こっとう避難所1 (56レス)
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21: 20/05/15(金)20:57 ID:UmH(3/3) AAS
江戸後期の滑稽本「東海道中膝栗毛」の作者十返舎一九が親族に宛てたとされる直筆の書簡が、三島市で見つかった。
一九の人柄や実家の重田家、娘など私的な事情をうかがい知る内容で、長年にわたり一九の研究を続けてきた元東洋大文学部教授の中山尚夫さん(70)=日本近世文学=は「一九の実像を明らかにする貴重な史料」と話す。

書簡は、同市東町の郷土史家関守敏さん(71)が2017年に知人を通じて譲り受けた。関さんから解読の依頼を受けた中山さんは書体から「自筆であるのは確実」とし、書かれた時期は江戸後期の文政年間ごろと推察する。
署名には本姓の「重田一九」と記され、宛名に実弟の「重田儀十郎」、当時の重田家当主でおいの「幸平」と書かれている。

「今般母出府―」との記述から、母が静岡市の重田家から幕府のある江戸に出向いた可能性があるという。母の様子を案じる一九の心情を読み取ることもでき、中山さんは「女性が遠出するのは当時珍しく、重田家にとっては大ごとだったのでは」とみる。
追伸に書かれた「すまかよの分よろしく頼み奉り願い候」「飛脚もたせおき候」は、実家に預けている2人の娘「すま」「かよ」の養育費を飛脚に持たせたのでよろしく頼む―との内容ではないかという。

※引用ここまで。全文は下記よりお願いいたします。
外部リンク[html]:www.at-s.com
22: 20/05/24(日)02:45 ID:r5V(1/2) AAS
神長官守矢史料館の「御頭祭」をイメージした展示
画像リンク[jpg]:www.newsweekjapan.jp
守矢家の敷地内にあるミジャグジ社
画像リンク[jpg]:www.newsweekjapan.jp

※省略

◆狩猟の神・上社本宮の特異な構造

御柱祭を華とする諏訪信仰は、縄文時代の自然信仰に端を発する。このことは、前々回<第16回 八ヶ岳山麓、諸星大二郎『暗黒神話』の地で縄文と諏訪信仰に触れる>で、八ヶ岳山麓の縄文遺跡を訪ねて強く実感したところだ。
果たして、諏訪大社上社本宮の御神体は、境内の背後に広がる守屋山(もりやさん)という「山」である。

しかし、天下の諏訪大社の御神体にしては、このあたりからよく見える八ヶ岳や南アルプスと比べても非常に地味な山だ。その守屋山、本宮の裏山のもうひとつ裏にあるので、実は本宮からも参道からもよく見えない。
まあしかし、僕が思うに、今の世で守屋山と呼ばれている標高1631mの山だけでなく、本宮とその約1.5km南東にある前宮を繋ぐ守屋山を含む裏山一帯を、御神体と考えて良いのではないだろうか。
省21
23: 20/05/24(日)17:46 ID:r5V(2/2) AAS
49年 ゲイラカイト ミクロマン
50年 黒ひげ危機一髪 モーラー
51年 およげたいやきくん
52年 スーパーカー消しゴム ラッセルヨーヨー
53年 スライム バンバンボール
54年 インベーダーゲーム
55年 ルービックキューブ ゲームウオッチ
56年 ガンプラ チョロQ
58年 ファミコン キン消し
60年 ビックリマンチョコ
24: 2020-05-29 20/05/30(土)03:30 ID:81S(1) AAS
太平洋戦争中に旧日本海軍の戦闘機「紫電改」などに搭載された高性能の国産エンジン「誉(ほまれ)」の
主要部が、広島県呉市広黄幡町の米陸軍広弾薬庫の地中から見つかった。
寄贈を受けた大和ミュージアム(呉市)は28日までに洗浄・保存処理を終え、6月3日からの企画展で初公開する。

