[過去ログ] 北陸新幹線 総合スレッドPart20 (995レス)
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589: 2011/01/12(水)12:15 ID:co9oxjgD0(1/6) AAS
◎北陸新幹線ルートは米原ルートで(米原−敦賀間、駅なし)

北陸新幹線若狭ルートににするならもっと経由地を検討するべき
◎北近畿高速線(北陸新幹線若狭ルート修正)
外部リンク[html]:chizuz.com

敦賀から美浜、三方系由で線を引いてもマキノに近くなるのでそれなら湖西線マキノ系由で小浜へ向かう。
(乗り換えは必要だけど京都からの最短ルートになる)
あとどうせなら、北近畿の主要都市を系由することで大阪からは今のビックX利用より便利にする
篠山口駅から城崎までは高速バスや連絡特急で対応

起点:敦賀駅
@琵琶湖マキノ駅(湖西線マキノ駅)
省13
618
(2): 2011/01/12(水)20:06 ID:co9oxjgD0(2/6) AAS
北陸の視座vol.18 社団法人 北陸建設弘済会
各種データにみる北陸3県の関係性/データにみる北陸ブロック(1/2)
外部リンク:www2.hokurikutei.or.jp

北陸3県に対する意見

富山県

気候風土等の類似性が高く、歴史・文化等共通の基盤を有し、これまでも活発な交流の実績がある。住民意識の面からも円滑な計画策定が可能な区域と考えられる。
近年、隣接各県(新潟、岐阜、長野)との交流・連携も活発化しており、
北陸新幹線、東海北陸自動車道等の高速交通体系整備により首都圏、中京圏との繋がりもより深まるものと考えられる。
したがって、北陸3県を計画区域とする場合でも、こうした他の区域との連携に十分配慮する必要がある。

石川県
省7
619
(2): 2011/01/12(水)20:11 ID:co9oxjgD0(3/6) AAS
各種データにみる北陸3県の関係性/データにみる北陸ブロック(2/2)

各種データにみる北陸3県の関係性

では、実際に3県の交流や結びつきはどのようなものか。旅客、貨物、居住、進学の4つの視点からデータを分析してみた(図6)。

図6 各種データにみる北陸3県間の結びつき

(1)旅客純流動(単位:千人/年) 出典「第3回全国幹線旅客純流動調査」(2000年)  
画像リンク[gif]:www2.hokurikutei.or.jp
(2)貨物純流動(単位:件/3日間調査) 出典「第7回全国貨物純流動調査」(2000年)
 画像リンク[gif]:www2.hokurikutei.or.jp
(3)居住地移動(単位:人/年) 出典「平成17年度 基本台帳人口移動報告」(2005年)
 画像リンク[gif]:www2.hokurikutei.or.jp
省8
620
(1): 2011/01/12(水)20:24 ID:co9oxjgD0(4/6) AAS
>>618-619

のデータからみると人や物流は
福井は京都・愛知と結び付きが強く
石川や富山は大阪・京都や愛知、岐阜(特に飛騨地方)とのつながりが強い。

政治や経済は東京と関わらざる得ない状況が見受けられる。

以上のことからも関西のもならず東海地方へも新幹線をつなぐ意義はあると思う。
であるなら両方向を経済的(建設コストと建設後の波及効果も)に結ぶルートは米原ルートであるはず。
滋賀は行政が内向きの感があるが、京都や大阪は理解はしていると思う。
622
(1): 2011/01/12(水)22:01 ID:co9oxjgD0(5/6) AAS
昭和39年10月1日 - 東海道新幹線開業。

新幹線米原駅:
当初は、当駅より人口の多い彦根駅に開設する計画だった。しかし予算面で断念したことや、
また北陸線からの乗客には当駅停車の方が便利であり、「ひかり」停車の要望が敦賀・福井・金沢方面から出されたことも有る。

昭和39年12月25日
北陸線電車特急「雷鳥」「しらさぎ」運転開始。北陸本線系由で交流区間を走行する初めての電車特急として誕生。

昭和47年3月15日
山陽新幹線が新大阪駅 - 岡山駅間で開業し新幹線相生駅開業
新幹線駅が設けられた理由は、姫路駅 - 岡山駅間の駅間距離が長いことにより待避設備が必要になったと唱えた地元選出の河本敏夫衆院議員の政治力によるという説があるが、
当時の国鉄は「夜行新幹線」の単線運転および、行き違い・夜間長時間停車のため必要と説明、
省4
623: 2011/01/12(水)22:09 ID:co9oxjgD0(6/6) AAS
●中山道ルートと岐阜羽島駅(東海道新幹線)

戦後の東海道新幹線建設計画において、名古屋駅から西進して、鈴鹿山脈をトンネルで貫き、野洲市近傍で東海道本線に再び沿うというルートが検討されていたが、
鈴鹿山脈に20kmを超える長大トンネルを掘削する事が必須条件となり、当時の土木や高速車両の技術レベル的に極めて難事業となる事は明白であった。
結局、これらの技術的障害や建設コスト面の問題のほか、
世界銀行からの融資条件である『東京オリンピック開催までに開業する』という工期の制約などから、東海道新幹線は在来線同様の中山道ルート(関ヶ原経由)に変更された。
更に、北陸方面との連絡の利便を図って、米原駅の設置が決められた。
そして、関ヶ原付近の降雪に伴う雪害対策としての退避施設(実際、岐阜羽島駅は本線2線、副本線4線、合計6線と東海道新幹線の中間駅としては規模が大きい)として、
新幹線駅設置の動きに至ったものの、岐阜県側は岐阜駅に新幹線駅を併設させる願望を描いていた。
産経新聞刊の『戦後史開封』(ISBN 459402694X)によると、
その岐阜県の要望に対して国鉄側は、予定ルートよりも線路を大幅に北側へ迂回する必要があり、建設予算や名古屋駅以西の区間の所要時間が伸びる関係上、難色を示した。
省7
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