反出生主義について ★5 (307レス)
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26: 11/22(金)00:50 ID:0(26/307) AAS
しかし、ベネターの評価がこの仮定の通り、
right/wrongだとすると、
ベネターは「子を生み快楽を与えることは倫理的に善である」と認めていることになるが、それは反出生主義的にどうなのだろう
人生には快楽と苦痛の両方があるので、そこから「子を生むことは善くも悪くもある」というロジックが成立してしまうことが、採点結果「0」と数値化されていることからわかるよね
子を生むことは倫理的に悪なのであれば、採点結果はマイナスの値にならないとおかしい
27(2): 11/22(金)01:10 ID:0(27/307) AAS
ここまで、ベネターの非対称性の理論に乗っかった上での批判を展開してみたが、
そもそも、主観という常に揺蕩い変動する複雑な性質のものを、至極単純化したマトリクス上で表すこと自体がナンセンスであることはいうまでもない
ここで論点になってくるのが、快苦の総量という功利主義的概念だが、前提として、快楽/苦痛は主観なので、客観的に定量化が不可能という問題がある
であれば、主体自身が人生の中で感受した快楽と苦痛を体感的に分析するしか方法がないわけだが、人間とは複雑なもので、苦労や苦痛が多い人生であっても晩年に「色んなことがあったけど、総体として中々良い人生だった」と評価することがある
そうすると、必ずしも苦痛が多い人生が当人にとって悪い人生とは言えなくなる
つまり、主体が自分自身の人生総体を「良きもの」と捉えれば、仮に苦痛が多い人生であってもそれを生み出したことは善であるということになる
28: 11/22(金)01:40 ID:0(28/307) AAS
倫理的な評価としての快苦の非対称性を纏めると、
ベネターの非対称は、苦痛と快楽をそれぞれ瞬間的に切り取って客観的に評価をしている
その結果は、「生むことはrightでもwrongでもある」という反出生主義を否定する結果がでている
人生総体のgood/badの評価は主体にしかできない
人生総体を主体がgoodとすれば、それを生み出した行為はright
人生総体を主体がbadとすれば、それを生み出した行為はwrong
ここで重要なのが、瞬間的なbadの総量が多かったからといって、人生総体の評価がbadとは必ずしもならないということ
こちらの場合でも上と同様に、生むことはrightにもwrongにもなり得る
29: 11/22(金)01:44 ID:0(29/307) AAS
即ち、「全ての出生は悪である」という命題は偽という結論になる
30(1): 11/22(金)06:20 ID:0(30/307) AAS
難しく考えるより先に、
結局厳しく教育するしかなくなるんだから最初から子供作らないほうがいいな
31: 11/22(金)12:26 ID:0(31/307) AAS
>>30
だから無能は淘汰されるんだよ
32(1): 11/22(金)14:47 ID:0(32/307) AAS
反出生主義でもセックスはしたいのかい
33: 11/22(金)16:53 ID:0(33/307) AAS
>>32
相手がいない!泣きたい!
34: 11/22(金)19:31 ID:0(34/307) AAS
>>27
そうですよね。
人間は矛盾、葛藤、相克を内包しているから単純化すればするほど嘘になる。
それをまだ単純化が足りないと言うお馬鹿さんがあなたが現れる少し前にいたんですよ。
よく言ってくれました。さすがわかってますね。
初めて個人的な思いを述べますが私は生まれてきてよかったと思います。
理由は簡単で様々な力を授かることができたからです。
認識力、思考力、理解力、表現力、記憶力、想像力その他諸々の力です。
快楽というよりは喜びと言いたいですね。
もちろん苦痛もかなりありましたがそれを差っ引いても力を持つことは魅力的です。
省4
35: 11/22(金)20:32 ID:0(35/307) AAS
ベネターの非対称は、ベネターの直感的な恣意性で評価が為されている為、妥当性に欠けるという結論だった。
ベネターは人生における快苦という有機的で複雑な性質のものを平面的に単純化させてしまっているという大きな難点がある。
上で展開した反論は、敢えてベネターが提示したパズル・ゲーム的なロジックの土俵に乗った上でベネター的反論を展開し、瓦解させるという部分に大きな意味がある。
全く異なる視座から批判を投げつけることは簡単だが、それではつまらないからな
後半の方は、あくまでベネターの土俵には乗ったままで、ベネターの酷く単純な価値判断よりも、ほんの少しだけ現実的で複雑な価値判断を導入してみた