在日米陸軍基地管理本部(神奈川県座間市)によると、2018年9月11日、広弾薬庫ののり面整備工事中に、
地下約1メートルから掘り出された。広弾薬庫は戦争末期に誉の量産を図っていた第11海軍航空廠(しょう)の跡地で、
戦後70年余り、地中で眠っていたとみられる。同年12月、同管理本部施設局環境部長代理の名義で寄贈された。

出土品のサイズは、円柱形のクランクケースが直径約50センチ、回転軸のクランクシャフトが長さ約90センチ。
エンジンの中心部に当たる。外周に2重星形に計18気筒あったシリンダーのピストンへつながるロッドや、歯車の一部も付随している。
誉は、終戦まで日本を代表する航空機メーカーだった中島飛行機が開発。零式艦上戦闘機(ゼロ戦)などに
搭載された14気筒のエンジン「栄(さかえ)」を18気筒へ強化し、小型ながら出力2千馬力と、世界水準の高性能を誇った。
省7
25: 2020-05-29 20/06/02(火)05:57 ID:e8F(1) AAS
 弥生時代から古墳時代にかけての石製品のうち、これまで砥石(といし)などとされてきた150例以上は
筆記用具のすずりでは? 柳田康雄・国学院大客員教授(考古学)が最新論文でそう指摘している。
日本での本格的な文字文化の広がりは5世紀ごろともされるが、石製品がすずりなら、
文字の使用が紀元前にさかのぼる可能性を示唆する。

 奈良県桜井市の纒向(まきむく)学研究センターの研究紀要で4月23日に公表した。
「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に登場する「伊都国(いとこく)」の都とされる三雲(みくも)・
井原(いわら)遺跡(福岡県糸島市)で2016年、弥生時代後期(1〜2世紀ごろ)のすずりが見つかったことに注目。
邪馬台国の有力候補地とされる纒向遺跡(奈良県桜井市、3世紀初め〜4世紀初め)の出土例も含め、
中国・近畿地方も含めた西日本一帯で、弥生時代などの石製品の実測や探索を進めた。

画像リンク[jpg]:www.asahicom.jp
省2
26: 2020-06-04 20/06/04(木)06:43 ID:uQz(1) AAS
古代マヤ文明の遺跡の調査を進める日本や米国、メキシコなどの研究チームが、メキシコ南部のアグアダ・フェニックス遺跡で、同文明で最大とみられる建造物を確認した。南北約1400メートル、東西約400メートルにわたっており、祭祀(さいし)用とみられる。
社会的な階層がはっきりしていない紀元前1千〜800年に築かれたとみられ、研究チームは「社会的な不平等が小さくても大規模な共同作業ができることが示され、従来の文明観を覆す発見だ」としている。

 4日、英科学誌ネイチャーに発表した。

米アリゾナ大の猪俣健教授や茨城大の青山和夫教授、岡山理科大の那須浩郎准教授らの研究チームは2017年から、グアテマラ国境近くのタバスコ州で航空レーザー測量や地上探査を実施。
18年、森林や牧草地が広がる一帯の地下にアグアダ・フェニックス遺跡を発見した。調査を進めたところ、遺跡には南北約1400メートル、東西約400メートルにわたる大きな建造物があることが分かった。

研究チームは建造物の体積を320万〜430万立方メートルと推定する。マヤ文明で最大とされてきたエル・ミラドール遺跡の建造物より、40万立方メートル以上大きいという。
建造物の上部には平面状の「基壇」が広がっている。
発掘調査で未使用のヒスイの石斧(せきふ)が見つかったことなどから、建造物は共同祭祀に使われていたとみている。

