[過去ログ] ☆広島大学附属中学校・高等学校☆其の弐☆ (1002レス)
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636
(1): 2013/03/22(金)09:16 ID:KAEMYdlx0(1) AAS
>>633 学院や修道から東大にたくさん入っていた頃でも、附属から
    30〜40人は東大へ行っていたと思うが。
637
(3): 2013/03/24(日)20:39 ID:Z5VUYRzCO携(1) AAS
>>636
うちの母が卒業した頃は、現役浪人合わせてそれくらいは東大に合格していたようですね。母の同級生の顔ぶれを見ても、相当な進学校だったのだろうなというのはよくわかります。
私の卒業した頃はもう学院が進学実績では広島でトップでしたが、附属も現役、浪人合わせて東大に15〜6人、国公立大学医学部にも30人くらいは合格していましたね。まして修道に負けるなんてことはありませんでしたよ(今も負けてはいない?)。

やはり附属がここまで凋落したのは、中学、高校の学力最優秀層を集め切れなくなっていることが何よりの要因かと。
かつての附属は学校が何か特別な進学指導をするというより、何もしなくても自ずと学力最優秀層が集まり、自ら進んで勉強に励み、切磋琢磨することで最難関大学に多数が合格し、進学実績を残していたというべきでしょう。
その点は現在の広島学院、広大附属福山なども当てはまりますね。同じ附属でも福山は競合校がないため、最優秀層を集めているといえるでしょうね。

さて、それではなぜ附属が最優秀層を集められなくなったかといえば、やはり中学受験人口の増加と、高度成長とバブル経済を経て経済的に豊かな家庭が増えたという二点が大きいのではないでしょうか。
かつての広島の最優秀層が歩むコースといえば、田舎の公立小中学校をトップで卒業し、高校から広大附属に入り、東大や京大、国公立大学医学部に進学するというコースでした。
かつては附属のトップ層もほぼ高校入学組が占めていたと母もいいますね。母は中学入学組ですが、高校から優秀な人が大勢入ってくるから気を抜けなかったようですよ。
その頃はまだ日本もそれほど経済的に豊かではなく、中学受験をするのも一般的ではなかったため、学力最優秀層でも中学まで地元の公立に通い、成績を見て先生が受験を勧めて高校から広大附属に入学するというパターンが多かったようです。
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