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【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)50【ダメ工作員】 (373レス)
【栗城史多似の】栗木ハンター(ワイエディ)50【ダメ工作員】 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/
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226: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 21:01:50 ID:BdtTryWp0 り4m、樹高24.50m、枝張東西28.10m、南北エムゾネ 23.50m、樹齢約500年。北日本の山地に多い落葉高木 で、静岡県では極めて少なく当社以外の小山町内では数本しか 見当たらないが、境内には10本が生育している。・エゾヤマ ザクラ昭和58年5月1日に小山町の天然記念物に指定された 。樹エムゾネ齢約130年で、根回り2.08m、目通り1.75 m、樹高約10m、枝張東西13.8m、南北9.5m http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/226
227: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 21:02:20 ID:BdtTryWp0 承平噴火(937)で流出しエムゾネた剣丸尾第1溶岩流の西縁に 所在する。本穴自体も大小様々な樹型が複雑に交叉して形作られ ている。本穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨のように見え、 そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内臓を摘出した あとの胸控の如く見える。胎内エムゾネの名称はこれに基づくもの であり、極めて貴重な形態と言える。・無戸室浅間神社・石造物 群1673年、富士講道者村上光清により現船津胎内樹型が発見 され、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷宮された。浅間明神 誕生の地ともいわれ、無戸室(むエムゾネつむろ)に火を放ち、無 事に御子を出産したという故事に倣い社号を無戸室浅間神社と名 付けた。−60−B13吉田胎内樹型図以下に示す要素が点在し ている平面図吉田胎内樹型は、1892年に富士道者によって整 備された「お胎内」(溶岩樹型)でエムゾネある。顕著な普遍的価 値を構成する諸要素には、宗教的な意義付けがされている地形空 間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型吉田胎内樹型は、承平噴 火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流の東縁に所在する。本 穴の側面では垂れ下がった溶岩が肋骨エムゾネのように見え、母の 胎内に似ているため、浅間大菩薩(木花開耶姫)出世の御胎内と して信仰の対象となった。・洞内の石祠、石造物群吉田胎内の本 穴の奥には、石祠があって富士講にとっての富士山の祭神である 木花開耶姫が祀られている。樹型内に入エムゾネると横穴の正面に は、食行身禄を祀る石祠がある。B14人穴富士講遺跡(人穴浅 間神社)図以下に示す要素が点在している平面図・犬涼み溶岩流 人穴付近は、新富士火山旧期溶岩(約11,000年前から約5 ,000年前)に属する犬涼み溶岩流の末エムゾネ端部近くに位置 している。犬涼み溶岩流は、標高1,206mの犬涼み山から噴 出し、西方に約5?、標高差にして約700mの扇状地をつくる 溶岩流である。写真溶岩流の写真図溶岩流の詳細図・溶岩 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/227
228: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 21:07:33 ID:BdtTryWp0 をオオヤマザクラと称するヤマザクラの北方型で、静岡県が南 限である。県内ではまれな樹種である。・根上がりモミ平成3 年5月1日にエムゾネ小山町の天然記念物に指定された。樹齢約3 00年で、根回り4.61m、目通り3.07m、樹高27m 。この根上り群は約150年生のモミの根本にブナ、イヌシデ の種子が生え、宝永噴火の火山灰土が、降雨により流亡しなが らモミが成長したためエムゾネ、根が爪を立てた状態で生育し、根 上がりになったと考えられる。縁結びの木とも呼ばれている。 ・社殿平成18年8月24日に小山町の文化財(建造物)に指 定された。宝永噴火により大きな損害を受けたが、享保3年( 1718)に再建された。