茨城大の青山教授は「人々が定住を始めて間もない時期に造られたものだ。神聖な山を築くことで、共同体のアイデンティティーを確立しようとしたのでは」とする。
他の遺跡で見られる権力者を示す石彫などは見つかっておらず、アリゾナ大の猪俣教授は「人々が自発的な意思で集まって、建てたのかもしれない」と話している。(小川裕介)
省3
27: 20/06/06(土)02:24 ID:BsX(1/2) AAS
Linuxカーネルのコーディング規約から、1行を80桁以内とする制限が撤廃された(Linus Torvalds氏のメーリングリスト投稿、checkpatchのコミットメッセージ、Phoronix、The Register)。
外部リンク[html]:www.zaikei.co.jp

 Linus Torvalds氏によれば、多くの人が80桁のターミナルを使わなくなって久しく、1行80桁制限は合理的でないという。
桁数制限は必要以上の改行を生み、さまざまな問題を引き起こす。
中には小さなターミナルウインドウを使用している人もいるという主張もみられるが、何を使うのもその人の選択だ。
そのハードウェアの制限を全員が共有する必要はない。長い行は単純に有用であり、どこかで改行が必要になるにしても80桁に制限する理由はまったくないとのこと。

 これに伴ってcheckpatchでも80桁を超える行に対する警告表示が廃止されている。
1行を80桁以内に収めることは現在でも望ましいが、checkpatchがわざわざ警告を表示するほど明確な制限ではない。
デフォルトでは制限値が100文字まで増加しているが、こちらも明確な制限に基づくものではなく、
行が若干長めになっても警告なしで収まる程度の文字数が選択されているようだ。
省2
28: 20/06/06(土)04:20 ID:BsX(2/2) AAS
歳三さんが使った鎖帷子(くさりかたびら)が、二揃(ふたそろ)い遺(のこ)されています。
ともに京都時代に使用され、一揃いは「池田屋事件」の時に着用したもの。
鎖頭巾と籠手(こて)からなり、小さな鉄の輪で編まれた鎖地の右首後ろ部分には、
槍(やり)のような鋭い刃で突かれたとみられる穴が開いており、当時の接近戦の緊迫感を伝える遺品です。
外部リンク:www.yomiuri.co.jp

池田屋事件の時に着用した鎖帷子
画像リンク[jpg]:www.yomiuri.co.jp

この二揃いには額を守る庇(ひさし)の裏が赤く塗られているという共通点があります。
鎖頭巾には内側に持ち運び用の持ち手があり、すぐに身に付けることができるようにと常に裏返して置かれていたようです。
「いざ出陣」の時、たくさん並んだ武具の中から迷わず手に取れるようにと、歳三さんが正面からは見えない部分に目印としてつけたものと考えられます。
省4
29: 20/06/08(月)02:09 ID:OVh(1) AAS
本能寺の変後、明智軍と信長軍が船戦 伝説生んだ戦いか
筒井次郎
2020/6/7 13:32
会員記事

 天正10(1582)年6月2日、本能寺の変で織田信長が家臣の明智光秀に討たれた。
その直後、明智軍と信長軍が琵琶湖で船戦(ふないくさ)をしたことを記す古文書が、石山寺(大津市)で見つかった。
明智軍を率いたのは明智秀満(左馬助(さまのすけ))。愛馬に乗って琵琶湖を渡った「湖水渡り」の伝説で知られるが、関連資料は少なく貴重な発見という。

外部リンク[html]:www.asahi.com
30: 20/06/09(火)04:16 ID:Ka6(1) AAS
「やおい」としか読めない字があるとツイッターで話題となっている。
外部リンク:news.livedoor.com
「やおい」にしか見えない?謎の文字が話題に どういう字なのか、法務省に詳細を聞くと...
その字が発見されたのは、法務省が公開している「戸籍統一文字情報」。
今では常用、人名として使われていない珍しい漢字などを収録したウェブサイトだ。
しかし、やおいにしか見えない字とは......?

