元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祠掌社家について (74レス)
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(2): 2014/04/20(日)17:30 ID:PEhWbnV5J(1) AAS
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祠掌社家について
2chスレ:kyoto

崇神天皇の時代の京丹後 元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祭神:豊受大神の島谷祠掌
雄略天皇の時代の天橋立 元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 祭神:豊受大神の島谷神主
崇神天皇の時代の京丹後 大宮売神社 祭神:豊受大神の島谷宮司

社家の島谷氏について、知りたいです。

豊受大神とは、=国常立命=神道最高位神で創造主の天之御中主命とも聞きます。
55: 2016/01/28(木)06:59 ID:Nsi(1/2) AAS
>>54
鴻池直文さんが酒造で成功して大阪に進出して海運事業の手がける際、島屋の廻船問屋に参加したのでしょうね。
56: 2016/01/28(木)07:05 ID:Nsi(2/2) AAS
2016年1月5日のBS JAPANの新春時代劇ドラマ
山本周五郎 人情時代劇 第7話で
廻船問屋隠居 島屋喜右衛門 役:古旗宏治
57: 2016/01/29(金)18:50 ID:QkW(1) AAS
兵庫県中南部に位置した、島谷村は、現在の小野市広域を指す。
58: 2016/02/16(火)18:02 ID:6oS(1/2) AAS
藤原北家・日野流の京都十三名家の公家・柳原氏って、江戸中期の柳原則光さんが途絶え掛けて居た「百錬抄」を継承して書き連ねた人だね。
その二男の資前さんを、丹後国二宮社家の島谷家に養子に出し、
長男の家系の五代目の柳原前光さんの娘さんが、大正天皇の母君、旧姓:柳原愛子さんだったんですね。
現天皇家とこんなに近かったとは・・
59: 2016/02/16(火)18:13 ID:6oS(2/2) AAS
>>54





60: 2016/02/22(月)04:25 ID:J8E(1) AAS
>>45
・御中主命=国常立命(クナト大神)
向家・富家
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為−D深淵之水夜礼花−淤美豆奴−F天之冬衣−八重波津身(事代主)−H鳥鳴海−I国忍富−L田干岸円味−N布忍富取成身−O簸張大科戸箕−弩美宿祢(野見宿禰)−飯入根・・菅原氏・土師氏
61
(1): 2016/02/23(火)06:23 ID:75V(1/5) AAS
AA省
62
(1): 2016/02/23(火)06:26 ID:75V(2/5) AAS
>>61のつづき
古川C治委員長講演(28年号)2演題概要
外部リンク[html]:www1.kcn.ne.jp
惟 神 の 大 道 (かむながらのおおみち)            十一月・秋季大祭  一月号・269号
 惟神の大道(四魂具足の道)は、顕幽一貫けんゆういっかん(現界から、霊界に貫かれて不動の人生)の道であります。
初めに伊邪那岐命が、原人として魂を与えた島族(日本の第一先住民族)を産み、次に須佐之男命とその代々の御子神たち七代が、この一魂の島族を二魂の先住民族として同化された。
次にこの第二先住民族を、さらに大国主命系十代の神々により、三魂の第三先住民族へと同化されて、天孫降臨となります。
国譲りを経て、四魂を具えた邇々芸命系の神(氏之祖ノ神)が四魂の大和民族に同化せられ、我々が受け継いで敬神崇祖を実践し、四魂具足の行にぎょう 努め絶対道徳 (惟神の大道) を践み行く民族になるのです。
心に四魂を満ち充み みたす(常に四魂具足を思う)ことであり、自身に真心を確立するよう努めることです。

※この惟神の大道とは、江戸時代に始まる復古神道の教えである。
省30
63
(1): 2016/02/23(火)06:35 ID:75V(3/5) AAS
>>62のつづき
復古神道
外部リンク:ja.wikipedia.org
復古神道の教義は多種多様だが、概ね共通しているのは、儒教・仏教などの影響を受ける以前の日本民族固有の精神に立ち返ろうという思想である。
神々の意志をそのまま体現する「惟神(かんながら)の道」が重視された。
復古神道は、江戸時代初期に生まれた垂加神道と同じく、時代を大きく動かしていったが、国学者たちによって、より学問的な立場でつきつめられていった神道といえる。
賀茂真淵や本居宣長らの国学者がまず古道説を唱えて体系づけ、平田篤胤や本田親徳らが、儒教や仏教を強く排斥して日本古来の純粋な信仰を尊ぶ「復古神道」を大成し、発展させていった。
復古神道は、都市部の町人のみならず全国の農村の庄屋・地主層を通じて農民にも支持され、幕末の志士たちにも大きな影響を与え、明治維新の尊王攘夷運動のイデオロギーに取り入れられることとなった。

