[過去ログ] 坐禅と見性(机龍之介はアクセス禁止) (1001レス)
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91: 名無しさん@3周年 04/05/26 06:11 ID:HxPWqxhp(1/12) AAS
当たり前のことを当たり前に喋って尚且つ人の心を打つものがある。
当たり前のことを当たり前に喋って、2回目、3回目となるとさらに
味が出てくる。基礎とはこういうもので、木偶仏を支える土台など
ではなく常に真新しいピカピカ、ツルツルのステージ。下手はそういう
基礎には立てない。面白くしてやれと思うから、その当たり前のことが
ほったらかしになる。まれにそういうツルツルの人物にであうと勉強になる。
あまり近づきになると小言をもらうから、出会うだけでいい。
96: 名無しさん@3周年 04/05/26 08:48 ID:HxPWqxhp(2/12) AAS
>があっても、生きることにマニュアルはない
だから、作ってみるのです。
>本物にはわかる。まぁ話題切らせないのも一苦労だろうがな。
本物の一つが本物で、偽者の一つがにせもので、
偽者の一つは本物を語る偽者で、本物の一つは本物と気付かない本物
97: 名無しさん@3周年 04/05/26 09:05 ID:HxPWqxhp(3/12) AAS
>ヨーガのプロセスはまったく逆です。エゴを追求した結果、
>それでは究極に至れないことを知るのです。
意味不明。意味不明ということは、意味があると思うから
意味不明なのであって、そう思わなければ、自明である。
99: 名無しさん@3周年 04/05/26 09:16 ID:HxPWqxhp(4/12) AAS
>禅の行法は「覚」と「空」の融合であり
>クンリニーヨーガの行法は「覚」と「ハート」の融合なのです。
同じスピードなのに重いボールと軽いボールがある。
同じ言葉を言っても軽く聴こえる人がいる。
100(11): 名無しさん@3周年 04/05/26 09:33 ID:HxPWqxhp(5/12) AAS
>坐ることぐらいしているでしょう。
走る習慣を付けるのは簡単でしたが、座る習慣がつきません。
結跏趺坐も、ろうそくも、ノウボウアキャシャも、らべりんぐも
ちょっとだけやってみましたが、何かの拍子につい忘れてしまいます。
このような人間の本質的習性を捉えて、習慣化するコツについて、誰か説明
してみてください。
101: 名無しさん@3周年 04/05/26 09:48 ID:HxPWqxhp(6/12) AAS
>大切なのはプロセスとテクニックなのです。
たいていの人にとって大切なものは、今大切と思うものを、
さらにもう1歩、2歩進めて大切なものを発見したときであって、
そうで無い場合は、それは一時的なものであって
何かの拍子につい忘れてしまう。
103(1): 100 04/05/26 10:58 ID:HxPWqxhp(7/12) AAS
あなたの言われる「計画すること」と「自分を知ること」は私の大きなテーマです。
計画表はなんども作りました。
仮に1時間の計画を作っても、大抵うまくゆきません。
人生を計画する者は人生に成功します。しかし、私は多くを望みません。
このほんの1時間の計画を成功させたいだけです。このノートを成功させたい。
この整理を成功させたい。この食事を成功させたい。この歩きを成功させたい。
この考えを成功させたい。
ところが、これらのことごとくを
失敗します。成功はわずかです。人生を振り返るとおそらく失敗の連続でしょう。
私は私の行動にもっと意識的でなければなりません。失敗とはここに存在しないことを
省2
108: 100 04/05/26 15:08 ID:HxPWqxhp(8/12) AAS
>心の作用として見性や悟りを求めれば求めるほど、見性や悟りは逃げていくようです。
>その反対に、見性や悟りを求めず、日々の為すべきことを為していれば、悟りや見性は
>自然に訪れるようになるのではないでしょうか。
このことは仕事において最も顕著に現れます。あなたがもし私の上司なら、
「急げ」とは決して言わないでください。急げというと遅くなります。
三日でできる仕事が一ヶ月も掛かります。私のように元々まじめな人間に関しては
遊ばせておいてください。
それが最も効果的に仕事がはかどるコツです。
109(1): 100 04/05/26 15:10 ID:HxPWqxhp(9/12) AAS
>50回以上、諦めずにやれば済むことだろ
乱雑なメモをノートに書き写して整理したうえで、さらにもう一度整理して書き直す。
そして最後に丁寧に清書する。こうするとノートは単なるノートではなく鑑賞に堪えうる
芸術的ノートが出来上がります。
ノートの機能という面から見ると非生産的で無駄な作業のようですが、
それがある種の芸術になるとき、無常の喜びを味わうわけです。
>即今、即所に参ずるというのはこのことです。
もし一発で書いて、武蔵の水墨画のように美しいノートが出来上がるとすれば、
即今、即所が完成しているといえます。
即今即所にいたるまでには50回のあるいは1000回の練習があるのかもしれません。
省3
111: 100 04/05/26 16:50 ID:HxPWqxhp(10/12) AAS
>やるものと自分との隔たりがなくなってしまった様な感覚です。
>そのときには自分でも信じられないくらいの結果が生じるものです。
たとえば毎日5時間ピアノを練習します。5年間続けて、一通り弾ける
技術が身についたとします。ところが、何かが足りない。
講演会の日がやってきて舞台に立ったとたんに、その足りなかったものに開眼した。
座禅をしても、ピアノの技術は上達しません。
しかし何かしら足りない最後の一歩を助けることはできるかもしれません。
恐ろしいことに「見性」とはこの最後の一歩だけがあって、それまでの5年の努力
の欠けたメチャメチャの状態では無いだろうか?という疑問がわいてきました。
114: 100 04/05/26 17:42 ID:HxPWqxhp(11/12) AAS
>ごもっとも。諦めずに続ける。貫通しても夢のように忘れる。
私の人生はピアノです。(バレエでもかまいません)
毎日5時間練習して、5分座禅をします。5年間練習してピアノに
開眼(見性)しました。では見性は座禅の属性でしょうか、それとも
ピアノの属性でしょうか?
最後の一歩で悩んでいるときに、老師がでてきて、ポンと頭をたたいて開眼
したとします。これは老師の手柄でしょうか?
私の頭の中では見性のイメージだけが一人歩きをしていますが、見性は
ピアノ無しには存在できないのではないでしょうか。
115: 100 04/05/26 22:41 ID:HxPWqxhp(12/12) AAS
見性は座禅の中にあると思っていたら実は日々の労働の中にある。
道理で座禅の中をいくら探して出てこないはずだ。
座禅について老師は
「坐禅して、静かに心を澄ますことによって、
本来無一物、何もないところに真実の自己を発見する」
「そこで、静かに考え、心を澄ますには、どうしたら一番よいかというと、
坐って何も考えんことが一番よいのである。」
我々はいつ真実の自己を失っただろう。徐々に徐々にいまも失い続けている
のだろうか?
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