それがこちらだ。
画像リンク[png]:image.news.livedoor.com
31: 20/06/09(火)12:58 ID:biA(1) AAS
 福岡県立朝倉高校(朝倉市)の史学部が研究テーマにしている嘉麻市の「幻の石橋」がゼンリン住宅地図に記載された。
部の働き掛けにゼンリンが応えた。たった1人の部員、2年の中原透也(とうや)さん(16)は「部活動の成果が表れた」と喜んでいる。【桑原省爾】

 中原さんは昨夏から嘉麻市桑野掛橋の遠賀川に架かる、使われていない石橋を調査。
昨年12月、石橋が石材を縦方向に組む全国でも数少ないリブアーチ型であることなどを研究発表会で報告し動画投稿サイト「ユーチューブ」で紹介した。石橋は嘉麻市議会の一般質問で取り上げられるなど話題になった。

 現地調査をする際の必需品のゼンリン住宅地図に、この石橋は記されていなかった。中原さんは貴重な土木遺産である石橋の存在を広く知ってほしいと考え、顧問の泉信至教諭と共にメールや電話で住宅地図への記載をゼンリンに掛け合った。

 ゼンリン北九州営業所の大谷和弘さん(40)は、石橋が必ずしも住宅地図に必要な情報とはいえず、国土地理院の基盤地図情報にもないことから、初めは戸惑ったという。
しかし、何度かのやり取りで「熱意がひしひしと伝わってきた」ため、スタッフが現地で石橋を確認し、住宅地図「嘉麻市2020年4月版」に記載した。名称は確証が得られず、書き込んでいない。

     ===== 後略 =====
全文は下記URLで
省1
32: 20/06/13(土)23:04 ID:VRQ(1) AAS
古墳人が身につけていた甲(よろい)=群馬県渋川市北橘町、県埋蔵文化財調査センター発掘情報館、柳沼広幸撮影
画像リンク[jpg]:amd.c.yimg.jp

 火山と共に暮らす群馬を象徴するような発見だった。榛名山のふもとの渋川市金井の金井東裏遺跡で8年前、古墳時代の人骨が甲(よろい)をまとった姿で見つかった。
「甲を着た古墳人」の発掘は日本初。噴火による火砕流の犠牲者が1500年の永い眠りから目を覚ました。

 甲は、小さな鉄の板(小札(こざね))1800枚を絹糸の組みひもでつなぎ合わせた当時の最新技術だった。人骨の下には冑(かぶと)も。別の甲も巻いた状態で見つかった。
中にあった鹿の角で作られた小札の発見も国内初。銀と鹿角(ろっかく)で飾った矛(ほこ)も発掘。人骨は40代の男性で身長は164センチと推定された。渡来系の特徴があった。

 男性は榛名山の方に向かってひざをつき、うつぶせに倒れていた。「山の神に祈っていたのか、戦いを挑む姿をみせて邪(じゃ)を払おうとしていたのか」。
発掘調査した県埋蔵文化財調査事業団の杉山秀宏・上席調査研究員は、発掘状況や遺物から、災厄を避ける儀式を行おうとしていた可能性があるとみている。

 甲や冑、武器は装飾的で、実用というより権力の象徴とみられる。近くでは朝鮮半島から伝わった馬が育てられ、鉄器や鹿角器が作られていた。「専門的な技術者集団の村があり、そこの長(おさ)だったのでは」と杉山さん。
首飾りと一緒に見つかった女性「首飾りの古墳人」や、5歳前後の幼児、乳児の人骨も発掘された。人の足跡や馬のひづめ跡、祭祀(さいし)跡からは大量の土器。火砕流で人々の営みが一気に埋まり、当時の生活ぶりを今に伝えている。(柳沼広幸)
省2
33: 20/06/26(金)03:16 ID:HYk(1) AAS
一関地方の主な歴史・伝承
画像リンク[jpg]:storage.kahoku.co.jp

