[過去ログ] 幸隆信綱】真田家当主を語るスレ5【昌幸信幸信政 (136レス)
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2: 2012/05/19(土)21:59 ID:VfSVhYl8(1/5) AAS

3: 2012/05/19(土)22:01 ID:VfSVhYl8(2/5) AAS
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真田幸隆・昌幸・信繁・信幸を語るスレ 4
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真田幸隆・昌幸・信繁・信幸を語るスレ 3
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真田幸隆・昌幸・信繁・信幸を語るスレ 2
省7
6: 2012/05/19(土)22:25 ID:VfSVhYl8(3/5) AAS
江戸期の上田藩内にこんな話が伝わっていた。
「真田幸隆が箕輪に走る前、その領地は藩内の甲石・原・横尾の三村
 千六、七百貫文(石高にして三、四千石)であった。」

その証にとされていたのはこの三村にのみ正税のほかに外田役米として
米八十九石(甲石二十八石・原三十四石・横尾二十六石、およそ300俵)が課せられていたことであった。
幸隆がこの地を去り、その主家であり小県の一帯を支配していた海野氏が滅んでも
その支族妻子の危急を忍びなく思った村々の者たちは年々それだけの物を供し続けた。
それが綿々と続き遺習となって残ったのがその役米であるという。
7: 2012/05/19(土)22:27 ID:VfSVhYl8(4/5) AAS
羽尾氏という豪族が上州吾妻郡にいた。

本姓は滋野、家紋は六文銭であの真田氏とは同族であり
四阿山を挟んでほぼ隣同士という間柄であった。
天文10年(1541年)の海野平合戦に海野氏が敗れ、その下にいた真田幸隆が上州に脱出した際
当時の当主羽尾幸全はその手助けをしたという。

この二人が再び相まみえたのは永禄6年(1563年)9月、敵味方に分かれてだった。
当時真田幸隆は信濃先方衆として武田家に仕え
同じく武田に仕える鎌原氏を支援するために吾妻郡にやってきた。
羽尾幸全は上杉に臣従しており、同じく上杉に臣従した岩櫃城の斉藤憲広の援軍として
岩櫃城に立て篭もる。
省8
8: 2012/05/19(土)23:03 ID:VfSVhYl8(5/5) AAS
真田家 家臣団
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真田氏家臣総覧
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沼 田 藩 真 田 氏 家 臣 総 覧(寛永五年〜天和元年)
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真田氏家臣
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★真田家の武将あ〜お
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