そのエムゾネ後蟻害や老朽化により改修 したものの、部材は享保年間(1716〜36)のものが今な お使用されている。社殿は本殿・幣殿・拝殿が連結した権現造 である。拝殿は入母屋造で千鳥破風を据え、本殿は享保年間の 遺構を残した流造りとなっている。−5エムゾネ7−構造は、拝殿 が桁行5間・梁間2間の入母屋造で、向拝1間、正面千鳥破風 付。幣殿が桁行3間・梁間2間の両下造。本殿が三間社流造、 向拝1間、屋根は全て銅板葺きとなっている。写真社殿の写真 図社殿の図面・楼門二階建ての随神門で、上層のエムゾネ周囲に高 欄付きの縁を巡らしている。北の櫛岩窓神、南の豊岩窓神が随 神として配神されている。宝永噴火により社殿とともに大破し ており、現在のものは明和4年(1767)随神が寄贈された 当時に再建されたものと考えられる。楼門の構造は、三間エムゾネ 一戸楼門、茅葺型入母屋造、銅板葺き。軒廻りは二軒繁垂木に 組物は出組で、腰組も二手先としている。・参道大鳥居参道入 口には、花崗岩の石鳥居が建てられている。春日造で、額束に は「不二山」と刻まれている。明治33年(1900)に奉納 されエムゾネた。・裏参道鳥居西側駐車場から本殿へ至る裏 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/228
229: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 21:08:00 ID:BdtTryWp0 穴溶岩洞穴は、天正年間に富士講の開祖、長エムゾネ谷川角行が千 日の行を行ったとされる洞穴である。犬涼み溶岩流の中に存在す る19箇所の溶岩洞穴のうち、西端部の最も低い位置にあり、溶 岩が流れ下るとき溶岩表面が冷やされて固化した後、内部の溶け た溶岩が抜けて空洞ができたものである。洞穴エムゾネの南西の端 が進入口となり、洞穴中央部でくの字型に曲がっている。入口か ら約30mの屈曲部手前中央には、直径約5mの溶岩柱が http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/229
230: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 21:13:42 ID:BdtTryWp0 入口に石鳥居が建てられている。・富士塚狛犬楼門前参道の両 側に、富士塚が築かれ、その上に狛犬が置かれている。・富士 講講碑群明治より昭和にかけて、各地の富士講より寄進された 記念碑が多くエムゾネ残されている。多くは、数多く富士登山が成 就されたことを感謝し、先達や講名を高く掲げ信仰の証とした もので、境内地の西側部分裏参道周辺に、多くの碑塔が建てら れている。写真富士講講碑群の写真図富士講講碑群の配置図B 6河口浅間神社図以下エムゾネに示す要素が点在している平面図河 口浅間神社は、864〜866年に北麓で起こった噴火を契機 に、北麓でも浅間神社が建てられることになったが、その神社 である可能性が高い。現在も富士山と密接に結びついた宗教行 事を行っており、歴史的背景とエムゾネ相俟って、富士山信仰を語 る上で欠かすことのできない資産である。顕著な普遍的価値を 構成する諸要素として、富士信仰の拠点でもある本殿などの建 造物群や境内地などがある。・社殿、鳥居河口浅間神社創建は 、平安時代の865年に遡る可能性があエムゾネる。建立目的は富 士山の噴火を鎮めるためであり、当時の富士山及び噴火という ことに対する当時の考え方を理解することができる。鳥居は1 697年に谷村藩主秋本喬知の再建。銅製の扁額に記された「 三国第一山」の書は輪王寺宮公弁親王の筆とされエムゾネる。写真 社殿の写真図社殿の図面B7冨士御室浅間神社図以下に示す要 素が点在している平面図−58−冨士御室浅間神社は、8世紀 初めに吉田口登山道二合目に祭場をしつらえたのが最初とされ 、富士山中に祀られた最初の神社であるとする文献もあるエムゾネ 。二合目本宮(もとみや)へは冬季の参拝に苦渋するため、9 58年、河口湖畔に現在の里宮が建立されたという。現在は二 合目にあった社殿も里宮の広い境内に敷地内に移設されている 。修行や登拝といった様々な富士信仰の拠点として位置 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/230
