いました。それと比べて、同じ小さな国台湾の前途は、なんと険しく多難なのでしょう。 どうか本日ご出席の台湾人が、誠実、尊厳、聡明さをもって、世界に台湾のことを語り、友達をつくって下さいますよう、また日本人の皆さんには、変らぬ友情を台湾に与えて下さいますよう、心からお願いいたします。(長〜〜い、イディ〜〜〜〜ラな拍手) 千恵夫人は、学校の先生が生徒に話すように、淡々と物静かに話されましたが、会場を埋め尽くした参会者は、深く感動していました。この日、登壇されたどの人の話も、みな素晴らしいものばかりでした。新しい台湾外交が着実に回りだしたのを見る思いでした。 閉会後、知り合いの台湾の友人に声をかけると、だれもみな非常に高揚していました。私たち日本人は、大使ご夫妻をはじめ多くの台湾人の抱く「千里の志」が、見事に開花し結実するよう、共に憂い共に行動していきたいものです。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/5312/1101472407/18
千恵新大使夫人の挨拶 こんなに多くの方にお集まりいただきなんとお礼を申し上げれば良いのかわかりません30数年間台湾へ帰れず日本に長い間滞在しておりました私どもを暖かく見守って下さった方ここにいらっしゃる阿川弘之先生宮崎繁樹先生や服部公一先生一緒によりよき台湾のために頑張ってきた仲間たち王育徳夫人宗像隆幸さん春栄さん周英明ご夫妻黄文雄さん小林さん喜びも悲しみもともにしてくれた多くの友達と親戚みんな白髪は増えしわは多くなりましたがお会いできて大変うれしく思っております 私が12年前ブラックリストが解除になり台湾の地を30数年ぶりに踏んだときこの台湾は私の思い描いていた台湾と違うと泣きそうになりましたが主人の世が君が台湾を出て行ったときは18歳今はもう50幾つになりました君が変ったように台湾も変ったのですと慰めてくれたのです それから12年私たちは10の部族の学生がいる原住民の学校へ行き学生たちと共に生活しながら一緒に学んできました原住民の学生が遠いという言葉はイディラと言うのだと教えてくれました更に遠い場合は音をイディラと伸ばせば良いと言うのです孫がお爺さんにアメリカは遠いのと聞いたところお爺さんはイディと言ったまま山へ仕事に行ってしまい帰って来てからラと言ったなど楽しい話をたくさんしてくれました会場笑いの渦 台中の大学では中国人になりかかっている学生に君たちは台湾人なのだと教えてきましたまた読書会人権委員会などコミュニティでの活動を通して台湾人のバイタリティに触れ希望も見出してきました アムネスティの仕事もしました日本に居るときは日本の方ばかりでなくドイツやスエーデンの人たちまでが台湾の政治犯のために一生懸命助力してくれましたいま台湾は自由になりこんな良い国になったのですからそのときのお返しとして他の国の政治犯を救いましょうと呼びかけ台中に二つもアムネスティの支部ができました本当に充実した12年間でした 昨年夏主人の69歳の誕生日に2人ともすぐ70歳になるのだからそろそろ人生の整理を始めましょうよと年の初めにパソコンを買い込み長らく留守をしていた台湾を再発見するため新しい車も買いましたすべての公職からリタイアする準備をしていたのです それなのに主人の世はこのたび駐日代表のお仕事がもち上がると私には何の相談も無くさっさと自分一人で引き受けてきてしまいました会場大喝采 よほどこの仕事に魅力を感じたのでしょう私も国家がなお世を必要としている重責を彼に負わせようとしていると身が引き締まる思いでいっぱいになりました会場静まりかえる 赴任前台湾へ戻ったときもそうでしたが私ども所属の教会で感謝礼拝を行ってくださり高俊明牧師が神からのみ言葉を心にもち強くまた雄しくあれと励まして下さいましたロスアンジェルスにいる息子からはパパインデグリティ誠実ディグニティ尊厳インテリジェンス聡明さをもって台湾外交のためにがんばってくださいとエールが送られてきました大きな拍手 ほんとうに私たちだけではできない重責です一昨年ヨーロッパへ旅したときルクセンブルグという小国が周りの国からその独立を認められているのを見てほんとうにうらやましく思いましたそれと比べて同じ小さな国台湾の前途はなんと険しく多難なのでしょう どうか本日ご出席の台湾人が誠実尊厳聡明さをもって世界に台湾のことを語り友達をつくって下さいますようまた日本人の皆さんには変らぬ友情を台湾に与えて下さいますよう心からお願いいたします長いイディラな拍手 千恵夫人は学校の先生が生徒に話すように淡と物静かに話されましたが会場を埋め尽くした参会者は深く感動していましたこの日登壇されたどの人の話もみな素晴らしいものばかりでした新しい台湾外交が着実に回りだしたのを見る思いでした 閉会後知り合いの台湾の友人に声をかけるとだれもみな非常に高揚していました私たち日本人は大使ご夫妻をはじめ多くの台湾人の抱く千里の志が見事に開花し結実するよう共に憂い共に行動していきたいものです
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