36(3): 11/22(金)20:45 ID:0(36/307) AAS
反出生主義的には、子を生むことは子に大きな苦痛を与える可能性があるので倫理的に悪であり、辞めるべきであるという。
しかし、「他者に重大な苦痛を与える可能性がある行為は悪であり、辞めるべき」という倫理規範は果たして妥当なのか?これを実社会で生じる他の行為へ当て嵌めると、かなりおかしな事になってしまう
車を運転すると誰かを轢き殺してしまう可能性があるが、だからといって、「全ての自動車運転は悪であり、全人類は自動車運転を辞めるべき」という倫理規範を導くことは妥当とは言えないだろう。これを妥当性のある形に修正するならば、「全て」という対象を却下した上でどのような自動車運転が悪となり得るのかを考え、個別具体的な対象に絞り込み対策を講じなければならない
これと同様に、反出生主義の「全ての出生は悪であり、人類は子を生むことを辞めるべき」という主張はとてつもなく大雑把な極論で著しく妥当性に欠けるものであり、もっと丁寧な対応が要求される
では、子を生むことの論点についてどのような社会制度が実装できるのかを考えてみると、世の中には明らかに親としての資質に欠ける虐待親予備軍的な者がいるので、子を生むことに一定の規制を設けてもいいかもしれない。まずは職歴、収入、犯罪歴、病歴などの簡単に分かる属性チェックから開始し、テクノロジーが急速に進化した近未来世界においては個体の遺伝子的特性から子育ての向き不向きを客観的に割り出す技術が発明されているかもしれないので、そういった技術を取り入れるのもよいだろう。勿論、この例を深く考えると色々と現実的問題はあるのだが、今はそれを論じることが目的ではないので棚上げとする。この例から導ける倫理規範は「親の資質がない者が子を生むことは倫理的に悪であり、辞めるべき」というものになる
このようなきめ細やかな規制が社会制度には求められるし、そうすることが不幸の逓減に繋がる
「全人類は子供を生むのを辞めるべき」はいくらなんでも極論過ぎる、それ故に極論的な問題も容易に想定できてしまう
主義として杜撰すぎる
37: 11/22(金)21:22 ID:0(37/307) AAS
>>27
反出生主義についてはKane Bの動画で見ただけなのであまり詳しくないけど、
ベネターは功利主義者ではなく義務論の人でしょう。
他人に危害を加えるのはいかなる場合においても悪であり、
危害を加えないよう努力する義務がある、という観点から論じてるのであって、
それを功利主義的な観点から批判してもあまり意味がない気がする。
38(1): 11/22(金)21:31 ID:0(38/307) AAS
>>36
苦痛が大きいか小さいかは関係なくて、
もし自分のある行為が必然的に他人に危害を加えてしまうならば、
人間にはそれを避ける義務がある、というのが反出生主義の主張じゃないかな。
39(1): 11/22(金)21:32 ID:0(39/307) AAS
非対称性は?
40(1): 11/22(金)21:37 ID:0(40/307) AAS
>>38
ベネターはそんな感じだよね
小さな針で刺すような痛みすらも悪みたいなこといってたよな、確かに、義務論っぽくはある
なんせ支持者によって言ってることが違うから
極端な事故、病気、事件などを持ち出して「ほら!こんな大変なことが起きる可能性がある!」って主張はよく聞くから、それをベースにしてみた
41: 11/22(金)21:38 ID:0(41/307) AAS
>>39
他人に危害を加えないようにする義務はあるけど、
他人に快楽を与えようと努める義務はない。
42: 11/22(金)21:44 ID:0(42/307) AAS
>>40
確かに支持者もよく分かってなかったりするね。
ちなみに「全人類は子供を生むのを辞めるべき」というグローバル反出生主義が極端すぎるというのは同意。
特定のケースにおいて子供を作ることが倫理に反するというローカル反出生主義にも同意。
もっとも、規制を導入することには反対だけど。
43(1): 11/22(金)21:45 ID:0(43/307) AAS
ここで気になったのが、主義者的には許容できる閾値みたいなものはあるだろうか
それとも、ベネターのようにほんの少しの苦痛があるのだったら生まない(生まれる)べきではないという立場をとるのか
44: 11/22(金)22:05 ID:0(44/307) AAS
>>43
生きてワーワー騒いでるんだから許容してるんでしょ。
45: 11/22(金)23:21 ID:0(45/307) AAS
分かりやすいな
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