231: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 21:14:10 ID:BdtTryWp0 全体として幅広く、奥に入ると広々として平坦な空間となってい る。最奥部までは約80mで、そのまま閉塞してエムゾネいると考 えられる。写真溶岩洞穴の写真図洞穴の図面・社叢(周辺の植生 )人穴集落では主に製炭と農業を中心とした生活が営まれたため 、薪炭材のコナラ・クヌギ等を中心に育林していた。しかし、昭 和30年代に薪炭の消費が減少し、境内地とその周エムゾネ辺は建 材としてのヒノキ・スギに改植された。御神木に相当する大樹等 は存在しない。・碑塔群人穴浅間神社の境内地には、富士講信者 が建立した232基の碑塔が存在する。そのうち碑塔に建立年が 刻まれたもの89基についてみると、一番古い碑塔はエムゾネ寛文 4年(1664)建立のものである。建立目的によって大きく分 類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑・供養碑である「墓碑 供養碑」、修行による大願成就を祈願する「祈願奉納碑」、個人 の富士登拝や講の人穴参拝を記念する「顕彰記念碑」のエムゾネ3 種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑」が最も多い。−61 −写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・参道洞穴入口や浅間神社 社殿のある平場へ至る参道が、境内地内を南から北へ伸びている 。現在はコンクリートで覆われている。・建物跡大小2つエムゾネ の建物跡が人穴洞穴直上の平場で検出されている。西側に規模の 大きな1棟と、その東側にやや小規模の1棟があり、大規模なも のの方がより古い遺構とみられる。また建物跡の周辺には石積み が施されている。・参道跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡エムゾ ネ南側の平場から斜面を下り、井戸跡の所在する平地まで約34 m続いている。溶岩角礫や露出している溶岩を利用して21段の 石段が構築されている。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道 跡の上り口、石垣の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群なエム ゾネどを結ぶ機能を有していたと考えられる。・炭焼窯跡指定地 の北側を通る林道に沿って、5箇所の炭焼窯跡が検出され http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/231
232: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 21:20:03 ID:BdtTryWp0 れるエムゾネ二合目の本宮と、土地の産土神としての里宮が一体と なって機能してきた。顕著な普遍的価値を構成する諸要素とし ては、信仰拠点である二合目や本殿などがある。・吉田口二合 目吉田口登山道二合目に御室浅間名字(本宮)が鎮座した。御 室浅間神社はエムゾネ木花開耶姫を祭神とし、創立年代は詳らかで ないが、社殿には和銅元年(708)に祭場をしつらえたのが 最初とされる。冨士山中最初の社という。なお、平安末期には 浅間神の信仰に修験道が習合して、富士山が霊験所の一として 広く知られていた。冨エムゾネ士修験の信仰拠点は南口の村山であ るが、北口の二合目、御室の地にも山内の信仰拠点として行者 堂が設置されていた。・本殿本殿は、1612年に当時の甲斐 国都留郡領主であった鳥居土佐守成次によって桃山時代建築様 式の神社建物に再建されたことエムゾネが棟札から明らかにされて いる。大規模な入母屋造りの一間社で棟の高さは9.3m、屋 根は檜皮葺形の銅板葺である。蟇股や軒唐破風妻などにも彫刻 を飾るなど、桃山建築様式の特色が見られる。内部の色彩も当 初のものを良く残しており、建築年代のエムゾネ確実なこの時期の 遺構としては大変貴重な建造物である。写真本殿の写真図本殿 の図面B8御師住宅図御師住宅の位置図御師住宅は、富士講徒 の案内をし、宿泊の世話や祈祷を行った御師の住宅兼宿坊であ る。御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面エムゾネして引き 込み路を設け、敷地を流れる水路の奥に建物がある。顕著な普 遍的価値を構成する諸要素として、最古の部類に入る旧外川家 住宅などがある。・旧外川家主屋、離座敷、中門主屋は妻入り 形式の典型的な御師住宅であり、棟札から1768年に建エムゾネ 設されたものであることが判明している。また、主屋は「平面 座敷型」をとっており、近世になって御師住宅の様式が確立さ れる以前の御師住宅として最古の部類の建築物である。 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/232