平田篤胤
外部リンク:ja.wikipedia.org
省18
64
(1): 2016/02/23(火)06:38 ID:75V(4/5) AAS
>>63のつづき
現代・・
崇神天皇の時代の京丹後 元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祭神:豊受大神の島谷祠掌
雄略天皇の時代の天橋立 元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 祭神:豊受大神の島谷神主
崇神天皇の時代の京丹後 大宮売神社 祭神:豊受大神の島谷宮司↓
心木神社・祭神 大月姫命(倉稲魂命)
外部リンク[html]:www.geocities.jp
大屋神社・祭神 木花咲耶姫命・素戔嗚命
外部リンク[html]:www.geocities.jp
高森(こもり)神社・祭神 億計命・弘計命
省29
65: 2016/02/23(火)06:39 ID:75V(5/5) AAS
>>64のつづき
・江戸初期
島谷市左衛門..堺出身。
徳川家家臣・島津の右腕として出島へ派遣され、出島で島屋の商いを遣りながら出島の管理を受け持つ、突然、幕命で外洋航海船の建造と、テスト航海を依頼され、後に小笠原巡検士隊隊長に任命。
小笠原諸島へ向かい、測量と調査資料をまとめ、大神山神社を建立し、寄港し、徳川三代将軍「家光」へ測量地図と調査資料を献上。
何故か、官位や報酬はなく、光圀公と交流のあった関係か、水戸藩の武家の姫君を後妻に娶る。
島谷出雲..南北朝〜戦国時代で荒廃・無人化した京丹後の神社・仏閣再生のため京丹後一帯で一番古い氏族長者として抜擢され、元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社神主に任官。
島谷吉兵衛..水戸藩お抱え能のシテ方。
・江戸中期
島屋市兵衛..大阪市此花区島屋を新田開発で埋め立て事業をし、産土神社を建立した人。
省23
66: 2016/05/25(水)13:59 ID:cZ6(1) AAS
大自在天(シヴァ神)=国常立(クナト)大神・・大黒天(大国主神)・・出雲(神門)振禰(倭健・日本武)・・斯摩(武内)宿禰・・島津(志摩)国造家の島氏・・播磨国・丹後国・京丹後国の古代氏族、島谷氏と百済渡来王族の島族(散自出雲)=会津藩士。
67: 2016/06/21(火)10:58 ID:RyO(1) AAS
>>200
西出雲の旧杵築大社(今の出雲大社)旧司祭家・神門臣家ゴウドジンケの一族神代系譜

インドのヒンドゥー教の大自在天=破壊と再生のシヴァ神・・古代中国の大黒天・・日本の古神道の国常立大神クナトオオカミ=イザナギ神−八島篠ヤジマザサ−布葉之文字巧為フハノモジクヌス−
八束水臣津野ヤツカミズオミツノ−赤衾伊努意保須美比古佐倭気アカフスマイヌノオオスミヒコサワケ−
八千矛ヤチホコ(大穴持オオアナモチ・大国主オオクニヌシ)−
伊佐我イサガ(伊佐波イサワ)=出雲建子イズモタケコ(伊勢津彦イセツヒコ)の弟の阿遅須枳高日子アジスキタカヒコ−
鹽冶毘古能ヤムヤヒコノ−速甕之多気佐波夜遅奴美ハヤミカノタケサハヤジヌミ−甕主彦ミカヌシヒコ−身櫓浪ミロナミ−遠津山崎帯トウツヤマサキタラシ−
出雲(神門)振禰フルネ=倭健(日本武?)−伊賀曽熊イカソネの子↓
建部(武部)タケベと二方フタカタ国造クニノミヤツコ家に
島津シマヅ(志摩シマ)国造家の島シマ氏=斯摩宿禰シマシュクネ=武内宿禰タケウチシュクネの事→島氏の子−播磨国・丹後国・京丹後国の古代氏族の島谷氏シマガヤシと
省9
68
(1): 2016/09/24(土)20:42 ID:jtP(1) AAS
島谷市左衛門や島谷子行のときは、しまや
最近の著名人は、しまたに

