[過去ログ] 有言実行三姉妹シュシュトリアン (519レス)
上下前次1-新
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
292: 2018/03/08(木)17:16 ID:D0ykWJgA0(2/4) AAS
「集団凝集性」の高さが強みから弱みに
だが、いま日本企業は折り返し地点にいる。そして、かつて日本企業の強みだった“集団凝集性の高さ”が弱みに逆転しつつある。たとえば昨今、次々と明るみにでている不祥事の背景には、“集団凝集性の高さ”が影響している。
クレーム電話を例に考えてみよう。集団凝集性の高い企業では、たった一本のクレーム電話を受けただけで、「内」と「外」という強固な城壁を瞬時に立ち上げる。自動的に防衛反応のスイッチが入るのだ。
ちなみに、内は同じ組織で“同じ釜の飯を食ってきた”家族的社員、外は(本来であれば最重要視すべき)消費者、取引先などの利害関係者である。
そして内にある組織や集団がすることは何か? それが「かばう」と「隠す」という行為なのである。初動対応でこれをすれば、その後にたどり着く先は最悪の事態しかない。
日馬富士に同情している人よ、目を覚ませ
ここまで読んで、「相撲界も同じだ」と思った人もいるだろう。話を貴ノ岩暴行事件に戻すと、事件現場に居合わせながら適切な対処をしなかった横綱白鵬も言い逃れる余地はない。貴乃花親方が、協会の指示を待っていては、事件がうやむやにされるという判断のもとに動いたのであれば、コンプライアンスの観点からはまずは英断だったと言えるだろう。
「国技」である相撲を取り仕切る日本相撲協会の集団凝集性は、非常に高いということは容易に推察される。そうした集団凝集性の高さは、うまく機能している時にはよいが、裏目に出たときの闇は深い。
かつて、「かわいがり」という名の暴力行為により、弟子を殺した相撲部屋があった。その教訓を「喉元過ぎれば熱さを忘れる」にしてしまってはならない。
いま指導的な立場にあるビジネスパーソンにお伝えしたい。どんな事情があっても、暴力行為は許されない。「指導のためだった」という言い訳は、もう通用しないのだ。
「日馬富士にも言い分があるだろう」。そう考えるは危険だ。そうした考え方には、これまであなたが積み上げてきた輝かしいキャリアのすべてを失いかねないリスクが潜んでいる。その事実を頭の片隅にいれておいてほしい。
(私のコメント)
いよいよ今年最後の「株式日記」となりましたが、今年は日本型組織に対する欠点がいろいろな形で噴出してきた年でもあったのだろう。日本を代表するような企業の不祥事が相次いでいますが、日本のサラリーマンはどうしてこのような行為をしてしまうのだろうか。
一般社会的な常識や法律を何十年にもわたって破るような行為は許されるものではない。粉飾決算やデーターの改ざんは外部に対しての背信行為であり、許されるものではない。それを日本のエリートサラリーマンたちは平気で破るのだ。社会常識で考えても善か悪かの判断はつくはずなのに、隠蔽に走ってしまう。
その組織が、国会であったり軍隊であったり官僚組織であれば、日本にとってとんでもない事になってしまう。日馬富士の暴力事件でもそれと同じ問題を内在している。相撲協会という組織の隠蔽体質は、「かわいがり」で力士が死亡した事件があっても、相撲協会に体質は変わっていない事は、隠蔽に走ろうとしたことでもわかる。
貴乃花親方は、相撲協会に話せば、相撲協会側は示談に持ち込んで不起訴に持ち込むことは目に見えていた。相撲協会は組織防衛に走り、暴力事件を今までのようにうやむやにしようとした。マスコミも相撲協会側の言い分をテレビのコメンテーターを使って連日報道した。
相撲協会にとっては力士は家族の一員であり、日馬富士の暴力も弟子への教育の一環だと日馬富士自身が記者会見で述べている。今までの相撲の世界ではそれが当たり前だったのでしょうが、時津風部屋での力士死亡事件で暴力行為は否定されていたはずだ。日馬富士の行為は密室の集団リンチ事件だ。
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 227 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.015s