233: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 21:20:29 ID:BdtTryWp0 。昭和初期まで使用されていたものであるが、富士講に関わる遺 構は検出されていない。・井戸跡参道跡の南側に位置する。内部 エムゾネが溶岩角礫や土砂によって埋没し、涸れ井戸となっている 。B15白糸ノ滝図以下に示す要素が点在している平面図・古富 士泥流堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であ り、古富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状 礫エムゾネ岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているもので ある。写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土台となっている溶岩 流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キロメートル程度に ある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考えられており、 白糸エムゾネノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶岩流層の境 目にはマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー)が発達 している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まった際の収 縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存在する。白 糸ノ滝エムゾネは、地質の特徴上、次のようなメカニズムで崩落を 繰り返していると考えられている。白糸の滝は、最近10年間の 平均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もられており、この 多量の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な古富士泥流堆積物 を次第にエムゾネ浸食する。やがて、下部が抉り取られることで上 部の溶岩流はオーバーハング状態となり、自重に耐えられなくな った時点で自然崩落する。この作用が繰り返され、崖線が後退し 続けていると考えられる。また、白糸溶岩流内の柱状節理は浸食 に弱く、滝エムゾネの後退を早める一因と指摘されている。白糸ノ 滝は、1年に約2センチメートルの割合で北側に後退していると いう計算もある。音止の滝も、白糸ノ滝と同様の地質であり、同 様のメカニズムで崩落−62−を繰り返していると考えられてい る。写真溶岩エムゾネ流の写真図溶岩流の拡散図・白糸ノ滝白糸の 滝は、高さ約20メートル、長さ約120メートルに渡り http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/233
234: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 21:25:47 ID:BdtTryWp0 は、富士講が盛んになるととともに主屋だけでは収容人数に限 りがエムゾネあるなどの理由から主屋の東側に増設されたとみられ る。ただし、御神殿が上段・下段の続きの手前に配置され、上 吉田の一般的な御師住宅に比して独自の構成を有している。写 真主屋等の写真図旧外川家住宅現状平面図等・小佐野家主屋、 蔵主屋は一部エムゾネ二階、切妻造、妻入の居室及び座敷部の前面 北寄りに台所部を背面南寄りに神殿部を付設した形式に http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/234
235: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 21:26:17 ID:BdtTryWp0 に広がる崖面の各所から湧出した水が、数多の白い糸を垂らした ように流れ落ち、滝となったものである。白糸ノ滝周辺の地質は 、下部に不透水エムゾネ層である古富士泥流堆積物があり、上部に 透水性のある白糸溶岩流があると考えられている。富士山麓に降 った雨水は、上部の溶岩流を透過し、下部の不透水層との境目を 流れ下っていると考えられている。白糸の滝は、両層が崖面とし て露出しており、エムゾネ両層の境目や上部の溶岩流の間から水が 湧出している様子が確認できる。写真滝の写真(音止の滝も同時 に掲載)・音止の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ、白糸 の滝と台地を隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メートル を流れ落ちる芝川のエムゾネ本流であり、轟音を轟かせている。崖 面では、白糸の滝同様の地層が観察され、湧水が見られるが、白 糸の滝に比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」と も呼ばれ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となった ものであり、その水はエムゾネ白糸の滝の一部として流れ落ちてい る。