[過去ログ] 村上春樹「富野由悠季?何それ?知らない」 [転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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(1): 2019/08/17(土)07:12 ID:YoijTpqV0(1/4) AAS
今度は何レス粗末に使って村上大先生へのジェラシーを表現してくれるのだろうか
860: 「はいほー!」収録「チャンドラー方式」より 1/3 2019/08/17(土)07:35 ID:YoijTpqV0(2/4) AAS
(要約すると「うろ覚えのレイモンド・チャンドラーによる小説を書くコツを僕の商売に使います」
という小鷹信光や三条陸がキレそうなクソみたいな前置きの後)

 何はともあれ、僕はそれをチャンドラー方式と呼んでいる。
 まずデスクをきちんと定めなさい、とチャンドラーは言う。自分が文章を書くのに適したデスクをひとつ定めるのだ。
そしてそこに原稿用紙やら(アメリカには原稿用紙はないけれど、まあそれに類するもの)、万年筆やら資料やらを揃えておく。
きちんと整頓しておく必要はないけれど、いつでも仕事ができるという態勢にはキープしておかなければならない。
 そして毎日ある時間を ーー たとえば二時間なら二時間を ーー そのデスクの前に座って過ごすわけである。
それでその二時間にすらすらと文章が書けたなら、何の問題もない。しかしそううまくはいかないから、まったく何も書けない日だってある。
書きたいのにどうしてもうまく書けなくて嫌になって放り出すということもあるし、そもそも文章なんて全然書きたくないということもある。
あるいは今日は何も書かない方がいいな、と直観が教える日もある(ごく稀にではあるけれど、ある)。そういう日にはどうすればいいか?
省1
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(1): 「はいほー!」収録『チャンドラー方式』より 2/3 2019/08/17(土)07:46 ID:YoijTpqV0(3/4) AAS
 その間ペンを持ってなんとか文章を書こうと努力したりする必要はない。何もせずただぼおっとしてればいいのである。その代わり他のことをしてはいけない。
本を読んだり、雑誌をめくったり、音楽を聴いたり、絵を描いたり、猫と遊んだり、誰かと話をしたりしてはいけにない。
たとえ何も書いてないにせよ、書くのと同じ集中的な態度を維持しろということである。
 こうしていれば、たとえその時は一行も書けないにせよ、必ずいつかまた文章が書けるサイクルがまわってくる、
あせって余計なことをしても何も得るものはない、というのがチャンドラーのメソッドである。
 僕はこういう考え方がわりに好きだ。姿勢として健全だと思う。
これはもちろん個人的な好みの問題だとは思うが、アーネスト・ヘミングウェイみたいに戦争が起きるたびに外国に飛び出していったり、
アフリカの山にのぼったり、カリブ海でおおかじきを釣ったりして、それを小説のネタにするようなやり方はあまり僕の好むところではない。
そういうのはテレビの「なんとかスペシャル」と根本的には発想が同じじゃないかと思う。
そういう風に物を書いていると、だんだんエスカレートして不自然にネタを求めるようになってくる。
863: 「はいほー!」収録『チャンドラー方式』より 3/3 2019/08/17(土)08:01 ID:YoijTpqV0(4/4) AAS
 そういうのに比べれば「そのまま二時間、机の前でじっとしていなさい。そのうちなんとかなるから」というのは、思想としてまともである。
金もかからないし、人に迷惑もかけないし、手間もかからない。何よりも外的要因に頼らなくていいというのが潔くてよろしい。
 ぼおっとしているのは、簡単といえば簡単だけれど、むずかしいといえばけっこうむずかしい。たしかにある種のコツは必要とされる。
「あくび指南」じゃないけれど、僕のぼおっとするやり方を一応書いておく。
まず頬杖をつく。両方の親指で顎のえらをおさえ、小指で目の端をおさえる。
それから首の力を抜き、両目の焦点を微妙にずらせる。僕の場合、幸いにも右目の視力が○・○八、左の視力が○・五なので、
努力しなくても首の力を抜いてしまえば、焦点は自然にずれて、視界はぼやけてしまう。
 時折、思い出したように少しずつ姿勢を変えながら、だいたいこのような姿勢で時を過ごす。
僕の机の前には窓があり、窓の向こうには千坪ほどの広い空き地がある。
病院の用地として確保されたものだが、建築許可がおりなくてそのままほうったらかしにされた広い土地である。
省4
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