[過去ログ] 呪術・魔術代行スレ88社目 昼間ライト君 ・サクラ ステマ (173レス)
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100: 2023/07/01(土)19:44 ID:29CzExCs0(1/4) AAS
日本政府、ウクライナの「保証人」に…2170億円の借款で=世界銀行 [おっさん友の会★]
2chスレ:c
101: 2023/07/01(土)22:23 ID:29CzExCs0(2/4) AAS
徳川家康の「汚点」 築山殿と信康の死は、家康本人が望んでいた!?
6/27(火) 16:30配信
外部リンク:news.yahoo.co.jp
築山殿の首塚(八柱神社)
外部リンク:news.yahoo.co.jp
大河ドラマでは描き方がずいぶん異なるようであるが、信康(家康の嫡男)と仲が悪かった五徳(信長の娘)が、義母・築山殿(大河では瀬名)からいじめを受けていたというのはよく知られるところである。それを父・信長に言いつけたことが発端となって、築山殿と信康の母子が死に追いやられたとも。
通説では信長が二人の殺害を家康に強要したことになっているが、実は家康自身が、元から二人の排除を目論んでいたと見られることもあるのだ。それはいったい、どういうことなのだろうか?
■妻への不満を「侍女の虐待」で晴らしていた信康
徳川家康といえば、人質時代の不遇をバネとして蘇り、我慢に我慢を重ねて、ついに全国制覇を成し遂げた…というのが、一般的な見方といえるだろう。もちろん、それは間違いではない。しかし、この苦難の末の成功物語をもって、彼を英雄として祭り上げて良いものかどうか?
省6
102: 2023/07/01(土)22:23 ID:29CzExCs0(3/4) AAS
■築山殿の「嫁いびり」を告げ口
この夫との確執に加えて、彼女にとって我慢ならなかったのが、義母・築山殿の「嫁いびり」であった。今川家といえば、清和源氏の流れを汲む名家。その当主・義元の姪としての自負が傲慢さを育んだものか、俄かに勢力を増してきた織田家など「何するものぞ」と蔑み、その現れとして嫁いびりを始めたのだ。
さらには、築山殿にとって信長は、自身の父・関口義広(親永)を殺した仇でもある。その娘も当然、憎いとの思いがあった。そのこともあって、何かにつけ彼女を罵ったのである。なかなか男子を生まない五徳に対して「役立たずめ」と暴言を吐いた挙句、五徳を見限って信康に妾を持つよう仕向ける始末。
そこで五徳は、姑の不義密通(甲斐にいた唐人医師・減敬との密通が噂されていた)までもを父・信長に告げ口した。それが、「12ヶ条の弾劾文」と呼ばれるもので、信康ばかりか築山殿への不平不満を12条も書き連ねて、父の元に送り届けたのだ。
もちろん、信長が激怒したことはいうまでもない。娘を愚弄することは、詰まる所、織田家を軽んじることにつながるからである。ただし、信長がそれ以上に怒ったのは、徳川家が武田家と結んで「織田家に対抗しよう」との姿勢を見せたことであった。
省2
103: 2023/07/01(土)22:24 ID:29CzExCs0(4/4) AAS
■築山殿と信康殺害を望んでいたのは、信長ではなく家康自身だった?!
問題は、信長に命じられたからといって、なぜ1ヶ月にも満たないうちに二人の殺害を家康は強行してしまったのか?という点である。いかに戦国の世とはいえ、我が妻、我が子を自らの手で殺すことなど非情。殺害に至らぬよう、何らかの手立てを施すこともできたはずである。それにもかかわらず、言われるがまま早々と実行に移してしまったのはなぜか?
考えられることは二つ。一つは、理不尽な信長を恐れて、何も細工ができぬまま、断腸の思いながらも実行に移してしまったというもの。一般的には、そう見られることが多いようである。しかし、実はもう一つの見方の方が、史実ではなかったかと思えてならないのだ。
それが、信長が二人の殺害を命じたのではなく、「家康自身の判断で二人を死に追いやった」というものである。もともと家康が、築山殿ばかりか信康の排除を目論んでいたという考え方だ。
■「築山殿の祟り」により岡崎で疫病が流行
省20
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