また、ここには「駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石 」等の名前のついた石があったとされるが、現在は不詳である。 ・植物白糸の滝の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また指 定地内には、メヤブソテエムゾネツ、ユリワサビ等特色ある植物相 がある。・富士講「白糸ノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆 盛した富士講の祖長谷川角行にまつわる伝承がある。角行は白糸 の滝で垢離をとり修行を行ったとされ、富士講の信者の中には白 糸の滝を訪れる者や、白糸エムゾネの滝で修行を行う者がいたこと が知られている。幕末の資料には、白糸の滝で垢離をとり修行を 行った富士講の信者の記録がある。指定地内には富士講の信者が 建てた石碑があり、「仙元大神」と記されたもの(市道沿い)や 、「食行身禄」と記されたもエムゾネの(白糸の滝滝つぼ右岸)等 がある。・白糸の滝の勝景白糸の滝の、数多の白い糸を垂 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/235
236: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 21:31:34 ID:BdtTryWp0 居室及び座敷部は間口11.8m、奥行き15.5m、正面南 寄りに式台、背面北寄りに庇、北側面には下屋を設ける。蔵は 主屋台所の前方に建つエムゾネ。土蔵造りであるが、東西に庇を付 けた切妻造、板張りの覆屋をかけてい−59−る。この住宅は 、部分的な改変や増設がみられるほか保存がよく、富士講御師 の住宅としての形態を、屋敷地も含めてそのまま残している。 全国でも比較的少ない社家の一エムゾネ遺例として重要である。写 真主屋外観写真図小佐野家住宅現状平面図B9山中湖図以下に 示す要素が点在している平面図富士山周辺の湖を巡って修行す る内八海巡りが多くの富士講徒によって行われたが、いつの時 代も変わらず巡拝の対象として数えられエムゾネている。また、景 勝の地でもあり、多くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍 的価値を構成する諸要素として、自然地形(湖水)などがある 。写真山中湖の写真B10河口湖図以下に示す要素が点在して いる平面図富士山周辺の湖を巡って修行する内八エムゾネ海巡りが 多くの富士講徒によって行われたが、いつの時代も変わらず巡 拝の対象として数えられている。また、景勝の地でもあり、多 くの芸術作品とゆかりが深い。顕著な普遍的価値を構成する諸 要素として、自然地形(湖水)などがある。写真河口湖のエムゾネ 写真B11忍野八海図以下に示す要素が点在している平面図忍 野八海は、富士山の伏流水による八つの湧水地で、それぞれに 八大竜王を祀る冨士信仰に関わる巡拝地(霊場)であった。顕 著な普遍的価値を構成する諸要素として、自然地形(湧水)が あるエムゾネ。B12船津胎内樹型図以下に示す要素が点在してい る平面図船津胎内樹型は、1673年に富士講の指導者である 村上光清により発見され、富士講の開祖である長谷川角行が洞 穴に祀った浅間明神が遷宮された溶岩樹型である。顕著な普遍 的価値を構成エムゾネする諸要素には、宗教的な意義付けが http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/236
237: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 21:32:00 ID:BdtTryWp0 ように落ちる優美な勝景がある。写真景勝の写真・音止の勝景音 止の滝の、轟音をたてて落ちる雄大な勝景がある。写真景勝の写 真・富士山の展望指定地では、エムゾネ白糸の滝と音止の滝の勝景 とともに、見事な富士山が望まれる。写真展望の写真・富士の巻 狩の伝承「白糸ノ滝」には、建久4年(1193)に源頼朝が行 ったいわゆる富士の巻狩にまつわる伝承がある。音止の滝の名前 は、富士の巻狩に関係する曽我兄エムゾネ弟の仇討ち伝承に http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/237