が各々多いけど、読み方で本傍流とかなし?
69
(1): 2016/10/01(土)07:08 ID:2KT(1) AAS
賀茂氏に関して・・
賀茂氏は、役小角や東漢氏の出身姓で、三輪氏地祇系氏族に成りますが
あの地域の成りたちでは葛城の一族なのか富の一族なのか、阿波国造の子筋の森氏姓一族なのかルーツは不明だが
大和の地を開拓したのは、森(三木)氏姓の一族で、一族の神官=王が物部氏開祖の饒速日だったと言う事。
大物主=大国主なのか・・事代主なのか・・饒速日だったのか不明だが、大和=奈良は古代から渡来人の土地なのは
素戔嗚の子の五十猛が大陸から持って来た、松竹梅や桜の木を植えた地のなので、紀(木)州・紀(木)氏が因んで氏姓を発祥。
一説には、素戔嗚が新羅渡来なので、新羅(白木)氏の木の文字を取って木の属性姓としたとも言われて居ます。
紀氏の子・孫筋に、林や波多(羽田)・蘇我(曽我)氏が居ますが蘇我の名の由来が、出雲大社の素戔嗚を祀る素鵞社(そがのやしろ)に発した姓だと言う事。
と言う事を感が観ると・・賀茂氏は、渡来系ルーツで大国主に姻戚の饒速日の祖・天若日子系譜なのでしょう。
出雲忌部氏の八岐大蛇族発祥の阿波国造の忌部(斎部)氏の三木(森)氏や忌部氏の子筋の尾張氏や伊勢・中臣氏
省3
70: 2016/10/14(金)07:08 ID:xfA(1/2) AAS
>>69
@葛城氏の三輪山の巫女と成った倭姫(卑弥呼)の母系繋がりが濃厚だが
A大和国の開拓に入った、阿遅須枳高日子の妹、下照姫を娶った天若日子→
出雲忌部→阿波忌部(三木氏)→畿内・紀伊半島開拓の森氏姓一族の可能性・・。
B天若日子の孫筋の饒速日の子筋・・饒速日の子の宇麻志麻治には、和田氏
饒速日=猿田彦説だと・・子孫が・・宇治土公氏になります。
※今の経津主(布都主)と武甕槌(建御雷)の祖神、布都御魂(大歳神)の孫にあたる同族に饒速日は、実は、白龍(ミシャクジ)の化身で
龍族な事から、天孫本紀の物部氏系譜検証で天若日子(天津彦根)系譜と解り、子が天目一箇(経津主)で、孫神に饒速日が居たからです。
また、同族の高倉下が=香語山(天日槍)と言う説もあります。
71: 2016/10/14(金)07:22 ID:xfA(2/2) AAS
>>68
社家・・シマガヤ
宗家・・シマヤ
関西では、シマタニ
関東では、シマヤ
です。
72
(1): 2016/10/25(火)22:01 ID:puj(1/3) AAS
京丹後の神社には・・島谷神主が多いっ
これは南北朝時代、元伊勢の蘇我氏社家と今伊勢の官職中臣氏の衝突で
元伊勢側が負けて、一族が佐渡島へ島流しにされ、物部系の神社関わらなかったので荒廃を免れ
蘇我系神社が江戸初期まで放置された神社群を、京丹後で最も古い家柄・・元出雲時代からとされる一族を
宇多源氏(別称:出雲源氏)の京極家が探し出し、江戸初期の大坂城城主の一族に紹介したのが、島谷家でした。
一族の代表の者に、島谷出雲守と命名し、京丹後一帯の神社を復古神道の元、復興させました。
※元伊勢と元出雲の重なっており、これは、出雲国譲りが原因です。
元出雲地域は、播磨国〜丹後・京丹後国までの地域で、京丹後に崇神天皇が元伊勢(比沼麻奈爲神社)を建立した為である。
今の有名な元伊勢 籠神社は、雄略天皇が建立したので随分後の神社に成ります。
島谷一族は、現在までの400年間、京丹後一帯の神社を守ってきました。
省4
73: 2016/10/25(火)22:09 ID:puj(2/3) AAS
>>72追記。
>江戸初期の大坂城城主の一族・・

※江戸初期の大坂城城主の一族とは・・徳川家譜代の阿部家です。
74: 2016/10/25(火)23:38 ID:puj(3/3) AAS
全国に居る島谷(社家:嶋谷)氏(宗家:島屋)ですが
コレは江戸時代、宗家の島屋の一族が
米問屋・船問屋・飛脚問屋・廻船問屋を営んでいたので、流通ともに全国へ広がったからです。
宗家:島屋氏の歴史は南北朝時代、足利尊氏嫡男、足利冬直が、父や一族の北朝寄りに対し反感を持ち
南朝に就き、倭寇を結成する為、家臣の大河内氏に命じ、松浦党結成を命じ、大河内氏の命で島谷氏が、嵯峨源氏松浦氏を無論
その領内の漁民や毛人にも交渉し、松浦党を結成に尽力したとの事。
江戸時代の島屋を営んでいた、島谷市左衛門さんが松浦党員だったのは、こう言う代々の党員だったかららしいです。
屋号印は、徳川御用達の山に上の山上印。
この山上印を使った者が、明治初期の村上水軍出身の島谷徳右衛門さんで、山口県岩国市で島谷汽船鰍創業。
昭和初期の太平洋戦争の戦時中、島谷汽船鰍ヘ、三井船舶鰍ニ軍の命令で、強制合併。
省16
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