【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4 (196レス)
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177: 2015/05/26(火)06:40 ID:Ye4(1) AAS
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) ---
The second question which inevitably arises throughout the Tree of Life is the extent
to which there is an interchange of masculine and feminine deities as we know them.
二番目の問題は、必然的に、我々が彼らを知っているような男性および女性の神たちの交換の
広がりが、「生命の木」の至る所で生じることである。
Although the key God figure of Binah is Isis, the male Gods Saturn and Chronos are
also attributed to it.
「ビナー」の基本的な神の象徴は「イシス」であるが、男性の神たちである「サターン」と
「クロノス」がまた、それに配属される。
Moreover, at the base of the Pillar of Severity, beneath Binah, we find the male
God Mercury in the Sephira Hod.
さらに、「ビナー」の下の「峻厳の柱」の基底部において、我々は、男性の神である
「マーキュリー」を、「セフィラ」の「ホド」で見つける。
At the base of the Pillar of Mercy we find the female Goddess Venus in the Sephira
Netzach.
「慈悲の柱」の基底部において、我々は、女性の女神である「ビーナス」を、「セフィラ」
の「ネツァク」で見つける。
--- ここまで ---
ここに来て、「生命の木」に関する「maleness/男性らしさ」と「femaleness/女性らしさ」
の概念は、さらに流動的というか、全く節操が無くなり、ほとんど何でもありの状況に
陥っていきます。
つまり、我々の抱いている「男性らしさ」とか「女性らしさ」という漠然としたイメージを、
そのまま「生命の木」の「男性らしさ」とか「女性らしさ」に求めること自体が、そもそも
間違った行為であるということなんですよね。
要するに、我々の持つ「男性らしさ」とか「女性らしさ」というイメージは、あくまでも
「ぼくのかんがえたさいきょうの男性らしさ/女性らしさ」であって、そういう独善的と
いうか、ひとりよがりな考え方で、この全宇宙を支配するさいきょうの「生命の木」を
束縛するのは、全くもって、けしからんということになるわけです。
つまり、言葉を換えれば、個人の責任で楽しむ範囲においては、ある程度までは個人の
自由にやっちゃっても良いということであり、結果的に、けしからん姿になってしまう
ことも、よくあることなわけです。
まあ、そういう意味でも、とにかく何でもありな「生命の木」って、「寄らば大樹の陰」
みたいな、たくましくて頼りがいのある、フリーダムでエロカワな存在なんですよね。
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