238: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 21:38:03 ID:BdtTryWp0 いる地形空間(溶岩樹型)などがある。・胎内樹型船津胎内樹 型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾第1溶岩流の西縁 に所在する。本穴自体も大小様々な樹型が複雑に交叉して形作 られている。本穴の側エムゾネ面では垂れ下がった溶岩が肋骨のよ うに見え、そのうえ溶岩は鉄分のため赤色を帯び、あたかも内 臓を摘出したあとの胸控の如く見える。胎内の名称はこれに基 づくものであり、極めて貴重な形態と言える。・無戸室浅間神 社・石造物群1673年、富士エムゾネ講道者村上光清により現船 津胎内樹型が発見され、開祖が祀った焼入の地の浅間明神が遷 宮された。浅間明神誕生の地ともいわれ、無戸室(むつむろ) に火を放ち、無事に御子を出産したという故事に倣い社号を無 戸室浅間神社と名付けた。−60−B1エムゾネ3吉田胎内樹型図 以下に示す要素が点在している平面図吉田胎内樹型は、189 2年に富士道者によって整備された「お胎内」(溶岩樹型)で ある。顕著な普遍的価値を構成する諸要素には、宗教的な意義 付けがされている地形空間(溶岩樹型)などがあエムゾネる。・胎 内樹型吉田胎内樹型は、承平噴火(937)で流出した剣丸尾 第1溶岩流の東縁に所在する。本穴の側面では垂れ下がった溶 岩が肋骨のように見え、母の胎内に似ているため、浅間大菩薩 (木花開耶姫)出世の御胎内として信仰の対象となった。エムゾネ ・洞内の石祠、石造物群吉田胎内の本穴の奥には、石祠があっ て富士講にとっての富士山の祭神である木花開耶姫が祀られて いる。樹型内に入ると横穴の正面には、食行身禄を祀る石祠が ある。B14人穴富士講遺跡(人穴浅間神社)図以下に示す要 素がエムゾネ点在している平面図・犬涼み溶岩流人穴付近は、新富 士火山旧期溶岩(約11,000年前から約5,000年前) に属する犬涼み溶岩流の末端部近くに位置している。犬涼み溶 岩流は、標高1,206mの犬涼み山から噴出し、西方 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/238
239: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 21:38:30 ID:BdtTryWp0 るもので、兄弟が仇討ちの相−63−談をしている間は水音を止 めたことから名づけられたという。また、鬢撫水には、富士の巻 狩の折に源頼朝がここで鬢のほつれを直したという伝承がある。 ・歌碑「白糸ノ滝」の勝景は古くかエムゾネら詩歌に詠まれてきて おり、白糸の滝滝つぼ右岸には白糸の滝の勝景を詠んだ歌碑があ る。・標識名勝及び天然記念物であることを明示する標識がある 。?眺望C三保松原図以下に示す要素が点在している平面図三保 松原は、静岡市清水区南東部に位置すエムゾネる三保半島にあり、 半島の東岸真崎から海岸線に沿い、南北に約4キロメートルに及 ぶ松林と内陸部に散在する松林が主体をなしている。真崎から海 岸線に沿う松林は、国有地又は市有地が大半を占めているが、内 陸部の松林と松林の景観を維持しているエムゾネ背後地については 、ほとんどが民有地となっている。松林には、300年を経た老 木から幼令木が約54,000本、幅広く分布している。図三保 松原の地区区分図表地区区分詳細表地区境界?特別規制A地区真 崎灯台の内海側の第2種規制地区との境界エムゾネは、隣接する特 別規制B地区と第2種規制地区との境界(松が途切れる所)の延 長線上とする。?特別規制B地区特別規制A地区との境界は防潮 堤外側とし、その他の規制地区との境界は、羽衣参道は道路外側 、それ以外は平成元年4月1日現在においてエムゾネ松原を形成し ている地区、ただし、真崎先端の境界は真崎灯台と建設省財産、 運輸省財産及び民地側の境界を結んだ線とする。?第1種規制地 区真崎付近の第2種規制地区及び第3種規制地区との境界は、都 市計画道路の中心線とし、字広道の第2種規制エムゾネ地区との境 界、字羽衣脇の三保第一小学校を中心とする第2種規制地区との 境界及び大字折戸地区における第2種規制地区との境界は、隣接 する道路の中心を境界とする。ただし、羽衣参道西側の第2種規 制地区との境界は、羽衣参道中心より25mの位エムゾネ置 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/239
240: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 21:43:32 ID:BdtTryWp0 ?、標高差にエムゾネして約700mの扇状地をつくる溶岩流であ る。写真溶岩流の写真図溶岩流の詳細図・溶岩洞穴人穴溶岩洞 穴は、天正年間に富士講の開祖、長谷川角行が千日の行を行っ たとされる洞穴である。犬涼み溶岩流の中に存在する19箇所 の溶岩洞穴のうち、西エムゾネ端部の最も低い位置にあり、溶岩が 流れ下るとき溶岩表面が冷やされて固化した後、内部の溶けた 溶岩が抜けて空洞ができたものである。洞穴の南西の端が進入 口となり、洞穴中央部でくの字型に曲がっている。入口から約 30mの屈曲部手前中央には、エムゾネ直径約5mの溶岩柱がある 。全体として幅広く、奥に入ると広々として平坦な空間となっ ている。