新型コロナウイルスの感染者が、全国で唯一確認されていない岩手県。その理由を巡り、南の玄関口の一関地方でまことしやかなうわさが広がる。
「世界遺産・中尊寺周辺にある『六芒星(ろくぼうせい)』の結界=?=がいにしえより地域を守っている」。
陰陽師(おんみょうじ)安倍晴明が活躍した平安時代にさかのぼるという六芒星の謎を探った。(一関支局・金野正之)

発端は感染が急拡大した4月中旬に発表されたブログ「岩手に感染者が出ていないのはなぜ」だった。
観光振興の民間団体「世界遺産平泉・一関DMO」代表の松本数馬さん(39)が、
晴明が京都に張った結界を例に「岩手にも六芒星があり今も受け継がれているらしい」と書いた。

「過去の歴史でも大きな疫病とはほぼ無縁の地域。六芒星は面白い説だ」。
郷土史の著作がある平泉町観光商工課の八重樫忠郎課長も全く否定しない。
省33
34: 20/06/28(日)01:32 ID:xSk(1) AAS
30年前に発見された若き戦士の遺体
画像リンク[jpg]:livedoor.blogimg.jp

 ギリシャ神話に登場する、女性だけの部族で構成される伝説の戦士部族「アマゾーン」は伝説上の存在とされてきたが、実はかつて、中央アジアで勢力を誇ったスキタイ人がモデルだったという説がある。

 今回、これまで少年だと考えられてきた2600年前の戦士の遺体が、じつは13歳の少女であることが判明したそうだ。アマゾーンの正体がスキタイ人であるという説がまたも裏付けられたそうだ。

■30年前に発見された若い戦士の遺体

 1988年、現トゥヴァ共和国サリグ・ブルン(Saryg-Bulun)で半ばミイラ化した若い戦士の遺体が発見された。保存状態は良好で、顔のいぼも確認できるほどだった。
省26
35: 20/07/06(月)04:16 ID:EKC(1) AAS
「玄米2合はやべえ」 つけもの、汁物、手前みそ、塩、玄米2合――社会学博士が作った「江戸時代のごはん」がとんでもない破壊力

つけもの、汁物、手前みそ、塩、玄米2合――。社会学博士が作った「江戸時代のごはん」がなかなかの破壊力で話題を呼んでいます。昔の人すごい……!

投稿者は中部大学人文学部コミュニケーション学科の助教・おうこうはん(@SUSHIwanghaofan)さん。
「いつも『江戸時代の食事がね』みたいなことを授業でしゃべってるんですけど、諸事情で自分でつくる必要がでてきてつくってみたんですよ。
玄米2合はやべえっすね」と、自分で作った“江戸時代のごはん”を画像付きで紹介したところ、5万件を超える“いいね”が寄せられました。

お米1合が大体お茶碗2杯分と言われるので、玄米2合だと4杯分。重量にして1036グラム。
これを食べきるためにつけものが大量に必要だということがビジュアルからしっかり伝わってきます。

画像リンク[jpg]:image.itmedia.co.jp
省7
36: 20/07/17(金)06:49 ID:m6k(1) AAS
岐阜県御嵩町にある寺で、解体修理が行われている本堂の壁から400年以上前に書かれたとみられる落書きが見つかり、当時の旅人が書いたのではないかと見られています。

落書きが見つかったのは御嵩町にある願興寺です。

国の重要文化財に指定されている本堂は、平成29年から10年をかけて解体修理が行われていますが、去年8月、本尊の後ろの壁から神奈川県鎌倉市にある「玉縄」や現在の栃木県の「下野国」など、地名とみられる落書きが見つかりました。
また、織田信長が活躍した「天正六年(1578年)」の文字もあり、落書きは400年以上前に書かれたとみられます。

