金の北宋皇族、特に女性の皇族に対する仕打ちが酷すぎる (3レス)
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1: 2014/03/29(土)10:28 ID:??? AAS
※皇后から宮女まで全ての女を上半身裸にし売春婦として客を取らせたって
それなんてエロゲ? ってレベル
2: 2014/03/29(土)10:29 ID:??? AAS
『洗衣院』

洗衣院(せんいいん、またの名を浣衣院)とは中国、金王朝における官設の妓院である。
『靖康稗史証』の記載によると、靖康の変(1126年)の後、宋の多数の皇太后、皇后、
妃嬪、皇女(公主)、宗女、女官、宮女、及び官吏や平民の女性達が遠く金に連行され、
現地で洗衣院に入れられて、性的奉仕を強要された。
複数名の幼い皇女達も洗衣院で育てられ、成長後に洗衣院の娼婦となった。
この女性達の中には、南宋の初代皇帝高宗の母の韋氏、妻の刑皇后や娘の趙仏佑、
趙神佑の四名も含まれていた。

靖康の変の最中に、金の捕虜となって北方へ拉致された女性の数は、『開封府状』
によると、宋の妃嬪83名、王妃24名、皇女22名、嬪御98名、王妾28名、宗姫52名、
省3
3: 2014/03/29(土)10:29 ID:??? AAS
金の兵士の手にかかった者は無論のこと、等級に関係なく女性達はみな女真人から
心身共に陵辱を受けたという。『南征録匯』によると、「開封府の港には人の往来、
絶え間なく続き、婦女より嬪御まで妓楼を上下し、その数五千を超え、皆盛装を
選び出ず。選んで収むること処女三千、入城を淘汰し、国相(完顔宗翰)より取る
こと数十人、諸将より謀克までは賜ること数人、謀克以下は賜ること一、二人。
韋后、喬貴妃ら北宋後宮は貶められ、金国軍の妓院に入れられる。」

『呻吟語』によると、浣衣院(洗衣院)では「妃嬪、王妃、帝姫、宗室の婦女は
均しく上半身を露(あらわ)にし、羊裘(ようきゅう、かわごろも)を被せらる」。
また、金兵の北帰の中途においても彼女らは陵辱を受け続け、「掠められた者、
日に(毎日)涙を以って顔を洗い、虜酋(金皇帝・皇族・貴族・将帥など)共、
省10
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