最奥部までは約80mで、そのまま閉塞していると考 えられる。写真溶岩洞穴の写真図洞穴の図面・社叢(周辺の植 生)人穴集落では主に製炭と農業を中心エムゾネとした生活が営ま れたため、薪炭材のコナラ・クヌギ等を中心に育林していた。 しかし、昭和30年代に薪炭の消費が減少し、境内地とその周 辺は建材としてのヒノキ・スギに改植された。御神木に相当す る大樹等は存在しない。・碑塔群人穴浅間神社のエムゾネ境内地に は、富士講信者が建立した232基の碑塔が存在する。そのう ち碑塔に建立年が刻まれたもの89基についてみると、一番古 い碑塔は寛文4年(1664)建立のものである。建立目的に よって大きく分類すると、個人の戒名や行名を記した墓碑エムゾネ ・供養碑である「墓碑供養碑」、修行による大願成就を祈願す る「祈願奉納碑」、個人の富士登拝や講の人穴参拝を記念する 「顕彰記念碑」の3種とそれ以外に整理される。「墓碑供養碑 」が最も多い。−61−写真碑塔群の写真図碑塔群の配置図・ 参道エムゾネ洞穴入口や浅間神社社殿のある平場へ至る参道が、境 内地内を南から北へ伸びている。現在はコンクリートで覆われ ている。・建物跡大小2つの建物跡が人穴洞穴直上の平 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/240
241: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 21:49:37 ID:BdtTryWp0 出されている。西側に規模の大きな1棟と、その東側にやや小 規模の1棟がエムゾネあり、大規模なものの方がより古い遺構とみ られる。また建物跡の周辺には石積みが施されている。・参道 跡建物跡へ向かう参道跡が、建物跡南側の平場から斜面を下り 、井戸跡の所在する平地まで約34m続いている。溶岩角礫や 露出している溶岩を利エムゾネ用して21段の石段が構築されてい る。・道跡2本の道跡と思われる石列が参道跡の上り口 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/241
242: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 21:50:06 ID:BdtTryWp0 エムゾネいる。A5吉田口登山道二合目から三合目にかけて見られ る古富士火山からの泥流堆積物、二合目付近で見られる玄武岩溶 岩の滑床及び縄状溶岩など様々な地質・地形が火山活動により形 成されている。A6北口本宮冨士浅間神社A7西湖A8精進湖A 9エムゾネ本栖湖地質学的にみると湖の北側、西側、南側は御坂基 盤層により構成されているが、東側新富士火山の旧期の溶岩、さ らにそれらを覆う形で青木ヶ原溶岩が分布している。この溶岩流 については水中に流入して形成された水底溶岩の可能性も指摘さ れてエムゾネいる。(久野久(1968)水中自破砕溶岩)また本 栖湖畔のボーリング調査において43mより上位は新富士火山の 特徴が示され、それより深いところは古富士火山の特徴を示して いる。その時期は概ね30,000年前以降の溶岩主体の富士山 起源のエムゾネ火山活動が確認−65−されている。イ信仰B1富 士山本宮浅間大社・鏡池楼門前の池で一名眼鏡池とも言われる。 参道を挟んで両側に丸く池が広がっている。寛文10年(167 0)の絵図では、ここから流れる水が御手洗川に流れ込んでいる 。写真鏡エムゾネ池の写真B2山宮浅間神社構成資産の土地には丘 陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立させる重要な 要素となって存在しているものがある。B3村山浅間神社構成資 産の土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成 立させる重エムゾネ要な要素となって存在しているものがある。B 4須山浅間神社構成資産の土地には丘陵や河川などの自然地形が 見られ、構成資産を成立させる重要な要素となって存在している ものがある。B5須走浅間神社・信しげの滝(清めの滝)境内地 の池で汲み上エムゾネげた水が、石鳥居南側の「信しげの滝」まで 流れている。B6河口浅間神社B7冨士御室浅間神社B8御師住 宅中門をくぐると川(水路)が流れており、かつては当家に宿泊 する富士講の禊ぎの場となっていた。B9山中湖B10河 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/242