工事を監修している文化財建造物保存技術協会によりますと、近くの街道を行き交う旅人が寺に立ち寄った記念に書いたのではないかということです。

文化財建造物保存技術協会の内山都伊美さんは「落書きとはいえ、貴重なので残すべきだと思う」と話しています。
省2
37: 20/07/22(水)08:22 ID:PDp(1/2) AAS
16世紀から18世紀の始めまでヨーロッパ(主にスペイン)を統治していたハプスブルク家の王や王妃には、特徴的な顔の変形がある者が多かった。のちに「ハプスブルクの顎(あご)」と呼ばれるようになる長くしゃくれた顎だ。

 最新の研究によって、この特徴は長きに渡る近親交配の影響が大きいらしいということがわかった。
画像リンク[jpg]:livedoor.blogimg.jp

16世紀から18世紀の始めまでヨーロッパ(主にスペイン)を統治していたハプスブルク家の王や王妃には、特徴的な顔の変形がある者が多かった。のちに「ハプスブルクの顎(あご)」と呼ばれるようになる長くしゃくれた顎だ。

 最新の研究によって、この特徴は長きに渡る近親交配の影響が大きいらしいということがわかった。

■近親交配が繰り返されたハプスブルク家
省21
38: 20/07/22(水)08:23 ID:PDp(2/2) AAS
2018年06月01日 11時30分 公開
まったく読めねェ! 「山梨県にしかない漢字」が存在する
正体不明の幽霊漢字とは……。
[QuizKnock,ねとらぼ]

 皆さんは「垈」という漢字を見たことがあるでしょうか?

 「ない」と答えた方、まあそれが普通だと思います。ご安心を。

 「ある」と答えた方、あなたは漢字に相当詳しいか、あるいは山梨県民ではないでしょうか。

 実はこの「垈」という字、山梨県にしか存在しない漢字なのです。
省23
39: 20/08/12(水)10:48 ID:1qB(1) AAS
 湖東三山の一つ、西明寺(滋賀県甲良町池寺)の本堂内陣の柱絵を調査・分析していた
広島大大学院の安嶋(あじま)紀昭教授(美術学史)は9日、絵は飛鳥時代(592―710)に
描かれた菩薩(ぼさつ)立像で、描式から日本最古級の絵画とみられると発表した。
834年とされる同寺の創建前で、創建時期が大きくさかのぼる可能性があるとも指摘した。

 菩薩立像は、本堂内陣の本尊・薬師如来像前にある西柱と南柱に描かれていた。
柱は黒くすすけ、これまで何が描かれているのか分からなかったが、昨年6月、周囲の仏像を移動させ、
高さ3〜4メートルに描かれた絵を赤外線で撮影することができた。

 分析の結果、両柱(直径約45センチ)には、菩薩立像が4体ずつ描かれていた。
薬師如来像をたたえるように力強い筆致で、背景には雲塊や唐草文もある。
青や緑、朱などの顔料が使われ、当時は極彩色だったという。
省10
40: 20/08/13(木)17:16 ID:wgb(1) AAS
出た!大阪・梅田で人骨1500体超 別の場にもウメタ?埋葬想定より遅い江戸〜明治
外部リンク:news.yahoo.co.jp
 江戸〜明治時代に、現在のJR大阪駅北側再開発区域「うめきた」(大阪市北区)にあった
「梅田墓(はか)」について、大阪市教委と市文化財協会は13日、発掘調査で1500体以上の
埋葬人骨が出土したと発表した。市内でこれほど多くの埋葬跡が一度に見つかるのは初めてで、全国的にも珍しいとしている。
庶民階級の墓とみられ、今後は骨を調べたりして葬送文化や生活環境などを詳しく分析する。

 梅田墓は、江戸時代初期に天満周辺にあった墓を現・大阪駅の南側付近に集めたのが始まりで、
その後現在のうめきた南西部に再移転したとされる。大阪に7カ所あった「大坂七墓」の一つで、
近松門左衛門の浄瑠璃「曽根崎心中」や「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」などにも登場する。

 発掘調査はうめきた再開発事業に伴って始まり、2017年2〜6月の調査では、墓地の南北端の石垣や
省14
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