243: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 21:54:59 ID:BdtTryWp0 の西側に位置する。建物跡と洞穴や碑塔群などを結ぶ機能を有 していたと考えられる。・炭焼窯跡指定地の北側を通る林道に 沿って、5箇所の炭焼窯跡が検エムゾネ出されている。昭和初期ま で使用されていたものであるが、富士講に関わる遺構は検出さ れていない。・井戸跡参道跡の南側に位置する。内部が溶岩角 礫や土砂によって埋没し、涸れ井戸となっている。B15白糸 ノ滝図以下に示す要素が点在している平エムゾネ面図・古富士泥流 堆積物山体が崩壊した際に崩れた土砂が堆積した地層であり、 古富士火山の一部を形成するものである。この地層は、塊状礫 岩と平行層理を持つ砂岩が不規則に互層しているものである。 写真写真・白糸溶岩流新富士火山の土台となってエムゾネいる溶岩 流のひとつであり、白糸ノ滝付近0.3平方キロメートル程度 にある。白糸溶岩流は4枚の溶岩流層からなると考えられてお り、白糸ノ滝では2枚の溶岩流層が確認できる。溶岩流層の境 目にはマグマの急冷時に形成された粉砕部(クリンカー)エムゾネ が発達している。また、溶岩流内部には、マグマが冷え固まっ た際の収縮により形成された縦方向の割れ目(柱状節理)が存 在する。白糸ノ滝は、地質の特徴上、次のようなメカニズムで 崩落を繰り返していると考えられている。白糸の滝は、最近1 0年エムゾネ間の平均で日量約15.6万トンの湧水量が見積もら れており、この多量の水の落下は、白糸溶岩流に比して軟弱な 古富士泥流堆積物を次第に浸食する。やがて、下部が抉り取ら れることで上部の溶岩流はオーバーハング状態となり、自重に 耐えられなくエムゾネなった時点で自然崩落する。この作用が繰り 返され、崖線が後退し続けていると考えられる。また、白糸溶 岩流内の柱状節理は浸食に弱く、滝の後退を早める一因と指摘 されている。白糸ノ滝は、1年に約2センチメートルの割合で 北側に後退しているとエムゾネいう計算もある。音止の滝も http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/243
244: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-KRCF) [sage] 2018/01/29(月) 21:55:27 ID:BdtTryWp0 11忍野八海Bエムゾネ12船津胎内樹型・構成岩石質、地質学的 形状(平面的、立体的)等B13吉田胎内樹型溶岩流の流出時の 表面の状態がほぼ保たれている。地域を覆う玄武岩溶岩流をはじ め、スコリアなどの火山活動に伴う噴出物が顕著に見られる。B 14人穴富士講遺エムゾネ跡(人穴浅間神社)−66−構成資産の 土地には丘陵や河川などの自然地形が見られ、構成資産を成立さ せる重要な要素となって存在しているものがある。B15 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/244
245: 底名無し沼さん (ワッチョイ 560c-EzTQ) [sage] 2018/01/29(月) 22:01:27 ID:BdtTryWp0 ノ滝と同様の地質であり、同様のメカニズムで崩落−62−を 繰り返していると考えられている。写真溶岩流の写真図溶岩流 の拡散図・白糸ノ滝白糸の滝は、高さ約20メートル、長さ約 120メートルに渡り馬蹄状にエムゾネ広がる崖面の各所から湧出 した水が、数多の白い糸を垂らしたように流れ落ち、滝となっ たものである。白糸ノ滝周辺の地質は、下部に不透水層である 古富士泥流堆積物があり、上部に透水性のある白糸溶岩流があ ると考えられている。富士山麓に降ったエムゾネ雨水は、上部の溶 岩流を透過し、下部の不透水層との境目を流れ下っていると考 えられている。白糸の滝は、両層が崖面として露出しており、 両層の境目や上部の溶岩流の間から水が湧出している様子が確 認できる。写真滝の写真(音止の滝も同時に掲載エムゾネ)・音止 の滝音止の滝は、「音無の滝」とも呼ばれ、白糸の滝と台地を 隔てた東側に位置する。主瀑は落差約25メートルを流れ落ち る芝川の本流であり、轟音を轟かせている。崖面では、白糸の 滝同様の地層が観察され、湧水が見られるが、白糸の滝にエムゾネ 比して水量は少ない。・鬢撫水鬢撫水は、「お鬢水」とも呼ば れ、白糸の滝の崖上にある。鬢撫水は、湧水が池となったもの であり、その水は白糸の滝の一部として流れ落ちている。また 、ここには「駒繋石」、「弁当(行厨)石」、「杓子石」等の 名前エムゾネのついた石があったとされるが、現在は不詳である。 ・植物白糸の滝の両岸の崖上には樹木が生い茂っている。また 指定地内には、メヤブソテツ、ユリワサビ等特色ある植物相が ある。・富士講「白糸ノ滝」には、江戸時代中期以降江戸で隆 盛した富士講エムゾネの祖長谷川角行にまつわる伝承がある。角行 は白糸の滝で垢離をとり修行を行ったとされ、富士講の信者の 中には白糸の滝を訪れる者や、白糸の滝で修行を行う者がいた ことが知られている。幕末の資料には、白糸の滝で垢離 http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1517147332/245
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